俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、ドラキュラになりきりたいらしい。
あれは学校から帰宅して1時間ほどが経過した頃のことだった。
いつも通りにリビングのソファーに座って、スマホを弄っている間に、突然インターフォンが鳴り響く。その音を聞き、リビングに置かれた丸い机の前で正座をして、便箋に文字を記していたお母さんが顔を上げる。
「もしかして、心美ちゃんかしら?」
そう呟きながら目を輝かせた俺のお母さんが腰を上げる。その姿を見た俺は首を横に振る。
「違うと思うぞ。心美は今日忙しいらしいからな。今日は俺を待たずに一人で先に帰ったんだ」
「でも、外から車やバイクの音が聞こえなかったよ。よって宅配業者さんが来た可能性は低い。そして、今日は誰かが訪ねてくる予定も入っていない。よって、未来の娘がやってきた可能性が高いって母さんは推理したんだけど、どう?」
自信満々に推理を披露した母さんが胸を張る。その間にもインターフォンは鳴り止まなかった。
「どうって言われてもなぁ。そんなことより、訪問客が外で待っていることに変わりないだろう。早く玄関に行った方がいいんじゃないか?」
「そうね。未来の娘を出迎えなきゃね!」
明るい笑みを浮かべた母さんが玄関に向かい歩き出す。同じようにして、俺も玄関に向かうと、一足先に母さんが玄関のドアを開けていた。
そうして、訪問客と顔を合わせた母さんは背後にいる俺に視線を向けながら、ドヤ顔になる。
「ほら、心美ちゃん、中に入って!」
母さんに招かれて、俺の家の中に入った心美の姿を見た俺は思わず目を丸くした。
服装は俺が通っている中学校の女子制服ではなく、黒いシャツに紫のネクタイを締め、紫色のスカートを合わせた私服に着替えている。その上に羽織った赤と黒のリバーシブルマントがドアの外から入ってきた風で揺れ、俺の彼女が一歩を踏み出す。
畳まれた黒い傘の持ち手を右手で握った隣の家に住んでいる同級生は、玄関の中心で俺に笑顔を向けた。
いつもの顔から鋭い上の歯が左右に一本ずつ飛び出ている姿を見た瞬間、俺はやっと納得することができた。
「奈央、トリックオアトリート!」
「心美がドラキュラの仮装をして、俺の家にやってきた!」
いつも通りなツッコミを披露した後、心美がクスっと笑った。
「お義母さんが招いてくれたおかげで、奈央の家に入ることができました。ドラキュラって誰かに招いてもらえないと、家に入れないから」
「そういえば、いいんちょからそんな話を聞いたような……って、そこまで忠実に再現しなくてもいいと思うぞ」
「どうせなら、役になりきりたいからね。なぜか奈央の首筋を噛みつきたくなってきた」
相変わらずな答えに対して、俺は溜息を吐く。
「まだ続けるのかよ! それと、さっきから気になっているんだが、その黒い傘はなんだ? 天気予報だと今日は1日中雲一つない快晴が続くって言っていたのだが……」
心美が握る傘に視線を送ると、彼女は真顔で答えた。
「日傘だよ。ドラキュラは日光が弱点だからね。奈央の家までこの日傘を差して歩いてきた」
「完全にドラキュラになりきってやがる!」
それからすぐに、心美は両手を1回叩いた。
「あっ、いいこと思いついた。日傘で相合い傘してもいいじゃない」
「心美、言っている意味が分からないんだが」
「だから、相合い傘でお散歩をしようよ。丁度良くここに日傘があるし、ドラキュラ役の私を日光から守ってほしい。ダメかな?」
心美が目と目を合わせる。そんなやりとりを近くで見ていた母さんは両手を合わせた。
「面白そうね。奈央、心美ちゃんを日光から守りながら、お散歩してきなさい。頼れる男アピールのチャンスよ!」
「おいおい。日傘で相合い傘って何だよ! そんなの言い出したら、毎日相合い傘ができるから、特別感がなくなるだろう」
俺の口から飛び出した正論を耳にした心美が一瞬悲しい表情を見せたあとで、溜息を吐く。
「……そうだね。確かに、毎日相合い傘で登下校したら、特別なことにならないね。変なこと言ってごめんなさい」
隣の洋館に住んでいる同級生が頭を下げてから、背中を向ける。その後ろ姿を見た瞬間、胸がモヤモヤしてきた。心美の悲しそうな顔が頭を埋め尽くしていく。
このまま一人で帰したらダメな気がする。
そんな想いが心の中で浮かび上がると、俺の右手はいつの間にか前に伸ばされていた。靴下を履いたままで一歩を踏み出し、離れようとする心美の右腕を掴む。
「待て、心美。今日は特別だからな。同じ日傘に入りたい」
この一言を聞いた心美が背後を振り返る。頬を赤くして、明るくなった顔を見せた心美は目を丸くする。
「ホントにいいの?」
「いいけど、今日だけだからな」
照れながら彼女の腕から手を離すと、一部始終を間近で見ていた母さんが熱いし視線を俺に向けていた。
「奈央、さっきの引き止め方いいね。母さん、近くで見ててドキドキしちゃった。もしかして、普段から心美ちゃんとこんなやり取りをしてるのかな?」
真っ赤な顔になった母さんからと顔を合わせた瞬間、急に恥ずかしくなって、視線を思わず逸らした。
「壁ドンとかいろいろな」
「まさか、息子の口から壁ドンという言葉が聞けるなんて、想定外だわ。今度、心美ちゃんに壁ドンした時の話を聞かせて」
グイグイと息子に迫る母親に対して苦笑いした後、俺の目の前に立っていた心美が背後に見えた俺のお母さんに笑顔を向けた。
「じゃあ、お義母さん。奈央と散歩してきます」
そう伝えた心美が、空きっぱなしになっている玄関のドアから出て行く。
そんな彼女を追いかけるため、靴を履いてから駆け出した。
玄関のドアを閉めると、近くで心美が黒い日傘を差している姿が見える。そうして、背後に俺がいることに気が付いた心美は、開いた日傘を俺に差し出した。
「はい、奈央。楽しいお散歩の始まりです。今日の私はドラキュラだから、日光から守ってね」
「ああ、分かった」と短く答えた俺は日傘を手に持ち、ドラキュラの仮装をしている心美と横に並んで歩きだした。
玄関から出て右に曲がり一本道を散歩する。夕暮れ時の涼しい風が彼女の長い髪を揺らし、周囲に目を向けると、買い物を済ませて自宅に戻る主婦たちを何人か見かけた。
「それにしても、不思議な気分だね。晴れてるのに相合い傘するなんて」
「しかも、ドラキュラに仮装した彼女とな。こんなことできるのはハロウィンだけだな。そういえば、今日、一人で先に帰った理由って……」
「ああ、一足先に帰って、仮装して奈央の家を訪問したくてね。ホントはグロテスクな特殊メイクで奈央を驚かせようと思ったんだけど、そういうのが得意な知り合いが全員、船上ハロウィンパーティ参加者のメイクで忙しいみたいだから諦めたんだよ」
俺の疑問に対して答えを返した心美は同じ日傘に入り隣を歩く俺に視線を向けた。
「船上ハロウィンパーティってスゴイな。ところで、心美はそのハロウィンパーティーに出なくて良かったのか?」
「招待状届いてないから」
「そうだったんだ……」と言いかけたとき、いくつもの痛い視線が胸に刺さった。隣を歩く足を止め、周囲を見渡すと、数人の主婦たちがチラチラとこちらを見ている。
恥ずかしさから顔が真っ赤に染まっていくのを隣で見ていた心美が首を傾げた。
「奈央?」
「悪い。他人の目が気になって、恥ずかしくなった」
「そうなんだ。私は奈央と一緒なら、他人の目なんて気にならないけどね」
視線を真横に向けると、心美が優しく微笑んでいた。その顔には恥ずかしさがない。あの言葉は本心であることを理解した俺は、首を左右に振り、彼女と共に雲一つなく黄昏の空の下で日傘を差したままで、彼女の隣を歩いた。
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