入院してから(2)〜集団生活の影響#26
入院してから、母の便秘と下剤の問題は徐々に解決していった。
そして、入院生活は、そのほかにも思いがけないよい影響を母に与えたようだ。
私はお見舞いに行くたびに、まず看護師さんに母の様子を客観的に訊くようにしていた。
わりと入院してすぐのころ言われたのが、「いつもあそこに座ってるんですよ」ということ。母は食堂のある決まった椅子を定位置のようにしていて、ベッドで昼寝をする以外の時は、だいたいずっとそこに座っていると言う。遠く食堂の隅にあるテレビをぼんやり眺めたり、人々の行き来を眺めたり、近くに人が座ると世間話をしたりして。
ある時、私と夫が見舞いに行くと、そのいつもの椅子に座った母が、同室でベッドが隣である中年女性と楽しそうにおしゃべりをしていた。あまりに話に夢中なので、私たちは話が終わるまでジャマせずに見ていたのだけど、まったくこちらに気づく様子がなく、延々とおしゃべりに興じている。
「楽しそう」というのが第一印象。リラックスして、自宅にいるようだった。
入院生活が長くなってきたころには、妹は、ボスのように食堂に座っていた母が、新しく入院してきた男性の患者さんに自販機のコーヒーをおごっているのを見たと言う。
一人で家にじっとしているのが好きだと言っていた母なので、人が多くて落ち着かない病院では、ベッドの周りのカーテンを閉め切って一人で過ごすのではないか、それによってますます足腰が弱ったりするのではないかと心配していたが、まったくの杞憂だった。
さらに驚くことがあった。
ある日、見舞いに行って母と一緒に廊下を歩いていると、自分の病室の前で立ち止まって「ほら!」と廊下のつきあたりの壁に貼ってある絵を指差した。何? と訊くと、「あの絵は私が描いたの」と言うではないか。
ビックリして近づいて見ると、大人の塗り絵のような作品で、かなり上手に塗られていた。
母がデイサービスのようなものに参加したことも、上手に色を塗れたことも、それを自慢げに私に見せたことも、何もかも驚きだったし、うれしかった。
もともと趣味で本格的な合唱をやっていたり、カルチャー講座や講演会などに行っていた母。認知症になってからは何ごとも無気力になったり億劫になったりするので、ただ無為に日々を過ごしていただけだったのに、きっかけというか、わざわざ出かけて行かなくても目の前にあれば、ふとやる気になるのだとわかった。
看護師さんによると、廊下を何往復も歩いたり、みんなでやる体操の時間にも参加したりして、それなりに運動していると言う。入院して弱ることを心配したけど、むしろ足腰は鍛えられたかもしれないくらいだ。
いつの間にか、看護師さんに付き添われて売店へ好きなものを買いに行くという楽しみも覚えた。食事時間に合わせてお見舞いに行った時は、三度の食事もしっかり取れていると思えるような食べっぷりを見せ、食欲も増したようだった。それによって胃腸の状態も健全になったのだろう。おみやげに持っていくおやつも、いつもすぐに平らげ、今までにも増して食べることだけが楽しみになってるのかと思っていたけど、ほかにも楽しみがあるようだから、よしとした。
とにかく、見違えるように明るくなったのが本当にうれしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます