俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、壁ドンしたいらしい。

「一度でいいから、やってみたかったんだよね。こういうの」

 ある日の昼休み、俺の目の前で小野寺さんがこう言った。背中に体育倉庫の壁が当たり、そこから動けない。真横に顔を向けると、彼女の右手が壁に触れていた。

 一体、なぜこんなことになってしまったのか?


 話は今朝まで遡る。

 昇降口の下駄箱を開け、上靴に履きなおす。いつもの行動から始まる日常は、グシャッという音で簡単に壊れた。上靴の中に何かが入っている。そんな感覚が靴下から伝わってきて、靴を脱ぎ確かめる。

 誰もいない昇降口の前で上靴の中に手を突っ込み、中身を確認したら、紙が入ってることが分かった。少しクシャクシャになった長方形に畳まれた紙を取り出し、広げてみる。

 そこに書かれていた文字を読み、俺の顔は一気に赤く染まった。


「倉雲くん。昼休み、体育倉庫前に来てください。小野寺心美より」

 ご丁寧にピンク色のハートのシールまで貼られている手紙を目で追いかける。告白という文字が頭を埋め尽くし、俺の思考回路は停止した。


 その日の午前中は、頭がボーっとして、授業に集中できなかった。小野寺心美は本気で告白しようとしているらしい。だが、そもそも俺は彼女のことを全く知らない。そんな状態で付き合えるのだろうか?

 

 そもそも、彼女は雲の上の存在なはずなのだ。こんな一般人が付き合える相手ではない。どこかの社長の息子とかが相応しいに違いない。それでも、彼女は俺に告ろうとするのだ。だとしたら、ホントに付き合っていいのだろうか?


 授業中、ニヤニヤしたいやらしい笑い顔をクラスメイトや先生に見られて恥ずかしかったが、今はそんなことよりも小野寺心美に呼び出されたことの方が気になる。


 そうして迎えた昼休み、俺は約束通り体育倉庫前にやってきた。しばらく待っていると、顔を赤くした問題の彼女が姿を現す。

「待ったよね?」

「ちょっとだけな。それで、なんで俺をこんなところに呼び出したんだ?」

「うん、じゃあ、そこの壁の前に立ってみて」

「はい?」


 告白すると思っていたが、小野寺心美は謎の要求をした。一体、何がしたいのだろうか?


 訳も分からず俺は壁の前に立った。だがしかし、彼女は頬を膨らませ、不満そうな顔になる。

「もうちょっと。壁に背中をくっつける感じでお願い」

「だから、な……」

 突然、小野寺心美は、右腕を前に突き出し、壁に触れた。そのアクションを見て、俺は思わず赤面した。


「一度でいいから、やってみたかったんだよね。こういうの」

「小野寺……さん」

 一体何が起きたのか? 思考が全く追いつかない。目の前の彼女の顔も赤くしている。

「壁ドン、やってみたかったんだよね。この前、ある映画の初号試写に行ってきてね。その映画のシーンのマネがしたくなったんだよ。実際、やってみるとこんなに恥ずかしくなるなんて思わなかった」


 ようやく冷静さを取り戻すことができ、俺は目を点にした。

「あの手紙も映画のマネか?」

「そうそう。壁ドンやるのに夢中で、セリフ言うの忘れてたけど、まあいいや」

「やっと本気で告るのかと思った」

「まだ……早いよ」

 壁ドンを止めた小野寺心美は照れながら俺から視線を逸らす。

「まさか、小野寺さん……」


 もしかしたら、小野寺さんは本気で自分のことが好きなのではないか? そう思えてくる。だとしたら、彼女の気持ちに応えないといけない。でも、彼女のことを俺は何も知らない。


「えっと、もういいよね。私は壁ドンしたかっただけだから」

 そう伝え、彼女は去ろうとする。そんな時、俺の中で何かが弾けた。気が付いたら、自称資産家令嬢の体を壁に押し当てていた。壁際まで追い詰めた女の子の前で壁ドン。まさか自分にもこんな大胆なことができるなんて。などと考えている最中、ある思いが自然と言葉になる。


「小野寺さんのことがもっと知りたい」

「えっ……倉雲……くん」

 心美の顔が真っ赤に染まる中、俺はハッとした。あの言葉は、まるで自分が小野寺さんに告白しているよう。すると、後方から何かが落ちる音が聞こえた。

「えっぇぇぇあっああああぁええぇぇぇ」

 慌てて後ろを見ると、長髪の女子生徒がノートを落とし、両手で口を覆っていた。同じクラスにいる彼女は、明らかに動揺している。目撃者は、俺に気が付くと、すぐさまノートを拾い、走り去る。


 そこで呼吸を整え冷静になった俺は、少し顔を赤くする。

「まだ俺は小野寺さんのことを何も知らないんだ。だから、知りたいんだ」

「倉雲くん、そんなこと考えてたんだ。私のこと知りたいなんて、嬉しい」

 照れながら彼女は笑顔になる。それを見て、俺はなぜかホッとした。


 この出来事が騒動の始まりになるとは、この時の俺は知る由もなかった。


 体育倉庫前から教室に戻った俺は気が付いた。なぜかクラスメイトたちが俺の顔を見て、ヒソヒソ話をしている。

「あの倉雲があんなことしてたなんて……」

「結構、大胆じゃん」

 女子のヒソヒソ話が聞こえた後、今度は男子が大声を出す。

「おい、聞いたか? あの倉雲が誰かに壁ドンしてたってよ!」

「マジかよ!」

「ああ、いいんちょが見たらしいぜ」

 クラスメイトたちのヒソヒソ話が教室中で聞こえ始める中、教室の前方ドアが開き、目撃者の少女が姿を現した。腰の高さまで後ろ髪を伸ばした二重瞼が特徴的な同級生。ウチのクラスの学級委員長。椎葉流紀しいばるきは、赤面しながら俺の机の前に立ち、優しく微笑んだ。

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