願望から来る妄想。#76

施設の親切で模様替えされた母の部屋。

不要だと判断された物は空き部屋へと追いやられていた。取り払われた物を月末までに片付けてもらえますかと言われ、前回あんなに片付けたのに、また一からか……とため息が出た。全部、処分しろと言われてるようなプレッシャーも勝手に感じて、悲しいような腹立たしいような、どうしようもない気持ちだった。


実際的に必要がなくったって、持っていたい、飾っておきたい物もある。人間ってそういうものだ。

そう強気に思ってみるものの、あんなにいろいろ重労働をやってもらった手前、あまり反抗的なのもどうか、とヘタレ根性が頭をもたげる。

さんざん悩んだ結論は、一部は元に戻させてもらい、一部は完全撤収でうちで引き取るというふうに半々にした。


そういえば、家具の移動でベッドの金具が壊れていたことも判明。買ったばかりの新品だったのに、とちょっと苦々しく思う。

床板のフレームについた金具がヘッドボードのフックにきちんとハマっておらず、母が寝た時の重みで板が半分落ち込んでいた。金具自体も曲がってしまっていて、そのせいでボードの表面にギザギザのキズもついていた。フレームが落ちかかっているので、当然すのこ板も完全に落ち込んでいて、よく寝ていて大丈夫だったなと思うような状態だった。がんばって元に戻そうとしたが、金具が曲がってしまっているので、今も少し危うい。行くたびに、チェックして直して調整している。


もうこれは、いい。なってしまったものは元には戻らない。

うちで引き取った荷物が増えたので、我が家はますますカオスと化して片付く気配もないが、母のところはとりあえず片付いた。


それより問題なのは、この騒動で浮き彫りになった母の気持ちだ。そして、それを考えてしまって、まだ整理がつかない私の心だ。


友人で、やはり認知症の母親を持つ人がいる。程度はうちより重症で要介護度も高いのだけど、まだ一人暮らしをしている。

お兄さんが遠方で、彼女は既婚で母親と同じ市内に住んでいる。認知機能が著しく衰えているので常にわけがわからず何ごとにも混乱して、一日に10回くらい娘に電話をかけてくるのに加えて、認知症性の鬱にかかっているので、電話口で泣くのだと言う。

彼女は自分の家にお母さんを引き取りたいのだが、旦那さんが承服しない。

幸い、しっかりしたケアマネさんが付いて、介護サービスも目一杯利用して何とか生活はやれているのだけど、問題はお母さんの精神面と、それをかわいそうだと感じる娘の気持ちだ。


介護では、こういうことが本当にキツい。心が晴れないし、ストレスもかかる。

実際に自分が手をかけている状況ならば、それはそれで精神面だけでなく肉体的にも大変でつらいだろうけど、そうじゃなくてもつらい場合があるのだ。


うちの母は、以前の一人暮らしの時分にも、妄想に取り憑かれたことがあった。

「昔好きだった人」が一緒に暮らそうと自分を迎えにきてくれると思い込み、その電話が夕方にかかってくるはずだと毎日待っていた。何か話をしていても、突然「あ、いま電話鳴らなかった?」と耳を澄ませるようなしぐさをする。

やんわりと、そんな電話来ないんじゃない? と言ってみるのだけど、昨日もおとといも電話は来たけど、自分が聞こえなかった、自分が席を外していた、などの理由でまだ話せてないだけだ、と言い張っていた。


そのころは、まだそんな認知症だとも認識しておらず、実際に何かそいういうことがあるのかなと漠然と思っていたくらいだったけど、もう発症していたのだろう。そして、それも本人の潜在的な願望が妄想になって現れていたのだと思う。


実は、もうあんなずっと前から一人でいることがさびしかったのかもしれないなどと過去を振り返りながら、今、「下の娘が荷物を持って一緒に住みたいと言って来る」という妄想を聞かされると、やはり施設に一人でいることを母が快く感じてないのかと胸が痛む。直接的に母の気持ちを知ることができないだけに、施設に入れたことの申し訳なさと相まって、ずっと悶々としている。


施設に入ったら一安心。そんなこと、全然なかった。

私は思い切りが悪いのだろうか。

友人のように、引き取りたいと思ったこともあった。でも、夫よりも私が躊躇した(#63で書いた通り)。

そんな私は冷たいのだろうか。思考が延々とループする。


模様替え騒動から引き起こされた妄想=願望を目の当たりにし、私の気持ちは振り出しに戻ってしまった。

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