俺のクラスの学級委員長は、美術鑑賞したいらしい。

 ある日曜日の昼下がり、自分の部屋のベッドの上に寝ころびながら、昨日発売されたマンガ単行本を読む俺の耳に、スマホのバイブ音が届いた。

 同じようにベッドの上で転がっていたスマホを手に取り、画面を見た俺は、思わず首を傾げる。

 非通知としか表示されていないスマホ画面を不審に思いながら、通話ボタンをタッチすると、聞き慣れた声が流れた。


「倉雲くん? 私だけど……」

「ああ、いいんちょか? いきなり非通知でかかってきて、ビックリした」

「ごめんね。昨日、退院してからスマホをどこかに落としたらしくて……」

「珍しいな。しっかり者のいいんちょが、そんなミスするなんて。大丈夫か?」

 心配と共に驚きの声を漏らすと、いいんちょは珍しく沈黙した。

「……警察にも連絡したから、大丈夫だと思うよ。今は、警察署の近くにある公衆電話から倉雲くんに電話中。ところで、倉雲くん、今何してるの?」

「自分の部屋でゴロゴロしながら、マンガ読んでたところだな」

「そうなんだ。彼女の心美ちゃんとデートしてるのかと思った」

「心美は、今日忙しいみたいだからな。それで、何の用だ? わざわざ公衆電話から俺に連絡するなんて」


「倉雲くん、今から私と付き合ってくれますか?」

 その一言を聞いた瞬間、俺の頭は真っ白になった。

 それから、すぐに首を左右に振る。

 今まで、いいんちょは、双子の妹関係の頼み事があった時に、付き合ってほしいという言葉を使ってきた。

 つまり、彼女になってほしいという意味ではないはず。

 そんな考えを頭で巡らせる中で、俺のスマホから、「もしもし」という声が流れた。


「聞こえてますか?」と心配する学級委員長の声を聞いた俺は頷いてみせる。

「ああ、ちょっと考え事をしていたんだ。それで、今日はどうして、俺を呼び出そうって思ったんだ? また妹の東野吹雪絡みか?」

「ううん。吹雪は関係ないんだけど、倉雲くんと2人きりで遊びたくてね。ちょっと、ウチを追い出されちゃったから、暇なんだよね」

「ウチを追い出されたって、何をしたんだ?」

「例の事件の影響だよ。ウチのブックカフェに、東野吹雪似の看板娘がいるっていう情報が、一般人にも認知されたから、今、ウチの前に数千人規模の行列ができちゃったんだ。それで、私も店を手伝おうと思ったんだけど、退院して間もないからってことで、気晴らしに誰かと遊んで来いってお父さんに言われて、家を追い出されちゃった。夕食の頃には帰ってきていいから、帰る家がないってわけじゃないから」


「ああ、事情はなんとなく分かったけど、それなら、どうして俺を誘おうと思った?」

「……さあ、どうしてでしょうか? とにかく、暇だったら、今から美術館に来てほしいなぁ。財布の中に、常連さんからもらった美術展のチケットが2枚入ってたから、2人きりで美術鑑賞したいよ。お願い♪」

 はぐらかされてしまったような気がしたままで、俺は頭を掻く。

「ああ、分かった。今からだと午後2時くらいに着きそうだが、大丈夫か?」

「大丈夫だよ。じゃあ、待ってるから」


 電話が切れた後、俺は違和感を覚えた。

 今日のいいんちょは、何かがおかしい。

 全く真意が読めないままで、俺は部屋着を脱いだ。

 そして、白黒のボーダー柄のTシャツに、水色の薄手パーカーを合わせ、茶色いチノパンを履いてから、すぐに待ち合わせ場所へと足を運ぶ。


 突然の呼び出しから1時間後、待ち合わせ場所の美術館の前で周囲を見渡した。

 すると、前方に見える美術館の入り口の前で、かわいらしい白色のワンピースを着たウチのクラスの学級委員長を見つけた。


「あっ、倉雲くん。待ってたよ♪」

 いいんちょが、俺に対して右手を振ってから、俺の元へ歩み寄る。

「いいんちょか? 待たせて悪かったな」

「じゃあ、早速、行こっか」

 ウチのクラスの学級委員長の微笑みを間近で見た俺の頬が赤く染まった。

 それに追い打ちをかけるように、いいんちょは俺の右手を掴み、自分の左手と結んだ。

 突然、人気アイドルと瓜二つな同級生と手を繋がれてしまった俺の顔が、真っ赤に染まる。


「いっ、いいんちょ、どっ、どうして俺と手を繋いだ? こっ、こんなところを誰かに見られたら……」

 誰が見ても明らかに動揺していると答えるような表情の俺と顔を合わせた学級委員長が、ニヤニヤと笑う。

「心美ちゃんが私と同じことしたら、倉雲くん、死にそうだね。あっ、今日は手を離さないから。私が超人気アイドルの東野吹雪だって勘違いした人たちにモミクチャにされたら、はぐれちゃいそうだから。それに、今の私は、スマホ持ってないから、連絡もできないしさ」

 いいんちょは俺の耳元で囁いてから、ギュっと俺の右手を掴んだ。

「だから、俺は心美と付き合っているんだ。それなのに、別の女の子とこうやって、仲良く手なんて……」

「ふふふ。倉雲くん、ホントに心美ちゃんのことが好きね」

 いいんちょが、俺をからかうように笑う。それからすぐに、手を離したウチのクラスの学級委員長は俺に背中を向けた。

「じゃあ、早速、行こっか」


 自動ドアを潜った先にある受付でチケットを渡し、展示スペースへと足を進める。

 館内に展示された多くの絵画の前で人々が立ち止まった人々に混ざって、2人並んで絵画を眺めていく。

 そして、絵画に夢中な人々を横目で見ていた俺は、右隣のいいんちょに小声で耳打ちした。

「みんな、気付いてないみたいだな。ここに人気アイドルの東野吹雪のそっくりさんがいるのに」

「そうね。それにしても、この絵、キレイだね。見惚れちゃいそう」

 迷惑にならないよう小声で話しかけられた俺は、目の前に飾られている絵画を瞳に映した。

 それは、朝日に照らされた街並みの風景画。どこか幻想的な雰囲気も感じ取れる絵画に見惚れてしまう理由も頷ける。


 5分ほどその場に留まって、次へ進むと、紫色の絵が見えてきて、思わず頬が熱くなった。その絵の前で立ち止まってから、ゆっくり見ると、ラベンダー畑の風景が描かれているのが分かる。

「もしかして、心美ちゃんのこと考えてるの?」

 右隣にいる学級委員長に小声で話しかけられ、頷いた。

「そうだな。この絵を見たら、心美の笑顔が脳裏に浮かんだんだ。そういえば、ニュースやCMでラベンダー畑が出てきたら、心美のことを思い出すことが多くなっているんだよな。この絵を心美に見せたら喜ぶだろうなって考えてしまう」

「倉雲くん、ホントに心美ちゃんのことが好きだね」

「まあな。この絵の題名みたら、最初に心美と会った時のこと思い出した。別れ際にラベンダーの花を渡されたんだ。花言葉は明日に期待して。ちょうど、その絵と同じ題名だろう」


 いいんちょが、ラベンダー畑の風景画の真下に書かれた題名に視線を送る。

 すると、ウチのクラスの学級委員長はニヤニヤと笑った。

「もしかして、その時から心美ちゃんのことが……」

「いや、好きになったのは、それよりも後だと思うぞ。まあ、心美はもっと昔から俺のことが好きだったらしいけど……」

 小声でボソっと呟いた声を聞き逃さなかった、いいんちょがその話に目を輝かせて食いつく。


「昔からって?」

「悪いが、俺も分からないんだ。小さい頃に会ったって記憶もないし、心美は俺のことが好きになった理由を教えてくれない。分かっていることは、心美は俺と同じ中学に通うために、反対を押し切って転校してきたってことだけ」

「そうなんだ。それは気になる話だね。もしかしたら、アルバムに小さな倉雲くんと心美ちゃんが一緒に映ってる写真があるかもよ」

「そうかもな。今度、調べてみる」


 一通り絵画鑑賞を済ませた頃には、青かった空は赤く染まっていた。

 美術館の入り口の前で夕焼けを眺めると、いいんちょが俺の隣で同じように空を見上げる。

「もうこんな時間かぁ。今日のデートは楽しかったね」

「えっと、デートって……」

 いいんちょの発言を耳にした俺の頭が真っ白になっていく。

「そう。異性が仲良く2人きりで遊ぶことを、デートっていうんだよ? 知らなかった?」

「待て。俺は、心美とのデートの練習のつもりで誘ってきたのだと思っていたんだ」


 動揺を隠しきれない俺から、いいんちょが離れていく。

 それから、ウチのクラスの学級委員長は体を半回転させ、夕日をバックに右手を振った。

「じゃあね。倉雲くん。明日から、学校行くから」


 こうして、いいんちょとの不意打ち初デートは幕を閉じたのだった。

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