私が幼いころの母。#27

結局は、同じ田舎の隣町出身同士というような間柄で結婚することになった母と父。二人は父が大学を卒業して就職するとともに、その職場のある街の社宅に移り住んだ。

おしゃれが大好きで、そのころどこかに出かけて撮った写真の中の母は、どれも皇室の人かと思うようないでたちだった。頭の先から足の先まで完璧にスタイルアップしている。美容師の資格を取ったのに、それを生かして働くこともなく専業主婦になり、自分自身が着飾るしか腕を発揮する場がなかったのかもしれない。


やがて私が生まれ、子育てが始まる。そのころの写真の母は、私を抱いて幸せそうな笑みを浮かべてカメラを見ている。子を慈しむような ”母親の顔”。小学生時分にその写真を見た時、これはまさに「子供を愛し、子育てを楽しんでいる」母親というものを象徴するかのような写真だと思ったものだ。


そういう時代だったのだろうけど、私の服は半分以上、母が手作りしていた。私はそういうところの感性はまだ鈍かったので、それをどうこう思うことはなかったけれど、一度、近所のお友だちとうちでバレエごっこをした時に、その子に比べて私の「衣装」はおしゃれじゃないと感じたことがあったのを覚えている。


白鳥の湖のレコードをかけて、私たちは踊って遊んでいた。

その子は頭にちゃんとしたカチューシャをつけて、フリルのついた白いシュミーズにフリフリのスカートを履いて、かわいらしい白鳥のお姫様になっていた。

一方の私は、ふつうの白いフェイスタオルを頭に巻いて(お風呂上がりのオバさん風)、ふつうのランニングの白いシャツ(お風呂上がりのオッさん風)にふつうのプリーツのスカートを履いていた。そして、子供心に「なんか違う」と。

人の家に来るのに、その子の準備万端ぶりもすご過ぎるけど、母の「間に合わせ」の適当さもどうかと思う。


自分(母自身)の完璧なおしゃれ、子供の服を手作り、女の子の成りきりごっこ遊びへの適当な対応。いま思えば、この三つは何となくアンバランスな感じがする。そういう時代(子供にお金をかけない)と言えば、言えなくもないが。


一方、父の服装はきちんと整えていた。それも時代なのか、そういうところにはお金をかけていた印象がある。ひょっとしてオーダースーツだったのではないかと思う。


家庭に入り、夫の世話を完璧にする。子育ても一人で担う。そういう昭和の典型みたいな妻であり、母だった。

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