俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、ナイトクルーズがしたいらしい。

 姉妹校訪問が無事に終わり、貸し切りバスに揺られて辿り着いたのは、神戸市内にあるホテルだった。

 バスを降りて、空を見上げると、薄い青色を基調にした20階建ての建物が夕日を浴びた光景が良く見える。近くには港があるらしく、潮の香りも心地よい。


 そのまま、修学旅行で宿泊するホテルの玄関前に荷物を持ってクラスごとに2列になって集まると、先頭に立っていた教師がマイクを握った。


「これより各自、宿泊室に荷物を置き、30分後、貴重品を持って、ここに集合するように」という呼びかけの後で、クラスごとにカードキーを受け取り、自動ドアを潜り、中へと足を踏み入れていく。


 それから俺たちは、塵一つ落ちていないほど清潔でピカピカ光った床を踏んだ。真っすぐ進むと4台のエレベーターが見えてきて、男女ごとに誰も乗っていないそれに乗り込んだ。


 定員は20名ほどだが、荷物の大きさや重さを考慮すると、15人くらいしか運べない。同じ階で降りる男子がギュウギュウ詰めにされ、息苦しくなっていると、チンという音が鳴り、ドアが開いた。

 そのままゾロゾロと降り、松浦と一緒に部屋へ向かった。


 それからすぐに、1507号室という部屋番号を見つけ、ドアにカードキーを差す。

 ドアを開けると、まずスリッパが見えてくる。それの前で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて、ふたり並んで歩けそうなほど広く短い廊下を進む。

 そのまま視線を右に向けると、木目調のドアが見えてきた。気になってそのドアを開けると、中にキレイなトイレがある。


 そして、通路を抜けると2台のシングルベッドが目に飛び込んでくる。ベッドの前にはテレビが置かれ、その近くには簡単な机まである。窓はカーテンで閉められていた。


 修学旅行中は、この部屋に泊まるのだと認識してから、荷物を床に置く。

 一方で松浦が、窓側にあるふわふわなベッドの上に腰かけて、俺と顔を合わせながら、不満を漏らす。


「姉妹校の男子たちが羨ましかった。あいつら、タダであの人気アイドルと握手しやがったからな!」

「おいおい。俺たちは同じ学校に通っているんだ。握手し放題だろ?」

「倉雲、分かってないな。金を払って、同じ時間を共有するのがいいんだ。毎日のように握手してたら、つまらなくなる」

「よく分からんが、いいんちょと東野さんは別人だからな。それなのに、あの人気アイドルのフリをして、男子たちを握手を交わし続けたいいんちょは、すごく優しいと思う。それで、いつ告るんだ?」

 そう問いかけると、松浦は俺から視線を逸らす。

「プレゼントは手荷物の中に隠してるから、いつでもできるが、やっぱり燃えてくるな」

「燃えるって、それを言うなら緊張するだろ?」

「いいや。今の俺は燃えているぜ。相手はあの人気アイドルと同じ顔の学級委員長だ。その人気の高さは姉妹校訪問で現地の中学生が殺到するほど。そんな相手に挑む。当たって砕けろ! 一発勝負だぜ!」

 体育会系主人公のように、松浦の瞳は燃えていた。そんな彼を前にして、苦笑いする。



 それから10分後、俺たちは部屋から出た。

 ドアを閉めるだけで鍵がかかるオートロック式のドアノブを握り、ちゃんと閉まっていることを確認してから、集合場所へと向かう。

 そうして、ホテルの玄関前に到着した頃、フロントに設置された時計は集合時刻の15分前を指していた。


 特に命令されるわけもなく、15分前に集まった同級生たちは、クラスごとに2列になるように並んでいく。

 それから5分が経過した頃、全員集合が確認され、最前列に立った教師がマイクを握る。


「ええ、全員が10分前行動ができたことに感動しております。さて、修学旅行1日目の午後6時から午後9時までの3時間、何をやるのかと気になっている人も多いことでしょう。ということで、今からみんなには、ナイトクルーズを満喫していただきます」


「ナイトクルーズだと!」と驚きの声がホテルの玄関前で響き、同級生たちがザワザワする。そんな中で俺の頭には、心美のドヤ顔が浮かんでいた。

「心美、お前……」と小声で呟く間に、教師による説明が続く。


「ご存知の方も多いと思いますが、この中にあの小野寺グループのご令嬢様がいらっしゃいます。今回は小野寺グループの全面協力の元、ナイトクルーズを計画いたしました。クルーズ船の中でバイキング形式の夕食を楽しんでからは、甲板に出て神戸市内の夜景を満喫したりと、自由にナイトクルーズをお楽しみください。それでは、クラスごとに移動します」


 そんなアナウンスの後で、俺たちはクラスごとに移動する。

 教師に先導され、夕日に染まった港を歩くと、大きな白い船が見えてきて、俺たちはそれに乗船した。

 床に敷き詰められた赤い絨毯を踏みしめながら、中をゾロゾロと進む。

 小野寺グループが用意した船ということもあって、豪華な額縁の絵画が廊下の壁に飾られている。そんな光景に目を奪われていると、目の前に大きな扉が見えてくる。

 その扉の前には執事服を着た2人の男が立っている。


「お越しいただきありがとうございます。中にお入りください」

 口と頭を下げる動きを揃えた男たちが、扉を開ける。言われるまま、俺たちは部屋の中に入った。


 広い部屋の中に料理が盛り付けられた大皿が置かれた机がいくつもあり、その手前には小さな皿が重なっている。周囲には真っ白なテーブルクロスがかけられた机。その上には、ワイングラスが置かれている。


 そして、天井を見上げると、くす玉のようなモノがぶら下がっていた。それには白いテープのようなモノが垂れ下がっている。


 その光景、間違いなく船上パーティー。


 まさかと思い、周囲をキョロキョロと見渡すと、心美の顔が飛び込んできた。


「奈央、どうしたの?」と心美が俺の顔を覗き込んでくる。

「心美、これ、どう見ても船上パーティーだよな?」

「そうだよ」

「もしかして、最初から知ってたのか? 初日の夜にナイトクルーズするって……」

 湧いてきた疑問に対して、心美が微笑む。

「お察しの通りだよ。6月の放課後、先生に呼び出されて、ナイトクルーズやってみたいって相談されたの。だから、その想いに応えるために、クルーズ船を手配したんだ。奈央と一緒にナイトクルーズしてみたいって思ってたから」

「そうだったんだな。自由時間、もちろん俺と過ごすよな?」

「当たり前だよ。夕食を楽しんでから、一緒に夜景を見に行きたいな」


 彼女の笑顔を見た瞬間、俺も嬉しくなった。

 やっと、心美と一緒に過ごす時間が確保できた。

 その貴重な時間を楽しみたいという想いが強くなる中で、俺の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。


「心美、あのくす玉みたいなの何だ?」

 天井からぶら下がる玉を指すと、心美が玉の真下に立った。

 そのあとで執事服の男がマイクを握って、心美の前に駆け寄り、それを渡す。

 そして、心美は周囲を見渡してから、マイクを握った。


「皆様、お集まりいただきありがとうございます。それでは、早速、こちらのくす玉を引こうと思います」

 くす玉を指し、垂れ下がったテープが引っ張られる。すると、玉が割れ、花吹雪と共に垂れ幕が下がった。


「ハッピーバースデーイブ、奈央!」と大きく習字で書かれた垂れ幕を前にして、俺の目が点になる。


「奈央、今日は誕生日前日だよね? スケジュールの都合上、当日は盛大に祝えそうにないから、今日は船上バースデーイブパーティーを開催します!」


予想外な展開に、頭が真っ白になりながら、心美との距離を詰める。

「心美、お前、これがしたかったから、ナイトクルーズしたいっていう先生たちの話に乗ったのか?」

 そう問いかけると、心美は両手を叩いた。


「はい。では、私が1曲歌わせていただきます。できたら、みんなも歌ってほしいです。せーの。ハッピーバースデー・イブ。ハッピーバースデー・イブ。ハッピーバースデー・ディア・奈央。ハッピーバースデー・イブ♪」


「トゥーユーをイブに変換した雑な替え歌披露しやがった!」という渾身のツッコミが決まったあとで、船上パーティーが始まった。

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