俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、茶わん蒸しを食べたいらしい。

「うん、物足りない」

 ある土曜の夕方、小野寺さんが俺の家の食卓に座り、呟く。その近くにいた俺のお母さんはオロオロとしていた。

 一体、なぜ彼女はここにいるのか?

 数十分前の出来事を思い出しながら、食卓の上に置かれた食べかけの茶わん蒸しに視線を移す。


 始まりは、マンガ雑誌を買うために立ち寄ったコンビニから自宅へ戻ってきた時。「ただいま」と声を掛け、玄関で靴を脱ぐと、視界に一足の靴が入った。それは学校指定の女子生徒用のモノで、キレイに揃えられている。

 違和感を覚えながらも、リビングに顔を出した俺は、思わず買ってきたマンガ雑誌を床に落とした。

「なんで、小野寺さんが……」

 そう呟いた俺に気が付いた小野寺心美は、かわいらしいピンク色のワンピース姿を見せびらかすように、ソファーから立ち上がる。

「倉雲君、待ってたよ♪」

「ちょっと待て。約束もしてないのに、なんで俺の家に転がり込んできた」

「学校休みだと、なかなか会えないでしょ?」

「理由になってない。大体、この家の隣の洋館に住んでいるんだから、会おうと思えば会えるんじゃないか?」

「だから、会いに来たの」


 夕食を作りながら聞いていた俺の母親は、顔を赤くする。

「あれ? もしかして奈央なおの彼女? そういうことは早く言ってよ。友達だと思って家に上げたのに」

「お母さん、俺たちはまだ友達以上の関係ではないんだ」

「それと、聞き間違いかもだけど、その小野寺さんだっけ? 隣の洋館に住んでいるって言わなかった?」

「ああ、そう言ったよ。だけど、おかしいんだ。あの洋館に住んでいる人が俺と同じ中学に通うはずがないし、そんなことがあるなんて聞いたことが……」


 息子の話を最後まで聞かない母親は、猛スピードで小野寺さんに駆け寄り、彼女の両手を握った。

「奈央をよろしくお願いします。結婚を前提にしたお付き合いなら、反対しないわ。いっそのこと、婚約を……」

「気が早い!」

「玉の輿よ。玉の輿。こんな大金持ちの夫になれるなんてスゴイよ」

 両目に大金という文字が浮かぶ母親は、喜びながら視線を小野寺心美に向ける。

「小野寺さん、もし良かったら、夕食を食べない? こんな庶民の料理は口に合わないと思うけど……」

「いただきます。ディナーの約束はキャンセルします」

 即答し、カバンからスマートフォンを取り出す。それを見て、俺のお母さんは両手を合わせた。

「そうだ。この機会に連絡先を交換しなさい。どうせ、まだお互いの連絡先を知らないんでしょう?」

 メールを打ちながら、心美は目を輝かせた。

「大賛成です。連絡先知りたいです」

 2人の熱い視線が交錯し、俺はスマートフォンを取り出した。

「分かった。交換すればいいんだろ。交換すれば」

 ぶっきらぼうな俺の反応を前にして、お母さんは怖い顔になった。

「もう一度。えっと、小野寺さん、名前なんだっけ?」

「心美」

「心美の連絡先が知りたいんだ。教えてくれないか。子猫ちゃん。リピートアフターミー」

「言えるか!」

 

 ピロンという音が鳴り、小野寺さんは手にしているスマホの画面を見る。それから、彼女は深い溜息を吐いた。

「あっ、ダメみたい。5分待つから帰ってこいって。でも、目の前に料理があるんだったら、ちゃんと食べなさい。料理人に失礼だからってメールに書いてある」

「そう、だったら茶わん蒸しだけでも食べない? それなら温めればすぐに出せるし……」

「茶わん蒸し、食べたいです。お義母さん」

「心美ちゃん。分かったわ。すぐに温めるから。奈央。スプーン出して」

「お義母さんと心美ちゃんって呼び合い始めやがった!」


 渾身のツッコミの後、小野寺さんは優しく微笑んだ。

「倉雲君、私のことを心美ちゃんって呼んで。もしくは心美って呼んでもいいよ。私も今後は奈央って呼ぶから!」

「呼べるか!」

「あっ、ごめんなさい。少し急ぎすぎたね。しばらくは倉雲君って呼ぶわ。奈央って呼んでみて、恥ずかしかった」

 ツッコミのことなど気にしない小野寺さんの頬が赤く染まる。

 

 残り4分。食卓の上に茶わん蒸しとスプーンが置かれた。「いただきます」と両手を合わせ、スプーンを手にし、茶わん蒸しを掬う。


 そして、残り時間3分を過ぎた辺りで、小野寺さんは呟いた。

「うん、物足りない」

 その一言を聞き、俺のお母さんはオロオロする。

「心美ちゃん。もしかして、庶民の料理は口に合わなかった?」

「うーん。おいしい部類に入ると思うけど、何か足りない気が……」

「もしかしたら、調味料を間違えたのかも?」


 そう結論付けようとしたその時、小野寺さんは思い出したように、両手を叩いた。

「そう。春雨。春雨が入ってないんだわ」

「春雨」

 お母さんと一緒に俺は目を点にした。

「茶わん蒸しには春雨が入ってるって、聞いたことがある。ちょっとだけ庶民の家に居候したことがあって、その時に食べた茶わん蒸しには春雨が入ってたから間違いないよ」

 そう話しながら、彼女は2分で茶わん蒸しを完食した。そして、時間を確認した後、顔を赤くしながら頭を下げる。

「倉雲君。また学校でね」

「ああ」

 ぎこちない挨拶を交わし、嵐のように訪れた自称資産家令嬢は俺の家から撤退した。


 それから数分後、俺のお母さんは食器を片付けながら、あることを思い出した。

「春雨の入った茶わん蒸し。そういえば、聞いたことがあるわ。山陰地方の茶わん蒸しには、春雨が入ってるって。多分、心美ちゃんは山陰地方の家に居候したことがあるのよ」

「そういうことなんだろうなって、山陰地方の庶民の家に居候? 何やってるんだよ!」

「ホラ、きっと庶民の暮らしを理解するためにホームステイしたんだよ」

 そんなお母さんの推理を聞くと、疑惑が強くなっていった。

 

 そもそも、小野寺さんは本当に資産家令嬢なのだろうか?


 謎が深まっていく中で、俺は夕食の準備を手伝い始めた。

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