好きな母、キライな母。#60
私は、母がキライだった。
どっちかと言うと、好きではなかった。
好き、大好き、などと、無邪気に手放しで言うことは到底できなかった。
振り返ると、キライと思わされる記憶ばかりたくさん出てくる。
それだとあんまり心が荒むので、よい思い出、好きだと思える小さな記憶の断片をなんとか引っ張り出して、母と自分をつなぎ止めていたようなものだ。
時としてそれが奏効し過ぎて、「やさしいところ、こんなよいところもあった母なのに、母を心から慕えない、キライだ、離れたいと思ってしまう自分は、冷血で恩知らずで、人の道に外れているのではないか」などと思ったりするくらいだった。
便秘と下剤騒動、そして入院、施設入居という道をたどった今、母のことは特別好きでも、キライでもない(強いて言うと、母のことを少し「ふつうの親子の感覚」で捉えられるようになった気はする)。
ただ、子供みたいに無防備で、心もとない存在になってしまった母を、少しでも楽しく、幸せに、長く生きさせてあげたいと思うだけだ。
こんなふうに思う日が来るなんて、想像できなかった。
あるとすれば、病気かなにかで本当に余命幾ばくもないという切羽詰まった段階になってからだろうと。
私たち、どうして仲のよい母娘になれなかったんだろうね。
ふだんは意識しなくても、気づけばふつうに思いやり合っていて、最終的には一番の味方なんだと思える安心感。
何でも言えて、甘えられて、故郷のような存在で、ふと帰りたくなるようなあたたかい懐。
そういうものを、一度もどこにも感じたことがなかった。
私(たち娘)のこと、本当にどう思っていたの?
面倒くさいお荷物? でも、ガマンして育てれば、いつかは自分の面倒を見てくれるだろう存在?
親は、本能的に子供を愛するものだ。自分を犠牲にしてでも、守ろうとするものだ。身を削ってでも子供のためにと考え、引き離されそうになったら死に物狂いで引き止めようとする。
そんな、いわゆる理想の親像を母の中に一度も確かには感じられなかった私は、鈍い子供だったのだろうか。向けられた愛情を受け止めるセンサーが欠落してるのだろうか。決定的に大事なものにさえ気づけなかった、歪んだ心しかないのだろうか。
それとも、本当は誰にとってもそんな理想像なんて幻想で、現実にはどこにもそんな親はいないのに、子供というものは自然と親を慕い、感謝し、大切に思うようになるものなのだろうか?
だとすると、悪いのは私ということになる。
むしろそう思い(自分を罰し)ながら、なんとか折り合いを付けて、ここまでやってきたような気もする。
もう、意識的に母とこういう話をすることはできない。母から、そのような能力は失われてしまっている。いや、もっと前にわだかまりを解きたいと思って話したことがあるけど、その時だってはぐらかされた。
今は、完全に諦めている。というか、ここまで来た今、過去のわだかまりはどうでもよくなった。
私はそれなりにトシを取ったし、母も以前の母ではない。
キライな母も、好きな母も、淡淡(あわあわ)と溶け合って、どこかに流れていった感じだ。
それに、良くも悪くも、過去だろうが現在だろうが、いろんな ”感傷” を手放さなければ、これからの新しくて、かつ最後であるステージを乗り切っていけない気がしている。
強く淡々と、やっていきたい。
思うばかりで、まだ心はゆらゆらとぶれているけれど。
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