八月の悪夢(2)#90
自分は何もしてないのに調べられた。
誰かが自分を通報した。
この二つの、事実とは違う思い込み=被害妄想を抱いているらしいので、警察が来た本当の理由を説明して、母の部屋は調べられてないから大丈夫だと言い聞かせようと考えた。
「あのね、そうじゃないから、大丈夫だから。ちょっと聞いてくれる?」
興奮して被害を訴える母をまずはなだめた。なるべく穏やかにやさしく。
「なにっ?」とぶっきらぼうながら、やっと言ってくれた。
「熱中症で亡くなった人がいるでしょう? どうして急に亡くなっていたのか、原因がすぐにわからない時は、警察の人が来ることになっていて、一応、状況を調べて、それでやっぱり熱中症ですねってわかったから、何も問題なく終わったって。その人の部屋にしか入ってないんだよ。ママを調べにきたわけじゃないから、大丈夫だよ。何ごともなかったって、もう全部、無事に済んだから」
すると、また思わぬ反論が来た。
「何、言ってるの! 施設の人がそう言ったの? 違うんだよ! 電気ポットのコードの向きも変わっているし、引き出しも開けたあとがあるし、ゴミ箱の位置も変わっているし、全・部・調・べ・て・行ったの! 『何もしてませんよ〜』なんて私を騙して……アイツらみんな、ウソついてんだから!! 私にはわかってるの! 調べて行ったの!」
「あのね、何もしてないのに、どうしてママを調べるの? 位置が変わっているのは、お掃除が入ったからじゃない?」
「バカだね! 私が何もしてないのに、私のことを調べるようにって通報したヤツがいるからだよ!! だから、私は言ってるの! 何もしてないのにこうやって調・べ・て・行・っ・た・ん・だ、って! それなのに、何もしてませんよ〜って、ニヤニヤして。通報したヤツも、誰だかだいたいわかってるんだ!」
ダメだった。完全に妄想に入っている。こういう時は説得してもダメなので、なんとかその話がおかしいことに自分で気づいてほしくて、手を替え品を替え話しかける。
「あのね、熱中症で亡くなった人がいて、そういう時は必ず警察が来ることになってるんだけどね、もしもだよ、もしママの部屋も調べたとしても、何もなかったってことでしょ? だから、警察も帰って行ったでしょ? てことは、もう大丈夫なんだから、夜のごはんは食べてね」
「違うの、私を調べにきたの! どうして私の話を信じないの! こんなことして、絶対に許さないから!」
ガチャンと電話が切れた。
かなり悪い状態だった。ズキズキする自分の胸をなだめながら、また考えた。否定の要素を入れたらダメだ。話を合わせながら説得しなくては。それは、認知症の被害妄想に対してあまりに基本的なことではあるのだけど、話が突拍子もなかったので、ていねいにまともな説明をすれば自分で気づいてくれるかと思ってしまった。
作戦を変えよう…と思いながら、電話をかけ直した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます