入院してから(3)〜認知症へのデメリット#28

入院して、母の健康状態は徐々によくなった。

集団の中で自分の居場所を見つけ、適度に周りとかかわり、精神的にも生き生きしているようにさえ見えた。


その一方で、自宅で長い間に培われた生活のペースが変わったことで、混乱したまま収拾がつかなくなったこともある。

もともと認知症になってからは自発的に入浴したがらなくなったのだけど、入院してからはますますその傾向が強まった。看護師さんに入浴を勧められても、たいてい拒否する。自宅では、私たちが行く時が入浴のタイミングで、洗髪だけは私たちが手伝うという習慣になっていたのが、病院では介助入浴を希望すると曜日が限られ、一度拒否すると次の曜日まで入れない。その前にいつ入ったのかも、本人はわからない。


それに関連して、いつ着るものを取り替えたのか誰も把握できなくなった。娘たちが行くのも交代だったりするので、その時着てる服をいつから着てるのかわからない。かまわずに洗濯しようとすると、必ず「したばかりだから必要ない」と強く拒む。なだめすかして洗うこともあったが、どうにも言うことを聞いてくれない日もあった。


病院では、病状は気にしてくれるが、生活支援的なことまでは細かく行き届かない。爪が伸びていても、切りなさいと言ってくれないし、ずっと同じ服を着ていても、なかなか気づいてもらえない。着替えや羽織りものが布団の上に散乱していても、片付けてくれるわけではない。

それでも入院当初に私が、できる範囲で気づいた時だけでいいので、なるべく身の回りのすべきことの声かけをしてほしいと頼んでいたので、時々「お手伝いできることはありませんか」「○○しましょうか」と言ってくれたらしいのだけど、看護師さんの申し送りで「○号室の●●さん(母のこと)は、看護師がお手伝いしようとしたら激しい口調で『自分のことは自分でできるからけっこうです!』と突っぱねた」と伝えられたことが何度かあったらしい。


プライドなのか、自分でもわけがわからなくて放っておいてほしかったのか。


それから、ある日、私が行くとヒソヒソ声でこう言った。

「シーツを交換する人が、私の白いカーディガンとタオルを2枚持って行っちゃったの。だから、看護師さんに言ったら、今度から持って行かないように言っておくねって言われた」


これには驚いた。白いカーディガンなどそもそも持ち込んでないし、タオルもちゃんと枚数そろっていた。認知症特有の被害妄想が出た、つまり、認知症が進んだのだと暗澹たる気持ちになって、看護師さんにほかにも同じような言動したことはないか訊いたら、盗難があったという話自体を母から聞いてないと言う。「看護師さんに言った」というところも、本人の妄想だったようだ。

病院中に掲示されてる「盗難注意」の張り紙が印象に強くて、たまたま何かの置き場所がわからなくなった時に「盗られた」と思い込んだのかもしれない。


そのほか、まるで子供に返ったような言動が増えて、ハラハラすることが何度もあった。太った患者さんを見て「見て! あの人すごく太ってるよ」と大声で言ったり、スエットのズボンを腰まで下げてる若い男性を見て「お尻見えそうだね」と笑ったり、ソファコーナーの社長風の椅子が空いてる時に「座ってみたかったの」と駆け寄って、両手を広げて大げさにもたれたり椅子を回したり、子供のようにはしゃぐなど。


いっしょにいる時に話すことがなくなると、病室の外に生えている木を見て、あの木はまっすぐなのにこの木は曲がっていると、毎回、何度も何度も同じことを言うというのも、以前よりひどくなっていた。

また、さっきまでいっしょにおしゃべりしていたのに、しばらく食堂のテレビを無言で見ていたあとに私を見て、「あら!」とうれしそうな顔をしたことがあった。その前から私が来ていたことを、数分で忘れ去っていたのだ。


決定的だと思ったのは、自分の年齢がわからなくなったことだ。

ある日突然、「私もうすぐ死ぬの」と言い出した。以前から、自分の母親が亡くなった86歳に自分も寿命が尽きると思い込んでいたのだけど、いつの間にかその86歳になってしまったようだ。違うよと言っていっしょに計算してみせたら、その時は納得したが、次に行くと「あと2年で死ぬの」(つまり84歳との認識)と変わっていた。行くたび違うトシになる。


入院して体はよくなったし、環境に適応して生き生きしてるように見えるが、自分のペースでゆったりとくつろぐのとは違って、変わった環境の中でやや過剰な刺激に常にさらされて、気分やペースが乱れて混乱してる部分も垣間見える。ある意味、一種の興奮状態がずっと続いているような感じでもある。


メリットとデメリット、両方あるのはしかたがないとしても、思った以上に認知症は進んだように見えた。感覚や意識を鈍らせるような投薬を受けたことも多少関係あるのかもしれないと、素人ながらに思う。

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