わかっているのか、いないのか。#33

母の今後について話し合う場で、母本人が呼ばれてくるまで、私たちは入院後の母の様子を聞かされた。

便秘へのこだわりは順調に弱くなっていっていること、基本的には穏やかに過ごしていて、患者さん同士で仲良くなったりもしてるけど、歯磨きや入浴などの身だしなみを保つことが(相変わらず)面倒で、虫の居所によってはそれを促されることに若干強めの抵抗を示す場合があること、など。


だいたい想定内ではあったけど、いかにも認知症らしいと思ったこともあった。

今までの生活では身だしなみを整えさせようと働きかけるのは身内だけだったわけだけど、これを他人である看護師などが促しても強い態度で突っぱねることがあるとは、ちょっと先が思いやられる。


そこへ、母が入ってきた。

私たちが顔をそろえているのを見て、あら! とうれしそうにした。

看護師とソーシャルワーカーが慎重に、「今後どうするか」について話し合いたい、母の気持ちを聞きたい旨、母に話す。

聞きながら私は、今にも母が当然のようにして「家に帰ります」と即答するだろうと思った。


でも、母の態度は、最初からどこか不自然だった。

ソファにことさらに行儀よくシャンと座って、手をひざにそろえて、ヘンに明るく、そしてヘンに謙虚だった。


看護師「どうしましょうか。どうしたいですか?」

母「はい、私はもう、娘たちがこうしていろいろ心配してやってくれるので、そのとおりに


えっ、今なんて言ったの!?

驚きを隠しながら妹を見る。

誰が先に口を開いたか忘れたけど、「私たちは、ママが今の家に帰らずに、困ったことがあった時にすぐに駆けつけてくれる人がいるような所に住むのがいいと思う。そうすると、今回みたいに体調が悪くなっても安心でしょう?」というようなことを言った。


「うん、じゃあ、そうしようか」

そんな感じだった。このアッサリさは、ちゃんと内容を理解できてないせいじゃないのかと、なおも入れ替わり立ち替わり口々に「施設」について遠回しに説明する。

母は「わかりました、娘たちに従います」と、ずっとそういうスタンスだった。


本心だろうか。本当にわかっているのだろうか。この場の雰囲気に合わせてるだけじゃないのか。

ソーシャルワーカーが、適当な施設を紹介業者と相談してピックアップする、と話を進めてる間も、私は半信半疑だった。


ヘルパーなどの話が出た時、また抵抗を示すかと思ったら「今(=入院前)も、午前中だけ娘たちが頼んでくれたお手伝いさんが来てくれてるから、それでもいいけど」と言い出した。

驚いて、何の話? と聞き返すと、「1回750円で家事をやりにきてくれてる」と言う。あぁ、認知症が進んだな、と思った。妹が生まれたあとに母は手術を受けて大変だったので、一時的に家政婦を頼んでいた。おそらく、そのころの記憶と混乱しているのだろう。


「もうすぐ死ぬから」発言を初めて聞いたのも、この時だった。突然トシを取って、自分が死ぬと思ってる年齢にもう到達してると勘違いしていた。

そういうことを勘案しても、今後はやはり一人で置いておくのはよくないと思われた。


結局のところ母は、すべてを本当には理解してなかったのかもしれないけど、少なくともこのまま元の生活に戻らない(方がいい)ということだけは納得していたのかもしれない。

つまり、入院前の体と精神の状態は本人的にも実はつらかったのだろうということ、それと、入院で周りに人がいる環境に慣れた、それが意外に楽しかった、そんなところか。


というわけで一応、母も施設行きを納得、承諾したということで、入院中に施設見学に行くことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る