遠ざけられたという疎外感。#66

父の死を聞かされた瞬間も、そのあと一連の手続きがなされ、葬儀が進行していく間も、私は自分が何をしゃべったか、あるいは何もしゃべらなかったのか、ほとんど覚えていない。


ただ一つ、親戚が集まって、その中の誰かが縁側で私と二人きりで何かを話していた時に、「あんなに泣いているママを初めて見た」と言ったことだけ覚えている。テレビで悲しいドラマを見て、悟られないようにそっと泣いてる姿は何度も見たことがあったけど、というようなことを付け加えた。

その人は、これからお母さんは大変だから、私が助けてあげなくちゃならないねと言った。


母は、お葬式でも何度も、時に激しく泣いていた。私の中には、父が亡くなったことの実感とか、その意味とか、そういうことはまだ漠然としかなく、何より、母がそんなに泣く姿を見ることが一番ショックだった。事の重さ、ただならなさが、そこにこそ表れているように感じられた。


——ある朝起きたら、父が亡くなっていた。

「今日からもういません」と言われてもピンと来ない私。

それまでのここ半年弱は、父と顔を合わせることが、というか、父と過ごした特筆すべき時間や印象深いやり取りが、数えるほどしかなかったせいだろうか。

実際、葬儀が進む中でも現実味がなく、私はあまり泣けなかったように思う。


私が横たわる父に近づいたのは、誰かが「いいお顔ね」というようなことを言いながら、私にも近くに来るように促した一、二回きりだったと思う。

親戚、特に父方の祖母は、私が安置されてる父に近づくことをよしとしなかった。

身内が遺体を清拭する時も、母が私にもやらせようとすると、「そんな(まだ幼い?)子供に」と言って止めた。母は不承不承な態度で従い、私もさびしい気持ちになった。

おそらく、私の年齢を考えての祖母の気遣いだったのだろうけど、今でもやらせてもらいたかったと悔やんでいる。「現実」に身をもって触れた方がよかったのだ。


のちに、父が亡くなったことを、きちんとした形で自分の中に刻めていないことに悩むたびに、あの時の祖母が制止した場面を思い出す。

当時は言葉で捉え切れていなかった疎外感とさびしさ、父から「引き離されている」という感覚。そして、かつて父そのものだった「姿形」に十分お別れできなかったという遺恨のようなしこり、もう取り返しがつかないという喪失感。

子供だった私は漠然としたものしか感じられなかったし、何も言えずになすがまま従っていたけど、死からの一連の流れを思い返すと、「父は私のあずかり知らないところで、隠すように連れ去られていった」イメージになっている。「死そのもの」も含めて。


そんなふうに気持ちが引き離された状態のまま、父はお骨になってしまった。

私は九歳で、妹は一歳になったばかりだった。

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