隣の洋館に住んでいる同級生は庶民の夫婦生活に憧れているらしい。

 翌日の朝早くにインターフォンが鳴り、カバンを手にした制服姿の心美が自宅を訪れた。

「おはよう。奈央、早速朝ごはんを作っちゃいます」

 優しく微笑んだ心美は、玄関先で靴を脱ぎ、その足でリビングに向かう。


 そのままリビングに向かい、キッチンに視線を向けると、心美はカバンの中に仕舞っていた白いエプロンを制服の上に着用していた。

 それから、カバンを使われていない食卓の椅子の上に置いた心美は慣れた手つきで料理を始める。


 いつもとは違う朝を迎えテレビを付けると、ニュース番組が始まっていた。


「11月6日午前6時50分。朝のニュースです」


 約5分の間に、目玉焼きや白いご飯、お味噌汁が食卓の上に並べられた。そして、昨晩と同様に、エプロン姿の心美が俺の正面の席に腰を落とす。

「いただきます」と両手を合わせてから、お味噌汁が注がれたお椀を持ち上げ、唇に近づけ、一口飲んだ。

「うん。この味噌汁、美味しいな」

「奈央の家にあるものしか使ってないけどね。まあ、喜んでくれたのなら、良かったよ」

 俺の目の前に座る心美が微笑む。そんな彼女の前には、昨晩と同様に何もなかった。

「ところで、心美、朝食を食べないのか?」

 そう尋ねると、心美は首を左右に振った。

「奈央の家に来る前に食べてきたからね。別に朝食を抜くような、不健康なことはしてないよ。昨日も言ったけど、私は小野寺家から派遣されたメイドという体で、奈央の家にいるんだからね。朝は忙しいから、メイド服に着替えてないけど」

「それなら、今度は俺の彼女として、ウチに泊まりに来いよ」

「俺の彼女として。まさか、奈央の口から、そんなカッコイイ言葉が聞けるなんて。私、嬉しいです」

 明るい表情になった心美と視線が合い、思わず顔が赤くなる、


 

 朝食を食べ終わったのと同時に、俺と心美は席から立ち上がった。

「さて、皿洗いを……」と両腕を天井に向けて伸ばしながら、一歩を踏み出す心美の言葉を遮り、呼び止めた。

「待て、心美。皿洗いは俺がやる。ソファーに座って寛いでていいから」

「そういうわけにはいかないわ。メイドとしてお仕事を放棄するわけには……」

「美味しかった料理のお礼だ。ありがたく休みなよ」

 すると、心美は「うーん」と考え込み、数秒の時が流れた。

「そういうことなら、一緒にやっちゃおうかな? 隣に並んで皿洗い。これなら、問題ないよ」

「ああ、分かった」と声をかけてから、ふたり横に並んで、皿を洗い始めた。


 そして、皿洗いが終わり、2階の自分の部屋に戻り、制服に着替えた。

 学習机の上に置かれたスマホの画面に視線を向けると、午前7時20分と表示されていることが分かる。

 授業で使う教科書やノートをカバンに詰め、1階のリビングに顔を出すと、ソファーの上に心美が座っていた。

 すると、準備を済ませて戻ってきた俺に気が付いた心美が、テレビからドアの近くにいた俺に視線を向ける。

「奈央、まだ学校に行くまで時間あるから、隣に座って、ニュース番組でも観ようよ」

 そう促され、心美の右隣に座った。

 同じソファーに並んで座る。それは何回もしてきたことのはずなのに、慣れない。

 そんな気持ちを抱えたままでテレビに視線を向けると、特集コーナーが始まっていた。


「11月22日は、いい夫婦の日。ということで、理想の夫婦像を調査しました。まずは、こちらの女子大生にお話しを伺います」

 テレビ画面に、どこかの駅前に広がる街並みが映し出され、髪が長い女性がマイクを握った。20代前半のような見た目の女性は、白いタートルネックの肩に紫のストールを羽織っている。

「理想の夫婦像。やっぱり、お互い助け合えるような関係ですね。実際に結婚したら、そんな関係になりたいです!」

 明るい口調で語る一般人の声を聴いた心美は、俺の隣で興味深々な顔つきになった。


「お互い助け合えるような関係。この人、すごくいいこと言うね」

 心美は、そう言いながら、チラリと俺の方を見た。

「そうだな」と同意を示すと、心美は首を傾げた。

「じゃあ、私が困ってたら、助けてくれるってことかな?」

「そんなの当たり前だろ。なんか困ってることがあるなら、言ってみなよ」

「いや、今はないんだけどね。ちょっと聞いてみたくなったから」

「何か、悩みがあるのかと思った」と呆気に取られると、隣に座る心美が「はぁ」と息を吐いた。


「庶民の夫婦生活って、こんな感じなのかな?」

 唐突な彼女の問いかけに対して、俺は首を傾げた。

「どういうことだ?」

「朝から大好きな人のために料理して、一緒にご飯を食べて、同じ空間で同じ時間を過ごす。それが庶民の夫婦生活なんだろうって思ったの。やっぱり、こういう生活って憧れちゃうなぁ」

 視線を俺に向けた心美が優しく微笑む。すると、目と目が合い、俺の顔は赤く染まった。

「そっ、そうなんだな」

「そうそう。ウチの場合は、専属のシェフが料理して、家事はメイドが分担してやってるから。こういう経験ができて、私は幸せです」

 楽しそうに話す心美と顔を合わせ、俺も思わず笑顔になった。


 何気ない会話を紡いでいく間にも時間が過ぎていき、壁にかけた都会が午前7時40分を指した。いつもの時間に家を出て、玄関のドアに鍵をかけてから、心美と一緒に学校へ向かった。

 いつもと同じ通学路を歩き、15分ほどで学校へ辿り着き、校門を潜ろうとすると、背後から聞き覚えのある声が届いた。

「倉雲くん。おはようございます」

 その声に反応して、心美と共に背後を振り向くと、そこには、ニヤニヤと笑うウチのクラスの学級委員長の姿があった。


「いいんちょ、この時間帯なら教室にいるんじゃなかったのかよ!」

「ふふふ。今日は夫婦で登校する倉雲くんたちに突撃したかったから、校門の近くで張り込んでいたのですよ」

「夫婦って、俺と心美はまだ婚約すらしていないのだが……」

 目を点にする俺に対して、いいんちょは声を潜め、俺たちに話しかけた。

「倉雲くん。昨日、吹雪から聞いたよ。心美ちゃんとの同居生活が始まったらしいって。そういうことになっているなら、学級委員長の私に報告するのが普通でしょう?」

「意味が分からん。心美は、昨日から出かけた母さんの代わりに家事を手伝ってくれただけだ」

 

 事情を説明しても、いいんちょは納得せず、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。

「家事の手伝いね。もしかして、心美ちゃんに料理をしてもらったのかな?」

「そうです。私は奈央のためにお料理しました。昨日の夕食と今日の朝食は、私の手作りです」

 俺といいんちょの話に食いついた心美が首を縦に振る。そんな話を聞いた、いいんちょは首を傾げた。

「昨日の夕食と今日の朝食って、まさか、心美ちゃん。昨日は倉雲くんの家に宿泊したのかな? だったら、認めるわけにはいかないわ。保護者もいないのに、宿泊なんて、不純異性交遊の始まりだよ! 倉雲くん。不純異性交遊は校則でも禁止されてるのはもちろんのこと、不良行為として少年補導の対象になるんだから。絶対にしちゃダメだよ!」

「いいんちょ、先走り過ぎだ。心美は午後8時前に隣の家に戻ったから。俺の家に泊まってない」

「そうなんだ。学級委員長として、間違った道を進もうとするクラスメイトを更生させないといけないのかと思ったよ」


 そっと胸をなで下ろした学級委員長は、ハッとして、視線を俺たちに向けた。

「あっ、ということは、夫婦じゃなくて、通い妻なのでは?」

「いいんちょ、だから、俺と心美はまだ婚約してない……」

 そんな俺の言葉を聞かない学級委員長は、両手を1回叩いた。

「そういうことなら、祝うべきね」

 いいんちょが楽しそうに笑いながら、離れていく。

 そんな後ろ姿を見つめながら、俺と心美は横に並んで、昇降口に向かって一歩を踏み出した。

 


 

 

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