理解できなかった怒り(2)#32

もう一つの記憶は、外で友だちとふざけ合って遊んでて、私がこっぴどく転んでケガをした時のこと。

砂より少し大きいくらいの細かい砂利が散らばったアスファルトの上で、足が滑ったのだった。いっしょにいたのは男の子で、やーいやーいと転んだことをバカにされた。

ひざに丸くて深いすり傷ができて、そこに細かい砂利がたくさん刺さり込んでいた。私は、まだそれほど泣いてない状態で足を引きずりながら家に帰って、母を呼んだ。


そのケガを見た母はものすごい剣幕で怒り、また私の腕を強く引っ掴んでお風呂場に連れて行った。そして、傷口にザァザァとシャワーの水をかけながら、怒って何かを怒鳴っていた。私はその状況の方がこわくて、そこから激しく泣き出した。


「バカな遊びをしたから悪い」「不注意だからこんなケガをした」「何バカなことをやってるんだ!」。

そんなようなことを言われて、「わざとじゃないのに」と思ったことは覚えている。

いっしょにいた男の子がケガのことを笑ってはやし立て、それを私が可笑しいことのように言ったのにも腹を立ててたみたいだ。


とにかく、とんでもないことをしてしまったのだという恐ろしい思いと、痛くてやさしくされたかったのに、怒られているということを「理不尽」に思いながら、私は泣いた。シャワーの向こうの母は、鬼の形相だった。


漠然とだけど、母は私が何か母の気に入らないことをしてしまうと、絶対に許せないのだと思った。

ただ、何が気に入らないことなのか、どうして気に入らないのか、基準や理由はさっぱりわかっていなかった。怒っていることはわかるのだけど、内容は理解できない。


本当は、ひとつひとつ怒られるたびに、親の考えのようなものを学び取っていければよいのだろうし、それがしつけとか教育というものなのだろうけど、まったくと言っていいほど奏効してなかった。私がアホだったからなのか、それとも?


幼稚園のある時点までは、大きな視点からやさしく見守っていてくれた印象だった母も、成長とともにもっとしっかりしてくるはずの子供が、いつまでも思ったようには進歩しないように感じて焦り始めていたのかもしれないと、今にして思う。

知らない土地に引っ越してきて、気を張っていたということもあったかもしれない。女の子なのに跡が残るようなケガをしたということが、許せない(誰を?)という思いも?


ちなみに、ひざのケガは確かにかなりのオオゴトで、結局は病院に行ってそれなりの処置をされ、しばらく包帯を巻いてヨタリヨタリと歩いていた。傷跡は今も残っている。


父の初めての転勤後はこんな記憶ばかりが鮮明で、大人になって、ある思いを抱きながら振り返っていると忘れがちになるのだけど、よい思い出もある。

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