一番いい思い出。#41

結婚するまでは、自分の人生の中で一番幸せだったと思っていた東京での2年間。

父も元気で、学校も楽しく、放課後も楽しく、ほとんどくもりのない毎日だった。

父が転勤族だったことにいろいろな事情も重なって、私は二つの幼稚園、6つの小学校と8つのクラスに所属したことになるけど、物心ついてから2年間落ち着いて一つ場所にいられたのは東京が初めてで、それも「幸せ」に寄与したと思う。


母に対しても、1年生のころに感じたような悪いイメージはあまりなく、母自身も落ち着いていたのかもしれない。何より、東京は美容学校の研究生をしていたころに住んでいて馴染みもあったのだろう。

社宅内では(例の親子以外)みんな仲が良い感じで、それぞれの家族となにがしかの思い出がある。とにかくいい環境だった。


このころの母とのよい思い出で、ノスタルジーとともによみがえるのは、駅前の商店街に買い物に行く時に、よく手をつないでいっしょに歌を歌いながら歩いていたことだ。もしかすると、母とのかかわりの中で一番いい思い出かもしれない。桜が咲いていたり、沈丁花が香っていたりする道を、つないだ手を振ってリズムを取りながら二人で歌を歌って、ぶらぶらと歩いていく。


あのころの社宅で、うちと一番仲のよかったお宅は、私と同級生の男の子の一人っ子がいる家だった。彼の母は超絶厳しい母で、私が遊びに行くと彼が怒られてる最中だったことが一度ならずあった。その怒り方も、1年生の時のうちの母と似ていた。そういう厳し過ぎる親がいる「時代」だったのだろうか。私もお仕置きで外に締め出されることがあったけど、ほかにもそういう子供を見たことは何度かあった。

なので、彼の母と比べても、東京時代の母は余裕があるというか、私の人生史上一番やさしかったと言えるかもしれない。


うちの母はもともとベタベタさせてくれない人だった。

甘えてまとわりついたりすると、「そういうのきらいなの」とか「暑苦しいから離れなさい」とか言われた。それは、とてもさびしいことだった。

大人になって振り返った時、私たち親子はどこか「親しくない」「距離とか壁がある」という表現がピッタリくる感じがした。

もしかすると、母も自分の親とそういう関係だったのかもしれない。ドライというか、淡々としているというか。


その後も、決して台所を手伝わせてくれないことなどを、私はさびしく思うことになる。


というわけで、手をつないで歌を歌いながら買い物に行ったことは、ほとんど唯一くらいなよい思い出なのだ。あとは、例のガラス激突事件で、その親子から私をかばうような感じで対処してくれたこと。


そんな中、東京での一番大きな出来事と言えることがあった。

8年8カ月一人っ子だった私に妹が誕生したのだ。

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