八月の悪夢(7)#95

問題が根本的に解決したと母に思わせるためのウソのストーリー。


内容はこうだ。

「私が警察に真相を確かめた結果、、誰かが何かの理由で母を調べてほしいと通報したから、警察は調べにきた。警察もそんなことはないだろうとは思ったけど、呼ばれたからには形式的にでも調べなくてはならない。そしてもちろん、調べた結果、何もなかったのでそのまま帰った。警察が母に何も言わなかったのは、何もなかったからだ。

そして問題は、母も気にしてる誰が通報したかという件だけど、これからも、ありもしないことでいちいち誰かが警察に通報したりしたら困るということで、施設の人も問題視して、誰がやったのか調べてくれた。その結果、最近入ったばかりの新しい若い男性職員が通報したとわかった。入ったばかりで、何かを勘違いしたらしい。誰にも相談しないでいきなり警察に通報したり、ほかにも似たような問題行動が多いので、すぐにクビにした。だから、その職員はもういない。

これからはヘンな勘違いして通報する人もいないから、母も安心していい。この件は、もう解決した」


誰かが通報したことを否定しないことと、施設の人やほかの入居者への敵意を解くことを両立させなければならない。そこが最大のポイントだった。今、周りにいる人の中に、もう敵はいないというふうにするのだ。

このストーリーを、私たち家族だけでなく、施設の人にも共有してもらう。

さっそく電話で施設に伝え、こちらが母と話す前であっても、機会があったら言ってみてほしい、あるいは母から何か訊かれたら、このストーリーに合わせて受け答えしてほしいと言うと、了解してくれた。


結局、私が一番最初に電話で母にさわりを伝えたのだけど、本当? と訝りながらも、それ以上は突っ込んでこなかった。


8月14日当日は、私と夫が朝早く遠方から車で出発し、母を迎えに行った。すると、施設の人に「待ってました!」と言わんばかりに出迎えられた。「ゆうべからお墓参りに行くって言って、身支度をして何度か事務所に来たんですよ。遠いから、娘さん来るまで待っててと、なだめてたんですよ」とのことだ。

何であれ目先のことに囚われて、落ち着かなく、やはりずっと軽く興奮状態なのだろうか。


病院へ向かう道中、本人の様子を直接探るため、いま現在、何をどう思っているのかを引き出そうと話を振った。

「いま、何か困ってることがあったよね。その後、どう?」

すると、警察騒ぎの話ではなく、思いがけない話を始めた。


おそらく、デイサービスのことだろうと思うのだけど、参加者20人には工作の材料が与えられた。自分は21人目で材料が足りなくて、しかたがないので、机の上にあった原稿用紙に作文を書いた。ほかの人は2、3枚しか書けなかったのに(←工作はどうした!?)、母は数十枚書いた。そして、その内容がすばらしいということで、地元の知事が感激し、東京都知事に作文を送ると、そこでまた褒められて、最後は天皇陛下のところに届けられた。これはすばらしい内容だということで、世界中の図書館に「日本のいち老女が書いた作文」ということで貼り出されることになった。


「すごいね、よかったね」と言うと、「いや、私は困っている」と言うのだが、まんざらでもない様子。

「別に困らないでしょう?」と言うと、みんなに妬まれるからイヤだと言う。どうしてあの人が!? とさっそく噂になっている、ヒソヒソ話してるのが聞こえるというのだ。

内容がよかったんだから、堂々としてれば? と言うと、みんなはそれがわかってなくて、「あの人(母のこと)の名前が、学校の社会の教科書に載ってる人と同じ名字だから、あの人は目立つんだ」とか言われるのが腹立たしいと。でも、中にはちゃんと母のことをわかってる人もいて、「あの人は中卒だけど、そのあと専門学校に行ってよい成績を修めた。けっこう優秀な人なんだ」と言ってくれてる人もいる、と。


「わかってくれてる人もいるなら、それでいいじゃない」と話を合わせるも、病院に着くまでも、着いてから待合室で待ってる間も、ずっと同じ話を繰り返し続けた。


一方、その話の間を縫って、警察の件だけど…とこちらから言うと、あぁ、あれ……くらいの反応だった。


例のストーリーをもう一度聞かせて、疑いが晴れてよかったね、その人もクビになったから、これからも問題は起きないと思うよ、と言ったら、本当に納得したのかどうかはわからないけど、一応は話を受け入れたようだった。

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