認知症の人の生活。#3

うちの母は認知症だ。


一度、病気で長期入院をしたせいか、ほかの人よりも早く発症したらしい。


初めてその診断を受けた日、母と別れて一人になったら泣けてきた。


もう今までのように話をしたりできなくなるのかな。

何か話して意見を言われたり、愚痴をこぼしたらそれなりの反応が返って来たりすることも、だんだんなくなるのかな。

そして、近い将来、母は母でなくなってしまうのだ。娘たちの顔もわからなくなるのだろう。


そんなふうに次々と思っては、泣いた。どちらかと言えば「キライ」だった母なのに。


本人より私の方がかなりショックを受けていた。

だけど、今は進行を遅らせる良い薬があるので、その後ずいぶん長い間、初期の軽い状態で持ちこたえ、急に劇的に何かが変わるということはなかった。週一の手助けは必要だったけど一人暮らしもできていた。


もっと言うと、万一まったく放っておいても、身だしなみや健康状態を気にしなければギリギリ一人で生きていけなくはなかった。

だけど、山姥みたいにボサボサの髪で、汗臭い匂いをさせて、汚れた服のまま近所のコンビニやドラッグストアに出かけ、目やにを溜めた目でニコニコしながら、伸び過ぎて折れた長い爪をした指でお金を払う、というような様相で野放しにしておくのは、さすがにしのびなかった。


認知症になると身だしなみを気づかわなくなり、多少のことは気にならなくなる、というか、気にする能力がなくなるらしいのだ。


家事も同じ。

できるけど、しないのだ。まだやり方もわかっているし、体も動くのだけど。

無気力になるせいか、何をするのも面倒くさい。やらなくて済むことはやらない。

そのうち本人も、やりたくなくてやってないのだということにも思い至らなくなり、すべきことをしてないという状況自体を自覚できなくなるようだ。


そのくせ、そのことを注意されたり促されたり心配されたりすると急にシャキーンとなって反発して、あたかもやらないことが主義なんだ、みたいな態度を取る。


身だしなみについては、もう年寄りなんだからちゃんとしてなくても許される。

家事については、一人で一日中座っているだけなんだから、何も汚れないし散らかしてもいない。

——こんなふうに思い込んで、これらを口癖のように言ってくる。


しょうがないので、私たち娘二人は、交代で週一訪問し、掃除と洗濯をやり、入浴させて洗髪をしてやり、爪を切って、一週間分の食料を買ったり作ったりして冷蔵庫に保存し、薬を服薬管理用のポケットのついたカレンダーに入れておく。通院のある時は付き添う。

また、シーズンで布団を干したり、衣替えをしたり、そのほか、なくなったものを補充したり、古くなったものを買い替えたりなどの生活管理をしてきた。


そんな生活が十年くらい続いた。


そして、もうそれではやっていけない、という事態が起きたのが、去年の秋だ。

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