涙雨。#57
最終確認をして、妹と二人、ガランとした母の部屋だったところをしばし眺めた。
「長かったね」
「ここに住んでたのが? 引っ越しが?」
「どっちも」
カーテンのない部屋のベランダの窓からは、見慣れた向かいのマンションと、その上に暮れなずむ空が見えた。
そのマンションの建物がこっちを見てるように思えたので、「お世話になりました!」とお辞儀をして笑い合った。
それから室内に向き直って「この部屋にもありがとう!」「バイバイ」「さよなら」と言って、ぐるりと見回してからお辞儀をした。半分冗談で、半分本気だった。
私は、この引っ越し作業をするずっと前から、ここがなくなることが悲しかったし今も泣きそうだと妹に言った。すると妹も、さびしかったと言う。
それからポツンと「ある意味、これも終活だよね」と呟いた。
そうなのだ、母はまだまだ生きて生活は続いていくのだけど、図らずも身辺整理を迫られた形だ。
こんなにずっと悲しかった気持ちの正体が、少し見えた。
(これについては、あとでもう少し詳しく書き留めたいと思う)
去りがたい気持ちで部屋を出て、カギをかける。
長かった二日間が終わって、妹と交代でここに通って母の世話をした、十数年の在宅支援生活も終わった。
外に出ると、エゾセンニュウの「じょっぴんかけたか!」(※)の鳴き声が、暗くなった空いっぱいに響き渡るように繰り返し聞こえてきて、ちょうど今、私たちにとっては永遠のカギをかけてきた母のお城のことを思った。
後部座席からトランクまでいっぱいに詰め込んだ重量オーバーの車で、マンションのカギを預けるためにまた施設へ行く。二人で乗り込んでエンジンをかけると、フロントガラスにポツポツと雨が落ちてきた。
「空、晴れてるよね??」
そういえば、昨日の昼間にもコンビニに行くのに外に出た瞬間だけ、お天気雨のように局所的なにわか雨があって、空も母がここを去ることを悲しんでるのかもね? なんて話していた。
「昨日も今日も予報は晴れだったのに、私たちが外に出ると雨が降るなんて、これは完全に ”涙雨” だねぇ」
しみじみと空を見上げる。本格的に降り出した雨の中、車を出した。
施設に着くと、雨は止んでいた。
「ママは本当に晴れ女だね」
母のいるところに雨は降らない。我が家では、昔からそう言っていた。
これからも、そうであってほしい。
(※「じょっぴん」は、北海道方言で「カギ」のこと。「じょっぴんかける」または「じょっぴんかる」は「カギをかける」の意)
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