俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、記憶喪失になったらしい②

 どこかのホテルのスイートルームではないかと錯覚してしまうほどの豪華な病室。

 そのベッドの端に腰かけた心美は、ドアの前に立っていた俺と榎丸さんの姿を見て、首を傾げた。



「……あなたたちは誰ですか?」

 その声を聴いた瞬間、俺の目に前は真っ暗になった。

 何かの間違い。俺をからかっているだけ。


 頭に思い浮かんだ仮設は、目の前にいる不安そうな表情の彼女が消していく。

 考えたくもないことが目の前で起きている。

 得体のしれない恐怖が襲い、俺は顔を強張らせた。

 そんな中で、俺の隣にいた榎丸さんが一歩を踏み出す。

 横顔には、いつもと同じ明るさが宿っていた。


「心美ちゃんの親友の榎丸一穂です。ここの病院の院長の娘なんだけど、覚えてないのかな?」

 優しく尋ねる榎丸さんに対し、心美は部屋の中を見渡した。

「もしかして、あなたがこんな豪華な部屋を用意してくれたのですか?」

「はい。そうですよ。小野寺グループのトップに立つかもしれない子を普通の病室に入れるわけにはいかなかったから」

「小野寺グループ。ごめんなさい。何も思い出せなくて……」


 その時、榎丸さんは心美の前で優しく微笑んだ。

「大丈夫だから、分かってることを整理しよっか」

「そういえば、看護師さんが私のことを、オノデラさんって呼んでた。それから、さっきあなたが私のことをココミって呼んでたから、私の名前はオノデラココミなんだよね?」

「そうそう。その調子! 資産家令嬢の心美ちゃん。じゃあ、私が連れてきた、あの男の子のこと分かる?」

 そう尋ねられた心美が不安な視線を俺に向ける。

 目と目が合った瞬間、心美の頬が赤く火照った。


「ごめんなさい。何も思い出せないけど、あの子の顔を見てたら、胸の中にあった不安が消えたみたい。でも、何かがおかしいよ。胸がドキドキしてる」

 俺から視線を逸らした心美が「はぁ」と息を吐く。

 一方で、榎丸さんは、左腕を後ろに伸ばした。

 それから、一歩も動くことすらできない俺の右手を掴んだ榎丸さんが、俺の体を前へ引っ張る。

 繋がれた手から微かに小さな震えを感じ取ったまま、心美の前に姿を見せた。


「もしかして、あなたも大金持ち……」

 首を傾げながら尋ねる心美からの問いかけに対し、首を左右に振った。

「違うな。俺の家は心美が住んでいる洋館の隣だけど、俺と心美は身分が違う」

「庶民の倉雲さんは、心美ちゃんのことをとても心配してるからね」

 俺の隣で榎丸さんが補足説明した後で、心美は目を伏せた。

「ごめんなさい。何も思い出せなくて……」



 

 地下の駐車場へと続くエレベーターに向かって、誰もいない病院の廊下を榎丸さんと横に並んで歩く。

 このあと検査が控えているということもあって、面会は3分ほどで打ち切られた。

 大丈夫なのだろうかと不安が頭を過る中で、俺の隣を歩く榎丸さんが首を縦に動かす。


「頭部外傷による記憶障害みたいだね。医者じゃないから、正確な診断はできないけど、あれなら今日中に退院できそう」

「……榎丸さん、聞きたいことがあるんだけど、どうして、心美の前でいつものように明るく振るまえたんだ? 俺は怖くて、心美とどう接していいのか分からなかった」

 すると、俺からの問いかけを耳にした榎丸さんが明るく笑った。

「当たり前でしょ? 一番不安なのは、自分のことが何も分からない心美ちゃんなんだから。こっちも暗い顔になったら、余計不安になるからね」

「強いな。俺は何もできなかった」

「医者になるから、これくらいのこと、どうってことないよ!」

 胸を張る榎丸さんの動きが止まる。


 すると、次の瞬間、榎丸さんが背後から俺に抱き着いた。

 腹を両腕で覆うように回し、背中にピタリと体を密着させられ、俺は足を止めた。

 小さな震えと背中が濡れたような感覚を味わう中で、榎丸さんが声を漏らす。


「ごめんなさい。こんなことしちゃダメだって分かってるけど……」

「やっぱりな。手を繋がれて、心美の前に引っ張り出された時に感じたんだ。強がってるけど、榎丸さんは俺と一緒なんだって。寂しいんだよな? 心美に忘れられて」

 確信する声を顔を合わせることなく、静かな病院の中で響かせる。


 そんな中で、榎丸さんは顔を俺の背中に埋めた。

「悔しいなぁ。こんな時に、心美ちゃんと一緒にいられないなんて。会えたとしたら、放課後だからさ。同じ学校に通ってる倉雲さんが羨ましい」

「いや、俺と心美は違うクラスだからな。学校でも休憩時間とかしか一緒に過ごせない。まあ、一緒に登下校できるから、榎丸さんよりは過ごす時間が長い」

「じゃあ、学校までの道案内、任せても大丈夫そうね。正式に退院が決まったら、また連絡するからさ」

 そんな明るい声が聞こえ、背後を振り返ると、榎丸さんが涙を浮かべながら、顔を上げていた。



「えっと、どういうことだ?」

 何のことかサッパリ分からず、頭の上にクエスチョンマークを浮かべた俺に対し、榎丸さんはクスっと笑った。

「明日からいつも通り、心美ちゃんと一緒に学校に通ってもらいます。多分、学校がどこにあるのかも分からないと思うから、道案内も兼ねてね。心美ちゃんには、私から隣の家に住んでいる同級生と一緒に学校に通ってもらうって言っとくから」

「榎丸さん、なんかウチのクラスの学級委員長に似てきたな」


 強引な行動に俺は思わず苦笑いした。

 すると、榎丸さんは俺から手を離した。

 そして、一歩を踏み出し、両腕を上に伸ばす。


「はぁ。泣いたらスッキリできたけど、結構濡らしちゃったね。じゃあ、倉雲さんを家まで送ったら、その足で心美ちゃんのお見舞いの品でも買いに行っちゃおうかな?」


 その横顔には、これまでと同じ明るい表情が宿っていた。

 そんな彼女の笑顔を瞳に映した瞬間、俺の頬が緩んだ。


 まだ不安は拭えない。

 それでも、また最初から心美との距離を近づけていく。

 そんな想いを抱きながら、俺は榎丸さんの後姿を追いかけた。

 

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