ガラリと変わった環境。#47

これまで仙台にあまりいいイメージが持てなかったのは、ひとえに私の超個人的な事情によるもので、仙台は日本の他都市と同じようにいいところだし、今では私も悪いイメージでとらえてはいない。住めと言われたら、もちろん住める。


ただ、特に子供の時分に東京から行くと、いろいろな違いを大きく感じる。おもしろくもある反面、慣れないことにホームシックのような思いが湧くこともある。


まず、言葉やイントネーションが違う。

北海道の人がゴミを「捨てる」ではなく「投げる」と言うことをおもしろおかしく取り沙汰することがあるけど、これを私は仙台ですでに聞いていた。東北、少なくとも仙台ではゴミは「投げる」だった。

「〜べ」という語尾もしかり。

国語の時間には、頭がヘンになりそうだった。誰かがあてられて、みんなの前で教科書を読む。そのイントネーションがあまりに違和感があって、耳を塞ぎたくなるくらいだった。


自分を「〜さん」とさん付けで呼ぶ友だち。ショートカットで半ズボンしか履かず、男の子の言葉でしゃべる女子もいた。その子は下の名前も変わっていた。

個性豊かで、なぜか落ち着いた風情の同級生たちが、ちょっと大人びて見える。

東京時代によくやっていた、かわいい小物を集めて見せ合ったり、交換したりするような遊びはなかった。

それから、遠足のバスの中で歌われる、聞いたことのない歌。演歌みたいなへんな歌、と思えた。

そういういちいちが、「仙台は不思議なところ」という印象を私に植え付けた。


友だちもできて、それなりに楽しく遊んではいた。夏はプールもがんばって、それまでよりもたくさん泳げるようになった。

その反面、学校の校舎が古くて、玄関のすのこも激しくささくれ立っていて、しょっちゅう足の裏にトゲが刺さるのには閉口していた。

そんな日はびっこを引きながらも急いで家に帰り、母に「また刺さった〜」と言って、毛抜きや先を焼いた縫い針で取ってもらう。


こんなふうに、ちょっとビミョーなコトがたくさん思い出される。


仙台では、初めて一戸建ての社宅に住んだ。

同じ平屋の家が4軒並んでいて、仙台支社長の立派な二階建ての家が敷地の入り口に建っていた。

5軒それぞれの家に庭がついており、全体の敷地の中にはテニスコートもあった。

すぐ近くに小さな個人商店があって、夏休みには毎日そこでアイスクリームを買って食べていたのはよい思い出だ。

東京で習っていたピアノは中断したままヒマな私は、夏休み、自分の家に庭があるという環境を楽しんでいた。母は楽しそうに花を育て、庭の手入れをしていた。他愛のないおしゃべりをしながら、私は庭に来る蝶などを網で捕っては放したりもした。


大きな木の根元にウロのようなものがあり、その前に立派なカエルが時々姿を見せていたようだ。一度だけ母はそっと私を呼び、見てごらんと見せてくれたことがあった。


一見、平和で穏やかな日々。

だけど、その日々は、ある一点に向かって着々と流れていたのだった。

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