仙台に来たことの意味。#45

東京から仙台への引っ越し。

さびしくて泣き続ける私に向けられた ”新しい友だち” という慰めの言葉に、安堵を見出そうとしたけど、あまり魅力的には聞こえなかった。今までの友だちがいい。


私たちは、車(タクシーか会社の車?)で移動していた。その日のうちに着けないので、道中で一泊することになっていた。

車を降りた時、これから新しいところへ行くために移動してると思えない落ち着かない感じ、もうあそこへは戻らないのだということが実感できてない感じ、そんな宙ぶらりんな心細い心持ちだったのを覚えている。

しかも母が車酔いで、降りるとすぐに電柱の陰で(水分だけ)吐いていた。その姿も、私の心細さに拍車をかけた。


心がついてきてない。そんな空虚な感じだった。


夜、並べて三枚敷かれた布団に横たわって、私はいつまでも眠れなかった。

旅館のようなその部屋には、天井近くに換気口がついていた。そこから遠くの車の音や、風が小さく唸るようなよくわからない音、ただサワサワと鳴る音などが聞こえる。そういう夜中の音の体験は、私にとって初めてのものだった。


これからどうなるのかな?

未知の部屋で、未知の音を聞きながら、漠然とした未知の未来を思う。


いつの間にか眠っていたらしく、今ある次の記憶は、ちょうど仙台に着いたところだ。


そこでまた車を降りると、出迎えてくれた女性が言った。

「遠いところを大変でしたね。全然、勝手は違うかもしれませんけど、『住めば都』って言いますからね」


「住めば都」という言葉、その時初めて知った。


結果から言うと、私にとって仙台は「都」にならなかった。


たくさんの不思議なことと、少しのよい思い出。

そして、仮にちょっとだけそこにいた、くらいなヘンな感覚。


仙台は、通り過ぎただけの場所という感じがする。

ある出来事を受け取るためだけに。


大げさではなく、私の心というのか魂というのか、自分の芯のような物が東京から引っこ抜かれて、それ以来ずっと、根付くところが見つかっていない気がしている。

それは、ある意味で、その後の人生自体を、どこか「仮のもの」であるという感じで生きていたからかもしれない。

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