俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、幻のこだわりプリンを買いに行きたいらしい。前編
唐突に俺の家を訪問してきた榎丸さんは、玄関先で俺と心美に視線を向けた。
「おはようございます。倉雲さん。今日も心美ちゃんと一緒なんだ」
「おはよう。榎丸さん。えっと、今日は何の用なんだ? 特に約束もしてないと思うんだが……」
「まあまあ、立ち話も何だから、リビングで要件を聞いた方がいいと思うわ」
俺と榎丸さんの間に割って入ったお母さんに対して、榎丸さんは首を横に振る。
「お気遣いありがとうございます。ですが、表で車を待たせていますので、このままで大丈夫です」
「あら、そうなのね。それならいいけど」とお母さんが納得の表情を浮かべた。
「それで、何の用なの?」と俺の右隣で心美が首を傾げる。すると、榎丸さんは俺たちの前で両手を合わせた。
「今日はふたりに頼みたいことがあります。先日、倉雲さんや心美ちゃんが通う中学の文化祭に行った際、他の女子生徒たちから聞いたんだけど、明日って振替休日なんだってね」
「ああ、そうだけど……」
その答えを待っていたかのように、榎丸さんはホッとしたような表情になる。
「さて、ここからが本題です。明日、11月19日はシャルロット洋菓子店で1か月に1回しか販売されない幻のこだわりプリンが発売されます。それを食べてみたいので、倉雲さんに買ってきてほしいです」
「俺に頼みたいことって、いつものプリン買ってこいかよ! まあ、榎丸さんらしい頼み事だけどな」
要件を把握した俺の近くで、お母さんが目を輝かせた。
「シャルロット洋菓子店の幻のこだわりプリン。洋菓子の本場パリで修行したパティシエールが作る素材にこだわったプリンだって聞いたことがあるわ。限定100個で開店1時間前までに並ばないと買えないんだって」
「そうなんですよ。9月19日も10月19日も平日だったので、食べられなかったんですよ。専属運転手の結城さんに頼むわけにもいかないので、本日は直接頼みに来ました」
「あら、いいじゃない。シャルロット洋菓子店の幻のこだわりプリン。母さんも食べてみたいわ。次いでに頼んじゃおうかな?」
「それはいいですね! お母さま」
意気投合を始める榎丸さんとお母さんに対して、俺は苦笑いする。
「勝手に話を進めるなよ」
「あら、いいじゃないの。どうせ、明日は暇なんだから」
お母さんに指摘された後で、俺の右隣にいた心美が首を傾げた。
「いつの間に専属運転手なんて雇うようになったの? 私、その人に会ったことないんだけど……」
「1ヶ月くらい前にね。結城さん、すごく恥ずかしがり屋さんだから、パーティにも顔出さないんだよ。そのうち紹介するつもりなんだけどね」
「そうなんだ」と納得を示したあとで、心美は右手を伸ばした。
「じゃあ、私も奈央と一緒に行きます。明日は暇なので」
「それはいいわ。奈央、明日は朝から心美ちゃんとデートじゃなくて、おつかいしてきなさい!」
「シャルロット洋菓子店の幻のこだわりプリン。明日の放課後に倉雲さんの家に寄るから、楽しみにしてるから」
一瞬で包囲網が生成され、俺は溜息を吐き出した。
「ああ、分かったよ。明日はそのプリンを買ってくる」
「あの店の開店時間、午前10時だから、午前8時くらいに家を出た方がいいかもよ。ここからだと歩いて15分くらい必要だから」
ビシっと右手の人差し指を立てたお母さんと顔を合わせた心美が首を縦に動かす。
「お義母さん。分かりました。明日は午前7時50分までに訪問します」
「あら、10分前行動。流石、私の未来の娘ね」
「母さん、それは関係ないと思うぞ」
「それでは、人数分のプリン4つ、お願いします!」
優しく微笑む榎丸さんが頭を下げ、そのまま背を向ける。それからすぐに一歩を踏み出した病院院長の娘は俺の家から出て行った。
そして迎えた翌日の朝、いつもよりも30分早い時間に起きた俺は洗面台の前に立った。鏡に中肉中背の体型を映し出し、両手で水を汲んで顔を洗う。そのまま後ろ髪の寝ぐせを治すと、いつも通りにリビングへ顔を出す。
それからいつも通りに朝食を食べ、自分の部屋に戻り、クローゼットを開ける。
その中にあるハンガーラックから手に取るのは、いつもの制服ではなく、黒い長そでTシャツ。パジャマのボタンを外し、脱いでから手に取ったTシャツを着た。
「今日は心美とお出かけかぁ」
呟いた言葉と共に笑顔になる。平日の朝からデート。そんな特別な体験に胸を躍らせながら、青いジーンズを履き、水色のパーカーを羽織る。
こうして、お出かけ用の私服に着替えると、ズボンの財布とスマホを仕舞い、1階のリビングへと戻った。
ソファーに腰を落とし、テレビの右端へ視線を向けると、午前7時25分という文字が飛び込んでくる。約束の時間まで残り25分。
早く来ないだろうかと考えていると、洗い物を済ませたお母さんがニヤニヤしながら俺の元へ足を進めた。
「奈央。嬉しそうね。心美ちゃんと平日の朝からデートできて」
「そうだな。いつも学校に行ってる時間にデートなんて、すごく特別な感じがするなぁ」
「お土産のシャルロット洋菓子店の幻のこだわりプリン、忘れないでね!」
ビシっと右手の人差し指を立てたお母さんと顔を合わせた俺は溜息を吐き出す。
「それか買いに行くのが目的なのだが……」
「それだけはもったいないって母さんは思うなぁ。プリンを冷蔵庫に仕舞ったら、そのままデートしてもいいんだよ」
「悪い、他の行先が思いつかないんだ」
「もう」とお母さんが頬を膨らませる。そんな時、テレビの朝のニュース番組が芸能の話題を伝えた。
「アイドル総選挙の中間発表です。今年の注目は人気急上昇中の現役女子中学生アイドル、東野吹雪さん。13歳。総選挙初参加で1位を目指す彼女は断定2位。2期連続1位を目指す16歳の現役女子高生アイドル、日比野千春さんを押さえ、最年少1位の座を得ることができるのか? 気になる投票結果は来週日曜日に明かされます」
「あら、学級委員長の流紀ちゃん、スゴイわね」
総選挙の話題に興味を示した母さんの近くで俺は首を左右に振った。
「いや、いいんちょと東野さんは別人だから。この前、一緒に生放送番組見ただろ? いいんちょと東野さんが一緒に映ってた」
「そういえばそうだったわね。うっかりしてたわ」とお母さんが額に手を置く。
「あっ、ウチに学級委員長さん連れてきてもいいからね。親子関係で悩んでるんなら、相談に乗るって伝えといて」
「まあ、そのうちな」と答えを口にする間にもニュース番組は続いていく。
それから時間が過ぎていき、午前7時45分、インターフォンが鳴り響いた。
「あら、心美ちゃんかしら?」
楽しそうに呟いたお母さんが背を向け、玄関へと向かい歩き出した。そのあとをすぐに追いかける。
そうして、玄関のドアを開けると、その先には前髪にラベンダーをモチーフにしたヘアピンを停めた心美が立っていた。薄紫色のロングワンピースの上に茶色いジャケットを羽織る彼女は、俺を顔を合わせ、にっこりと微笑む。
「おはよう、奈央」
「おはよう。心美。なんか、今日の服、かわいいな」
ジッと心美の着ている服を見つめ、感想を口にする。そんな俺の言葉を聞いた心美は顔を赤くした。
「あっ、ありがとう」
「奈央、成長したわね。大好きな女の子の服見て、かわいいって言うなんて。お母さん、感激です!」
俺の右隣でお母さんが両手を合わせると俺は苦笑いした。
「どういうことだよ!」
「さて、予定より5分くらい早いけど、行こうよ! シャルロット洋菓子店」
心美が笑顔で俺の前に右手を差し出す。
いつもよりもかわいく感じる彼女と顔を合わせた俺は首を縦に動かし、靴を履いた。
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