苦難の始まり。#70

母と、祖父母をはじめとする親戚との間で、私たち親子の行く末について何らかの話し合いが持たれたのではないか。

それについて今あらためて考えてみることは、その後の母について考えるヒントにもなると思われる。


いいトシになってから、私はたまたま叔母から昔の話を聞く機会があったのだけど、その話の中にこんなのがあった。

叔母によると、父がお金を出して祖父の名義で不動産を持っていたらしく、一歳の妹を抱えて途方に暮れている母がその財産を生活の糧としてもらうことが期待されたが、祖父は譲らなかったらしい。聞けば父は相当な親孝行をしており、毎月仕送りもしていたという。なので、それくらいは……ということだったのだろうが。

さらには、会社からは退職金やお見舞金などが出たようだけど、それもいくらか取られたと言っていた。しまいには、残ったお金を増やすべく祖父は母に株を薦め、最終的には損失を出すことになったのだ、と叔母が教えてくれた。


おそらく、どん底の気持ちでいた母(と私たち)に、周りがいろいろと手を差し伸べてくれるどころか、自分たちの権利とか取り分を主張し、母は突き放され追い詰められた気持ちになっただろう。

それが、あの号泣の場面だったのではないか、と推測される。


さらに、これはのちに母に聞いたのだが、父の死後、父が母に内緒である薬を飲んでいたことが判明したそうで、母が父の健康管理をきちんとしていなかったと、父の両親から責められたらしい。私も父が何か薬を飲んでいた印象はあるのだけど、胃下垂を矯正するベルトの一件もあるし、胃薬でも飲んでいるのだろうというイメージだった。

それが実は、血管系の薬だったということなのか。

父の死因は当初「脳溢血」と聞かされていたけど、厳密にはくも膜下出血だったようだ。何か兆候があったということで予防の薬を飲んでいたとすれば、それを母が把握していなかったことは、祖父母からしたら妻の不行き届きだと思われたのだろう。


祖父は、長男の父に目をかけ、かなりかわいがっていた。祖父もまた、息子の喪失があまりに無念で、少し常軌を逸した言動をしていたのかもしれない。


それから、私がいくつの時だったか、母に「あんたたちをパパの実家に置いていくという話があった」と言われた。そうすれば、まだそこそこ若い年で自分は人生のやり直しができたのだ。でも、そんなことになったら子供がかわいそうだと思ったからそうしなかったのだ、と。

初めてこれを言われた時、私は「恩を着せられた」と思った。そして何より、自分の子供にそんなこと(手放そうとしたこと)を言うなんて、と悲しかったし、それをわざわざ言ってきたことに対して腹が立った。

「子供がかわいくて手放すなんてできなかった」のではなく、自分の人生をやり直すためにそういう選択肢を取るべきだったのに取らなかった、だから感謝して自分に尽くせというニュアンスだったからだ。


この母の言葉をどう捉えるかは別にして、もし本当に、祖父母にとって初めての孫で内孫でもある私たち(女の子二人ではあったけれど)を引き渡すという話があったのであれば、あの時に話し合われたことの一つだったのかもしれない。

結果、そうはせずに、住む所も母の実家を選んだということで、祖父にはおもしろくない気持ちもあったのだろうか。

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