仙台との別れ。#68

突然の父の死について、たとえば葬儀の間なども、母と二人きりで何か話したというようなことはなかったと思う。

葬儀のスケジュールに従って、次から次へと動き回る母。お経が上げられている間やちょっと身を落ち着けられるような時などに泣いていたのは覚えているけど、あとは何を思い、どうしていたのかよくわからない。

だから、このエッセイは母のことを書いているはずなのに、父の死の部分では前回書いたようなことしか書けない。

母の心情について書こうにも、ありきたりな想像しかできないのだ。


私がよく覚えていることのひとつに、父のお骨拾いの時の話がある。

首のあたりに、形のよい小さい骨が残されていた。係の人の説明によると、珍しいことらしく、私は「パパは特別な人だったんだ」とちょっとうれしかった。親の骨について、九歳の子供がそんなことを思う機会があること自体、他人の話だったとしたら不憫だが、私は父について「何か思いたかった」のだと思う。


忌引きがあけると、私は母といっしょに学校へ行った。

今までで一番長く学校を休んだ私が、久しぶりに登校したその日は、ただお別れを言うだけの日だった。教室の一番前にクラスメイトたちと向き合って立つと、私の周りには「特別な事情」感が漂った。この前までふつうにそっち側に座っていた私を見る彼らの特異なまなざし。一斉に注がれ、いたたまれない気持ちになる。仲の良かった数人も、もはやそっち側に埋もれて区別がつかなかった。


あいさつが終わると、手を引かれるようにして教室を出た。朝早くのこんな時間に空っぽの校庭をそそくさと横切りながら、もうここに戻ってくることはないんだと思うと、そのあまりにアッサリとした幕切れに、さびしさより足がすくむような心細さを感じる。


この前後も、母と何か特別な話をした記憶がない。忘れてるだけかもしれないけど、これから家族三人で生きていくということについて何か決意みたいなものを確認し合ったとしたら、忘れるはずがないとも思う。

母もきっと、どうしたらいいのかという気持ちを抱えたまま、とにかく目の前のことについて行くのに精一杯だったのかもしれない。


私たちは、父の会社の社宅をすぐに出なければならなかったのだ。

たった半年住んだだけで、仙台を去ることになった。

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