俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、プールに行きたいらしい。

 プールの中から見上げた太陽のきらめきは眩しいものだった。

 25メートルプールのゴール地点にある壁をタッチしてから、水の中から顔を上げる。

 その先で小野寺さんの顔が飛び込んできた。薄紫色のワンピースに似た水着姿の自称資産家令嬢と視線が合い、微かに胸が熱くなった。


「カナヅチだと思ったけど、そんなことなかったんだ。普通で面白くないなぁ」

「何期待してるんだよ!」

 クスっと笑う小野寺さんと顔を合わせながら、プールサイドに上がり、周囲を見渡す。

 そこには多くの親子連れや学生たちがいる。そんな彼らを見て、俺はため息を吐いた。


 夏休み初日。地元の市民プールは、近くの公園から聞こえてくる五月蠅いセミの鳴き声が響いている。

「それにしても、すごく混んでるね。市民プールなんて、私、初めてだよ」

 あまりの人の多さに呆気にとられた小野寺さんを前にして、「ああ」と短く答える。そして、改めて水着姿をジロジロと見た。


「何? もっと大胆なヤツの方が良かった? この水着、倉雲君に見せたくて買ったんだけど……」

 くるくると横に回転した小野寺さんはかわいさをアピールする。

「俺のために買ったとか、なんか恥ずかしいな」

 急に照れた顔を近くにいた小野寺さんに隠すように、横を向いた。

「まあ、無難なのを流紀ちゃんと相談して選んだんだけどね。そういえば、倉雲君が学校指定の青い海パン履いてるの初めて見たわ。学校のプールは教室の窓から見えないし」

 ジロジロと海パン姿を見られた俺の恥ずかしさら強まっていく。

「学校指定のヤツしか持ってない俺への当てつけかよ。それにしても、いいんちょといつの間に寄り道なんてするようになったんだ?」

 再び視線を合わせ、疑問を口にした瞬間、俺はハッとした。


 2人きりでプールに行くことをいいんちょが知ってるとしたら、今もどこかで俺たちを監視しているかもしれない。

 そう思うと妙な緊張感が襲い掛かった。

「水着買いに行ったのは、1週間くらい前だよ。もしかして、水着試着してるところ見たかった?」

「イヤ、男子が女子の水着売り場にいたら、恥ずかしすぎて死ぬ。そんなことより、まさかどこかにいいんちょがいるんじゃないのか?」

 キョロキョロと見渡す仕草の俺を見て、小野寺さんは首を横に振る。

「いないよ。ホントは流紀ちゃんも誘ったんだけど、今店が大変なことになってるからって、断られちゃった」


「大変って、あのブックカフェに何があったんだ?」

「人気急上昇中の吹雪ちゃんとそっくりな看板娘がいるって噂がファンの間で広まってるらしいから、その対応に追われてるんだって。でも、旅行は予定通り行けるみたい」

「そっくりも何も、双子の妹だ」

 いいんちょの双子妹の顔を頭に浮かべると、小野寺さんも頷く。

「うん。吹雪ちゃんは双子の姉がいることをファンのみんなに隠してるんだって。もちろん流紀ちゃんも、そっくりさんっていう設定で通してる」

「いいんちょも俺たち以外に双子の妹がいるってこと隠してたからな。お互い様だ。それにしても、似た者同士なんだな」

「多分、親が離婚してるっていう事実を隠したいっていう大人の事情もあるんだと思うけど、やっぱり似てるよね? 流紀ちゃんと吹雪ちゃんって」

「ああ、そうだな。ところで、なんでこんな市民プールに行こうなんて言い出したんだ? あの小野寺グループのプライベートビーチの方が良かったんじゃないのか? その方が人少ないからゆっくり泳げるはずだ」

「一度市民プールってところに行ってみたかったからね。一人で行くより倉雲君と一緒の方が楽しいと思ったから誘ったんだよ」


 頬を微かに赤く染め、笑顔で答える小野寺さんの姿を見て、胸がドキっとした。小野寺さんの好意はダイレクトに伝わってくる。

 そんな時、人混みの中から聞き覚えのある声が聞こえた。

「見つけた♪」

 その人物は人混みから離れ、俺たちの前に姿を晒した。プールサイドに立つ姿を見て、俺は目を丸くする。

「いいんちょ。なんだかんだで来てたのかよ!」

「違うよ。私は東野吹雪」

 ヒソヒソと俺に耳打ちする東野さんを見て、小野寺さんは頬を膨らませた。

「またヒソヒソ話してる」

 そう小野寺さんが呟いた後、東野さんはキョロキョロと周りを見た。

「流紀姉ちゃんは来てるの?」

「ああ。いいんちょは、ブックカフェを手伝ってるらしいよ」

「そうなんだ。今日はプライベートで泳ぎに来たんだけど、デートの邪魔だったかな?」

「そんなことよりいいのか? 東野さんは今人気急上昇中なんだろう? もしここにいるってことがバレたらパニックに……」

 耳打ちして状況を整理する俺の声を聴き、東野さんは真顔になる。


「大丈夫。そっくりさんのルカちゃんって呼んでくれたらね。あっ、漢字は流れの流に香りの香ね」

「双子っぽいネーミング提案しやがった」

「そうそう。憧れてたんだ。流紀お姉ちゃんと似ている名前。だから、今度から周りに人がいる時は、流香って呼んでほしいな。私の正体バレたら面倒くさいし」

 かわいらしく両手を合わせる東野さんと顔を合わせ、首を縦に動かす。

「分かった。じゃあ、流……」

「ストップ!」

 俺と東野さんの間に小野寺さんが両手を左右に広げて割って入り、怒りをぶつけた。

「倉雲君、私のこと名前で呼んだことないのに、なんで他の子の名前を呼ぼうとしたの?」

「心……美」


 何と答えていいのか分からず、声を詰まらせてしまう。それから数秒の沈黙が流れ、ようやく気付いてしまった。無意識に小野寺さんの名前を呼んでしまっていることに。

「私の名前をちゃんと呼べないんだったら、他の子の名前呼ばないでよ。いつも通り、小野寺さんって呼んでね」

 怒りと嫉妬が混ざる声にゾクっとした。

「分かったよ。呼び方は変えない。こういうのは正式に交際が許されてからにしたいからな」

 そう強制的に誓わされた後、東野さんは思わず「えっ?」という声を漏らした。

「もしかして、まだ付き合ってなかったの? まだ友達以上恋人未満なんて、イミワカンナイ。それとも、まだ踏み止まってるってことかな? カップルになったら隠し事できないから」

 なぜか小野寺さんは両目を見開き、体を小刻みに震わせていた。そんな姿を見て、東野さんは一瞬頬を緩め、小野寺さんの元に歩みよる。そして、俺の目の前で耳打ちしてから、体を半回転させる。

「デートの邪魔したくないから、またね♪」

 右手を振り、人混みの中に消えていく東野さんを見送り、再び小野寺さんの方を見る。そこには何かに動揺する自称資産家令嬢の姿があった。

「大丈夫か?」

 心配して声をかけると、すぐに小野寺さんは笑顔になる。

「うん。大丈夫。まだ時間いっぱいあるから、一緒にプール楽しもうね♪」

「ああ」

 短く答え、小野寺さんと一緒にプールサイドを歩く。そんな俺の頭には、小野寺さんの真実を知っているらしい東野吹雪の姿が浮かんでいた。


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