俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、チケットを譲りたいらしい。

 隣の教室から戻り、自分の席に座ると、隣の席に座っていたウチのクラスの学級委員長が、右手を振った。

「倉雲くん。心美ちゃんの進路聞いた?」

「中学卒業したら、イギリス留学するらしい。最低でも7年間は超遠距離恋愛になるって言われたよ」

 そんな事実を聞き、いいんちょはイタズラに笑う。

「留学ね。あっちのイケメン資産家外国人に浮気されたら、どうする?」

「毎日メールする約束だから、大丈夫なはずだ」

「マジメだね。それで、倉雲くんは7年間に及ぶ超遠距離恋愛を受け入れるの?」

「決定事項らしいからな。俺は待ち続けるつもりだ!」


 自信満々な答えに対し、いいんちょはウットリとした表情を見せる。

「超遠距離恋愛になっても、好きな人を待ち続ける。そんな恋、私だったら耐えられないよ」

「そうだな。心美はあっちの大学卒業するまで帰国しないらしいんだ。つまり、最低でも7年間は顔を合わせることすらできない。確か、国際電話料金って高いんだよな?」

「そうだね。倉雲くんの家って心美ちゃんと違って一般家庭だもんね。頻繁に海外にいるかわいい彼女ちゃんに会うこともできない。あっ、その恋愛って超ハードモードじゃん。やっぱり、身分の壁を乗り越える大恋愛って一筋縄ではいかないんだぁ」

「因みに、心美は明日から海外旅行するそうだ。こっちに帰ってくるのは13日後らしいが、7年間に及ぶ超遠距離恋愛と比べたら短いよな」

 その直後、俺は深く溜息を吐いた。寂しさが溢れてきて、表情も暗くなってしまう。


「心美と顔を合わせたいし声も聴きたい。毎日のメールだけで満足なんてできるわけない」

 暗い顔で本音を漏らす俺の顔を見て、いいんちょは「うーん」と唸った。

「1つだけ方法あるんだけど……」

「なんだ?」

「テレビ電話ね。ウチの常連の外国人さんが使ってる見たことあるんだけど、それを使ったら世界中どこにいても画面越しに顔見て話せるんだって。なんか、そのスマホアプリがあるみたい。参考になったかな?」


「そんな便利なモノがあるのかって、あのブックカフェ、外国人も利用してたのかよ!」

 驚愕の顔で隣の席に座る同級生の顔を見る。それからすぐに、委員長は頷いてみせた。

「そうだよ。まあ、英語の本は置いてないから、ミルクティーを飲みに来るだけなんだけどね」

「あっ、忘れてた。今日、心美と一緒にブックカフェに行くからな」

「ふーん。今日はウチに来るんだ。2人揃ってくるなんて、3か月ぶりかな?」

「そういえば、そうだったな」と返すと、いいんちょは楽しそうに笑う。

「もしかして、倉雲くんが誘ったの? ウチでお茶したいって」

「正直な話、心美が行きたいって言ったからだな。多分、あのミルクティーがまた飲みたいからってのが理由なんだと思う。俺も久しぶりに飲んでみたいしな」

「そんなこと言われたら、照れちゃうでしょ?」

 急に顔を赤くしたいいんちょが視線を逸らす。


「心美はいいんちょと一緒に帰りたいとも言ってた」

「つまり、倉雲くんと心美ちゃんがイチャイチャしてるのを近くで見ながら家に帰れるってことね。方向逆だから、中々一緒に帰れなかったけど、今日は3人で帰れるんだ。ああぁ、今日は人生最良の日になりそう♪」

 一転して、うっとりとした表情の委員長を見て、俺は思わず苦笑いした。



 そして迎えた放課後。俺たちはいつもととは違う通学路を歩く。

 前を俺と心美が横に並んで歩き、いいんちょが俺たちの後ろをついていく。

「そういえば、明日からの海外旅行ってどこに行くんだ?」

 横を歩きながら尋ねると、心美は俺に対して笑顔を向けた。

「留学する学校を見学するためにイギリスまで飛んで、ヨーロッパ地方1周する予定だよ。久しぶりにお母さまに会うから、その時に奈央のことも紹介するつもり」

「それで交際反対されたら、どうするんだ?」

「中学卒業するまでに、奈央を婚約者にしたいから、頑張って説得するわ」


「婚約者がいる庶民の男子高校生。なんかいい響きかも」

 後ろで俺たちの会話を聞いていた、いいんちょがニヤニヤと笑う。

「そういえば、これから行くブックカフェって、今日も満席だよな?」

 そう俺が話題を切り替えると、後ろを歩いていたウチのクラスの学級委員長が唸った。

「どうかな? 常連になってる東野吹雪ファンの人たちは、握手会に出かけてホンモノの吹雪と交流している頃だと思うから、今日はそんなに多くないと思うよ」


 すると、突然、心美が立ち止まり、いいんちょの方へ体を向けた。

「流紀ちゃん。今日はこれを渡すために、一緒に帰りたいって奈央に話したんだよ」

 そう説明しながら、カバンを開け、茶色い封筒を取り出す。

「これって……」と呟きながら、いいんちょが封筒を手にする。

「夏フェスのチケット。このイベント、小野寺グループが出資してるから、いい席のチケットが取れたんだ。このイベントに、吹雪ちゃんが出るからお父さんと一緒に……」

「受け取れないわ」

 暗い顔になったウチのクラスの学級委員長が、感情を殺して呟く。そんな行動を近くで見ていた俺は、心美と同じように委員長と向き合うように体を向けた。


「なんで受け取らないんだ? いいんちょと東野さんは和解したはずだ。この前の別荘旅行でも、連絡を取り合っていて……」

「私は……今でも吹雪のこと嫌いだから」

「ウソだな。だったら、なんで今日、握手会の日だって知ってた?」

「そんなの、お客さんが話していたのが偶然聞こえたからに決まっているでしょ?」

「どうして連絡先を交換したんだ? 俺はちゃんと東野さんと向き合おうとしているんだって思った。別荘旅行の時だって、楽しそうに東野さんのフリをしていた。素直になれよ!」

 強い口調で俺の想いをぶつける。だが、いいんちょは無表情で、全く頷かない。

「……ごめんなさい。これ以上、倉雲くんたちと一緒に帰れない」

 そう言い残し、いいんちょが俺たちの元から走り去っていく。


 そんな後ろ姿を見て、心美は溜息を吐いた。

「奈央と一緒なら、このチケット受け取ってくれるって思ったんだけど、上手くいかないね」

「そうだな。ああ言ってたけど、ホントは東野さんのこと意識しているはずなんだ。それで、これからどうするんだ? そのチケットを渡すために一緒に帰ろうって誘ったんだろ?」

「私はこのまま、流紀ちゃんの家のブックカフェでお茶していくよ。あの店のミルクティーを飲みたいって言葉はウソじゃないから」

「分かった。付き合ってやる」

 そう了承した俺は心美と一緒にブックカフェに向かう。



 いつものドアを開けると、店内のカウンター席にお客が1人だけという寂しい店内が広がっていた。 

 そこで座っていたのは、低身長の茶髪少女。肩まで伸びた茶色い髪が特徴的で、黒いワンピースを着ている。


 すると、逃げるように帰ってきたいいんちょが、水色のエプロンを着て、店内に顔を出した。

「倉雲くん、あんなもの受け取るつもりないから、今日は……」

 そう言いながら、いいんちょが俺たちの元へ歩み寄っていく。その直後、カウンター席に座っていた謎の客が、コーヒーカップを右手に持ち、立ち上がる。

「やっぱり、その声、吹雪ちゃんと似てるね」

 呟きながら、かわいらしい顔を向けた少女の前髪は、軽くウェーブしていた。

 

 それから謎の少女は、続けていいんちょに頭を下げる。

「初めまして。倉永詩織です」

「なんだ、東野さんの友達か?」

 そう呟いた俺の声を聞き、謎の少女はクスっと笑った。

「吹雪ちゃんと同じくらい有名になったつもりだったんだけど、まだ知らない人がいたなんて……」


「……つまり、あなたは吹雪と同じアイドル?」

 いいんちょが目を点にして首を傾げると、目の前にいるアイドルが優しく微笑む。

「芸歴や年齢は私の方が上ですよ。境遇が同じ妹として可愛がっています」

「妹……」

 ウチのクラスの学級委員長が瞳の中で火花を散らす。そして、対抗心むき出しのまま、怖い顔になったいいんちょは、倉永さんとの距離を詰めた。

「いいんちょ、ケンカはダメだ!」

 慌てて2人の間に入った俺を見て、いいんちょがクスっと笑う。

「倉雲くん。私がそんな大人げないことすると思う? 別に私は……」

「ごめんなさい。今日は吹雪ちゃんに頼まれて、この店を訪れました。今度の夏フェスに来ていただけませんか? 私と吹雪ちゃんが一緒に大きなステージでライブするんです」


「行きたくありません」

 それでもいいんちょの結論は変わらなかった。それでも、倉永さんは諦めない。

「……私も吹雪ちゃんと同じで、片親に育てられました。顔すら知らないお父さんのところに生き別れのお兄さんがいるらしくて、今はお母さんと2人暮らし。だから、吹雪ちゃんの気持ちが分かるんです。あのステージで歌っている姿を、あなたが見てくれたら嬉しいと思います。1度だけでいいから、イベントに来てください。チケットは事務所で用意しますから……」

「その必要はありません。もうチケットは用意済みです」

 そう言いながら、心美が右手を挙げた。

 一方で、真面目な態度で頭を下げたアイドルの姿を見ていたウチのクラスの学級委員長が深く溜息を吐く。


「……倉雲くん、あのチケット、心美ちゃんから預かっといて」

「いいんちょ、行く気になったのか?」

「ホントに行きたくなったら、また連絡するから、それまで考えさせて」


 断固拒否から一歩前進。そう思いながら、俺は心美からチケットを受け取った。


 



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