俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、記憶喪失になったらしい③
翌日の朝の空模様は暗かった。
今にも降りそうな雲が流れる空を見上げた先に見えたのは、隣の洋館の大きな門扉。この家を訪れ、心美の婚約者になると決意した日のことを懐かしく思う。
左手に傘の柄を持ち、呼び鈴を鳴らそうと右腕を伸ばす。
すると、門扉が開き、不安そうな表情の心美が顔を出した。
いつもの制服に身を包み、前髪には見覚えのあるラベンダーをモチーフにしたヘアピンが止まっている。 その右手には、ビニール傘が握られていた。
「おはようございます。本日はよろしくお願いします」
マジメな口調で頭を下げられ、戸惑った俺は両手を振った。
「もうちょっとフレンドリーに接してもいいと思うぞ」
「親しき中にも礼儀ありというでしょう? どうやって庶民の男の子と接してきたのか分からないので」
「悪いが、敬語はやめてほしい。なんかいつもと違って、慣れない」
頭を掻きながら、溜息を吐くと、心美は制服のポケットからメモ帳とシャープペンシルを取り出した。
「なるほど。普段はタメ口だったと」
突然メモを取り始めた心美を前にして、俺は目を点にした。
「えっと、心美、何やっているんだ?」
「私について分かったことをメモしておこうと思ってね。まだ分からないことだらけだから。じゃあ、歩きながら、いろいろ聞いちゃおうかな。私のこと」
「ああ」と短く答えてから俺は心美と一緒に通学路を歩き始めた。
「ビックリしたよ。実家がスゴイ豪邸だったし、自分の部屋には、いっぱいラベンダーをモチーフにした雑貨とかが並んでた。そんな中で、このヘアピンが一番気になったの、なんでだろうね?」
前髪のヘアピンを指差しながら、首を傾げる心美の顔を見た俺の頬が赤く染まった。
「それは、俺からの誕生日プレゼントなのだが……」と正直に答えを口にした後で、隣を歩く心美が頷く。
「なるほど。私とあなたって誕生日プレゼントを贈りあう仲だったんだ。そういえば、私の部屋に、あなたと一緒に映った写真が飾ってあった。あの写真の中の私は楽しそうに笑ってたよ」
「俺も初めて知った。あの写真、部屋に飾ってたんだな。この前見せてもらったモーニングルーティーン動画に、あの写真が映ってなかったから、飾ってないのかと思った」
「モーニングルーティーン動画って?」
「朝の様子を撮影した動画のことだ」
「じゃあ、それを見たら、私がどうやって朝を過ごしていたのかが分かるんだ。面白そうな手がかりだね!」
目を輝かせ、話題に食いつく心美に対して俺は両手を合わせる。
「悪い。あの動画、俺の家じゃないと見られないんだ。放課後でいいか?」
「別にいいけど、放課後はあの写真のお店にも行ってみたいな。あそこに行ったら、何か思い出せそうな気がして……」
「ああ、そういえば、あの店だったな。俺と心美が一緒にお茶を飲んだのは」
思い出したようにポツリと呟く俺の声を、心美は聞き逃さない。
「そうだったんだ。そういえば、私って資産家令嬢なんだよね? こうやって出歩いてて良いのかな? それとなんで庶民の子が通う中学校に通っているんだろう? 謎すぎるわ」
眉を潜め唸る心美の隣を歩きながら、空を見上げると、空からポツリと雨が降ってきた。
「雨、降ってきたね。資産家令嬢らしく、高級車で送迎してもらったら、濡れなくれて良かったのに……」
心美が空を見上げ不満を口にしながら、手にしていた傘を差す。
一方で俺は傘を差さず、そんな彼女をジッと見ていた。
「どうして傘を持ってるのに、差さないの?」
俺の右隣で立ち止まった心美が首を傾げる。
そんな問いかけに対し、俺は首を縦に動かした。
「ああ。心美と最初に会った時のことを思い出したんだ。今日みたいな雨の日、傘を忘れて困っていた俺に心美はそのビニール傘を差し出してくれた。まあ、初対面でいきなり相合い傘を強要された時は驚いたけどな」
笑い声を漏らしながら、傘を差し、心美と共に学校へと向かい歩き出す。
「初対面でいきなり相合い傘って、強引すぎない?」
「そうだな。1週間前から相合い傘をして一緒に帰ろうと機会を伺っていたらしい。それと、心美は校則をしっかり守るような子だった。ウチの学校は自動車での送迎が禁止されてるから、こうやって歩いて学校に向かっているんだ」
「どうして、私、そんなことしたんだろう? 全然理解できないよ」
謎が深まっていく中で、心美は深刻な顔つきになった。
次第に表情も暗くなっていく。そんな彼女と肩を並べて歩いていた俺は、深く息を吐いた。
「心美、ラベンダーの花言葉、覚えてるか?」
唐突な問いかけに、面を食らった心美が視線を俺に向ける。
「確か、明日に期待してだったと思う」
「あの時、心美は、その花言葉を俺に教えてくれたんだ。あの花を見ていたら、毎日を明るく生きることができるって言ってた。不安かもしれないけど、明日に期待して、ゆっくりいろんなことを思い出していけばいいと思う」
「ねぇ、どうして、そんなに優しいの? もしかして、私が資産家令嬢だから……」
「違うな。俺にとっての心美は、とても大切な人なんだ!」
ハッキリとした言葉を聞いた瞬間、心美の頬が緩んだ。
そして、次の瞬間、心美は傘を閉じ、俺との距離を近づけた。
それから、傘の柄を握った俺の右手に、彼女の左手が優しく触れる。
「奈央」と呼ぶ声に反応し、視線を真横に向けると、心美が優しく微笑んでいた。
「心美、お前……」
まさかと思い、目を大きく見開いた。それから、互いに見つめあう時間が流れていく。
「そっか。奈央にとっての私は、大切な人だったんだ。嬉しい」
一瞬のうちに記憶を取り戻したらしい。
そんなことを推測した頃、俺の背後から聞き覚えのある声が届いた。
「まさか、一晩で記憶を取り戻すとは。愛のチカラは偉大だね」
そんな声を聴き、背後を振り向くと、なぜか高級そうな傘を差した榎丸さんが佇んでいた。いつもと同じ白衣姿の彼女を見た瞬間、俺の頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
「えっと、なんでここに榎丸さんがいるんだ?」
「親友として心美ちゃんのことが心配だったから、尾行してた。安全のために、周囲にボディーガードを配置してもらってね。あっ、心美ちゃんが通ってる中学校の校門前にウチの車が停まってるから遅刻の心配はしなくていいよ」
「そうか。心配してたんだな」
「そうそう。心配で一睡もできなかった。じゃあ、私は車を呼んで、学校に行くから。倉雲さんたちは相合い傘で登校しなさいよ」
榎丸さんは、瞼を擦ってから制服のポケットからスマホを取り出した。
そのあとで、榎丸さんがイタズラな笑みを俺に向ける。
「昨日はごめんね。濡らしちゃって……」
そんな一言を聞いた瞬間、俺の隣にいた心美の眼付が怖いモノになった。
「ねぇ、奈央。濡らしちゃってってどういう意味? まさか、私の知らないところで、一穂ちゃんと……」
「違う。下ネタじゃないからな!」
「もういいよ。奈央が浮気したってお義母さんに言うから」
そっぽを向きながら、俺が差す傘の下から心美が出て行く。
それから、心美は手にしていた自分の傘を差し、通学路を早歩きで進んだ。
「心美、誤解だ!」と叫びながら、俺は彼女の後姿を追いかけた。
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