俺のクラスの学級委員長の妹は、オンライントークイベントの練習がしたいらしい。

 翌日の朝早くに階段を降りると、玄関の前にカバンを手にした喪服姿のお母さんがいた。

「おはよう。奈央。留守頼んだわよ」

 そう伝えたお母さんは、玄関先で靴を履き、家から出て行った。


 そのままリビングに向かい、机の上に視線を向けると、ラップがかけられた食パンと野菜サラダ、青じそドレッシングが置かれていた。

 その右隣にある白い紙の上には、鍵が一本置かれていた。

 

「奈央、家の鍵を置いておきます」

 そんな短い置手紙に目を通し、「ふぅ」と息を整える。


 いつもとは違う朝を迎えテレビを付けると、ニュース番組が始まっていた。


「11月5日午前6時50分。朝のニュースです」


 机の前に座りなおし、スマホを机の上に置く。それから、目の前にある皿からラップを剥がそうとしたとき、突然、スマホが震え始める。

 画面には見覚えのない未登録の電話番号が表示され、慌ててスマホを右耳に当て、通話ボタンを押す。

 すると、聞き覚えのある声が届いた。

「倉雲くん……」

「えっと、その声、いいんちょでいいんだよな?」

 首を傾げながら尋ねると、電話の主がクスっと笑いだす。

「私が流紀お姉ちゃんだったら、電話しなくていいからね。改めて、東野吹雪です」

「東野さんだと!」

 驚きのあまり、席から立ち上がり、目を大きく見開いた。

「いきなり電話がかかってきて、ビックリしたみたいだね。因みに、表示されてる番号、私のプライベート用のだから、登録しといてね。私は流紀お姉ちゃんから倉雲くんの番号教えてもらったからいいけど」

「おいおい。なんで俺なんかに番号教えたんだ?」

「それはそうと、倉雲くん。急で申し訳ないけど、私と付き合ってください。今晩だけでいいから」

「えっと、悪いが、俺には心美が……」


 人気アイドルらしい少女の声を聴き、俺はハッとして、言葉を飲み込んだ。

 電話の相手は、あのいいんちょの双子の妹のはず。

 ということは、付き合ってほしい発言は、いいんちょと同じ意味に違いない。

 そういう結論を頭の中で導き出す間に、東野さんはクスクスと笑った。


「もちろん、知ってるよ。倉雲くんにはかわいい彼女がいるって。そういう意味じゃなくてね。ちょっと、手伝ってほしいことがあるの。来月、オンライントークイベントが開催されるから、倉雲くんと練習しようと思ったんだ。流紀姉ちゃんと練習してもいいけど、こういうことは参加者の8割くらいを占めそうな男性とやった方が、いいと思って」

「えっと、オンライントークイベントって何だっけ?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げると、東野さんは説明を始める。

「ビデオ通話でファンのみんなと1対1で話す企画だよ。直接対面して1対1で話す経験はあったけど、画面越しで1対1で話したことなかったから、不安でね。お願いいたします。人気アイドルを助けてください」

「ああ、なんかすごく困ってるみたいだからな。今晩、練習に付き合うよ」

「ありがとうね。とりあえず、午後7時から始めるから。それでは、失礼しました」

 喜びの声が耳に響いた後、俺は溜息を吐いた。

「ビデオ通話か。最近、すごく流行ってるんだな」

 そう呟くと、テレビから年老いた男性の声が聞こえてきた。


「詐欺被害に遭わないためには、真偽を確かめることが大切です。例えば、今回のようなオレオレ詐欺の場合、携帯が壊れて番号が変わったと言ったら、本当にそうなのか確かめるために、本人に電話したほうが良いと思われます」


 テレビから聞こえてきた声を聴き、ハッとした。その直後、ウチのクラスの学級委員長の顔が頭に浮かび上がる。

 そのまま、スマホを操作して、いいんちょの番号に電話を試みると、ワンコールで繋がった。


「もしもし、倉雲くん。こんな朝早くから何の用かな?」

 そんな疑問の声が耳に届き、俺は首を縦に動かす。

「2分くらい前に、知らない番号から電話がかかってきてな。出てみたら東野さんだったんだ。そこで確認だけど、2分前、いいんちょは俺に電話かけてないよな? 声も同じだから、区別できないんだ」

「そうね。私は電話なんてかけてないから、その声の主は吹雪だと思うよ。それにしても、あの吹雪が倉雲くんにモーニングコールするなんてね。流石、私の双子妹だわ」

 嬉しそうな声が耳に響き、俺は目を点にした。

「おいおい。どういう意味だよ!」

「あっ、人気アイドルのモーニングコールより、かわいい彼女からの方が嬉しいのかな?」

 その言葉が胸に刺さり、不意に心美の笑顔が脳裏に浮かぶ。その瞬間、頬が熱くなった。

「そっ、そうだな。じゃあ、要件はそれだけだから、また学校で会おう」

 電話を切り、「ふぅ」と息を吐き出す。

 それから、目の前にある皿からラップを剥がし、朝食を食べ始めた。 


 

 皿洗いや制服への着替えなどを終わらせた頃、学習机の上に置いたスマホの時計を見ると、午前7時40分と表示されていた。

 丁度その時、インターフォンが鳴り、カバンと家の鍵を握って、制服姿で玄関に向かう。

 ドアを開けると、制服姿の心美が立っている。

「おはよう。奈央」

 靴を履いてから、笑顔で挨拶してくる彼女との距離を詰め、「おはよう」と挨拶を返した。

 そうして、玄関のドアに鍵をかけ、俺たちは一緒に通学路を歩き出した。


「そういえば、今朝、東野さんから電話があって、今晩ビデオ通話で話すことになったんだ。なんか、オンライントークイベントの練習相手になってほしいらしい」

 心美の隣を歩きながら、先程の出来事を伝えると、彼女の表情が暗くなる。

「いつの間に吹雪ちゃんと電話するようになったの?」

「今日が初めてなんだ。別に浮気とかそういうのじゃないから」

「ねぇ、奈央。今晩って何時?」

 唐突に質問を投げかけられ、俺は首を縦に動かす。

「今夜午後7時ごろだな」

「だったら、大丈夫だね。その時間帯なら、門限じゃないから」

 暗い表情から一転して、明るく笑いだした心美を前にして、俺の目が点になる。

「えっと、言ってる意味が分からないのだが……」

「今晩の夕食と明日の朝食は私が準備するってことだよ。その他の家事も私がやっちゃうから、安心して!」

「はい?」


 まだ理解が追い付かず、俺は思わず首を傾げた。そんな俺の隣で、心美はなぜか真顔になる。

「奈央。もしかして忘れてるのかな? 私の正体は、小野寺グループのメイドだってこと」

「あっ、そういえば、そうだったな。悪いがすっかり忘れてた」

 正直な答えを口にすると、心美は悲しそうな顔になった。

「奈央のために今日と明日の予定を開けてもらったのに」

「そうだったんだな。悪かった」

 両手を合わせ謝ると、隣を歩く心美が優しく微笑んだ。

「まあ、別にいいけど。兎に角、今晩のお食事は私が準備するから」

 はりきったような声を近くで響かせた心美の瞳に炎が宿る。

 そんな彼女と同じ歩幅で学校へ向かう。




 そして、時は流れていき、午後6時40分。食卓の前に座った俺は目をパチクリとさせた。目の前には、手料理が並べられている。

 ハンバーグとポテトサラダが盛り付けられた大皿の右斜め前にあるお茶碗の中には、白いご飯があった。

 正面の席には、制服の上から白いエプロンを着用した心美が座っていて、こちらを見つめていた。そんな、彼女の目の前には料理が並べられていない。

「えっと、心美……」

 呼びかけに対して、目の前にいる心美は目を丸くする。

「奈央、もしかして、ごはんの量が少なかった?」

「そうじゃなくて、なんで、食べないんだ?」

「ああ。今日はメイドとして派遣されてるから。ご主人様とお食事なんて、恐れ多いわ。そうじゃなかったら、奈央と一緒の食べたいよ」

「そうだったんだな。じゃあ、今度はメイドとしてじゃなくて、一緒にお食事できたらいいな」

「機会があったら、今度はお義母さんと一緒に料理して、奈央と食卓囲みたいなぁ」

 

 嬉しそうに笑う心美の前で、俺は首を捻った。

「そういえば、なんで制服の上にエプロン姿なんだ? ハロウィンの時はドラキュラになりきってたから、てっきりメイド服姿で来るのかと思っていたのだが……」

「あっ、ごめんなさい。奈央が私のメイド服姿が見たいなんて、知らなかったよ」

 頭を下げ、両手を合わせる心美に対し、俺は首を横に振った。

「別にそういう意味じゃないんだが。そんなことより、このハンバーグ、美味しそうだな。いただきます」

 両手を合わせてから、箸でハンバーグを摘まみ、口に運ぶ。その様子を心美は優しく微笑みながら、見ていた。それを飲み込むと、思わず頬が緩んだ。

「すごく美味しい」

 素直な感想を耳にした心美の顔に喜びが宿り、頬も赤くなった。

「ホント。嬉しいよ!」


 それから、10分で夕食を食べ終わり、スマホを握って、ソファーに座り込む。

 一方で、心美は皿を洗っていた。

 そんな時、スマホが震え始めた。画面を確認すると、東野吹雪からショートメッセージが届いているのが分かった。そこにはURLとID、パスワードが記されている。

 この前、榎丸さんとビデオ通話した時と同じ仕組みだろうと理解しながら、パスワードをコピーして、URLをタッチした。

 すると、サイトに繋がり、メッセージに記されていたIDとパスワードを入力を指示される。

 それに従い、操作するとスマホの画面に人気アイドルの東野吹雪の姿が表示された。どこかの会議室らしい背景をバックにした人気アイドルが、画面越しに優しく微笑む。


「倉雲くん。ログインしてくれて、ありがとうございます」

「ああ、いきなりショートメッセージが届いて、驚いた。まあメールアドレスやSNSのIDを教えてなかったから、これしか方法がなかったことは理解できるけどな」

「そうそう。今度会った時は、連絡先交換しようかな? 流紀姉ちゃんからは、倉雲くんの電話番号しか教えてもらえなかったから。さて、画面下をご覧ください。タイマーが見えるでしょう?」

 東野さんの声に従い、スマホの画面下に表示されたタイマーに視線を向ける。5分から1秒ごとに数字が減っていることに気がつき、顔を上げると、画面の中の東野さんの笑顔が見えた。

「今回は、オンライントークイベントと同様のシステムを特別にお借りしています。簡単に説明すると、制限時間5分が経過した時点で回線が切断される仕組みだそうです。ということで、早速、お話しちゃおうかな?」


 丁度その時、ソファーの右隣に心美が座った。俺との距離を縮め、スマホを除き込んだ心美は、画面を見つめながら、右手を振った。


「吹雪ちゃん。こんばんわ」

「えっ?」と驚きの声を出す人気アイドルの目が丸くなる。

「ウソ。心美ちゃん。まさか、同棲生活スタートしちゃったの?」

「ふふふ。まだだけど、今日はお義母さんがいないから、私が奈央のために家事するのです。ちゃんと料理もして、美味しいって言ってもらったよ!」

 心美は自信満々に胸を張った。一方で画面の中の東野さんはニヤニヤと笑いだした。

「つまり、同居じゃなくて、夫婦生活スタートしちゃったんだね。まさか、私が知らない間に、そんなことになってたなんて、想定外だわ。兎に角、このことは、流紀姉ちゃんに知らせないと!」

「勘違いされるからやめろ!」

 強い口調でツッコミを入れる間にも、カウントダウンは減っていく。



 結局、オンライントークイベントの練習は、心美を交えた恋バナ大会になってしまった。

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