俺のクラスの学級委員長の妹は、卒業を検討しているらしい。

「人気アイドルの東野吹雪さんと間違えて別の女子中学生を刺し殺そうとしたとして、自称会社員の伊藤正志容疑者を逮捕しました。調べに対して伊藤容疑者は、東野吹雪さんを有名にしたかったなどと意味不明の供述を繰り返していることが関係者からの取材で明らかになっています。また、伊藤容疑者は東野吹雪さんに殺害予告を送った疑いもあり、警察は余罪を追及しています。それでは、被害に遭った女子中学生が搬送された榎丸病院前から……」


 事件発生翌日の朝のニュース番組に映り込んだ11階建ての大病院を見ていた俺は、眠たそうに瞼を擦った。

 丁度その時に、インターフォンが鳴り響く。

 既に制服に着替え終わっていた俺は、欠伸をしながら玄関のドアを開けた。

 その先にいたのは、制服姿の心美。

 彼女は、心配そうな顔つきで頭を下げた。


「奈央、ごめんなさい。いつもより20分も早く来てしまいました。私、流紀ちゃんのことが心配です」

「そうだよな。俺も心配だ。俺たちの目の前で事件が起きたっていうのに、全く情報が入ってこないからな」

「それは流紀ちゃんのお父さんの配慮なんだと思うよ。友達の私たちに余計な心配をさせないための。まあ、知らせがないのは無事な証拠だって誰かが言ってたけど、すごく心配だから、これから登校前に榎丸病院に寄り道するつもり」

 心美の発言に俺は慌てて両手を振った。

「今から行くつもりかよ! 朝早くからお見舞いしたら、いいんちょたちが迷惑するはずだ。別に放課後でもいいと思うぞ」

「じゃあ、奈央は流紀ちゃんのこと心配じゃないの?」

「一睡もできないくらい心配だが……」

 そう言いながら、また瞼を擦った。そんな仕草の俺を見た心美が悪戯に笑う。

「ふーん。それくらい心配なんだ。じゃあ、私が流紀ちゃんと同じように襲われたら……」


「死ぬほど心配するかもな」

 正直な答えを聞いた心美の表情は明るくなる。

「私と同じだ。私も奈央が事件に巻き込まれたら、死ぬほど心配になるから。それで、奈央、どうするの? 表にヨウジイのリムジンが停まってるんだけど、よかったら私と一緒に……」

「ああ、分かった。ちょっと、カバン持ってくるから、待ってろ」

 俺は重たい肩を落としながら、リビングに戻った。



 そうして、学校に行く準備を終わらせた俺は、いつものように玄関で靴を履き、玄関のドアを開けた。

 直後、俺は異様な光景を目にして、目をパチクリとさせた。

 カバンを取りに戻っていた間に、玄関から真っすぐ真っ赤なカーペットが敷かれていて、その先にあるのは黒色の高級車。

 リムジンの前には、面識がある心美の使用人がいる。

「奈央様、お待ちしておりました」

 そんなヨウジイの挨拶の後で、俺は目を点にして、隣にいる心美と顔を合わせた。

「心美、これは何だ?」

「レッドカーペットだよ。こんなこともあろうと思って、奈央の家の玄関から道路までの距離を計算して、ピッタリな長さのレッドカーペットを特注したんだぁ。それが昨日届いたので、早速使ってみようかと」

「どういう時だよ!」


 いつもの調子でツッコミを入れた俺は、ほどよく柔らかく歩きやすい真っ赤なカーペットの上を歩いた。

 車との距離が近づく間に、ヨウジイが車のドアを開ける。

 金持ち気分を感じ取りながら、リムジンの後部座席に乗り込もうとした直後、「あっ」という声が漏らしながら、後ろを振り向く。

 急に動きが止まった俺を心美は不思議そうな顔で見つめた。

「どうしたの? 学校への生徒の送り迎えは禁じられてるけど、学校近くのコンビニまでなら大丈夫だよ」

「いや、そうじゃなくて、いいんちょが入院してる病院の前にはマスコミが押し掛けてるんだよな? こんな時にこの車で病院に行ったら……」

「マスコミ対策は大丈夫だよ。榎丸病院にはVIP専用の出入口があるから、そこから出入りしたら騒ぎにはならない」

「そんな出入口があるのかよ!」

「一般人は足を踏み入れることができないところだからね。奈央、安心して乗っていいよ」

「ああ」と答えながら、高級車に乗り込んだ。その隣には、当然のように心美が座り、リムジンは走り始めた。

 

 15分ほどで榎丸病院のVIP専用駐車場に到着。

 車一台も停車していない地下空間から高級車を降りた俺は、周囲を見渡した。

「それにしてもスゴイな。俺たちしかいないぞ」

「そうでしょ。ココを貸してくれた一穂ちゃんに感謝しないとね」

 同じように停車したリムジンから降りた心美が俺との距離を詰める。

「そういえば、いいんちょが入院してる病室って……」

 そう尋ねた瞬間、彼女は俺の左腕にしがみついてきた。

「7階の第5病室だって、流紀ちゃんのお父さんが教えてくれたよ。ねぇ、早く行こうよ。VIP専用エレベーターに乗って!」

「ああ、そうだなって、VIP専用エレベーターもあるのかよ!」

 反響する声を聴き、心美はクスっと笑った。

「そうだよ。他にも屋上にはVIP専用ヘリポートもあるんだって」


 高級感のあるエレベーターは、7階で止まった。そこから真っすぐ進むと、いいんちょが入院している第5病室が見えてきた。

 薄青色のドアを静かにスライドさせた瞬間、飛び込んできた光景に俺は息を飲み込んだ。


 最初に見えたのは正面に設置された心電図モニター。ベッドに目を向けると、酸素マスクを取り付けたウチのクラスの学級委員長が眠っていた。

 その近くで、男物の上着を掛けられた状態でかわいらしく寝息を立てていたのは、いいんちょと似ている女の子。

 窓から差し込んできた朝日が彼女の目を照らした後、ベッドの近くで眠っていた面識のある彼女は眩しそうに目を開けた。

 

「吹雪ちゃん」と心美が名を呼ぶと、東野吹雪は突然現れた俺たちを見て、目を丸くする。

「心美ちゃん、どうして?」

「学校に行く前に、奈央と一緒に流紀ちゃんのお見舞いに来たんだよ。それで、流紀ちゃんの容態は?」

 心美の隣で頭を下げた俺を一瞬だけ見た東野さんは、首を縦に振った。

「命に別状ないけど、まだ意識が戻らないみたい」


「そうなんだな。じゃあ、俺からも聞いていいか?」と右手を挙げてから尋ねると、東野さんは視線を俺に向けた。

「どうぞ」

「なんで東野さんがここにいるのか? 別に心配だから駆けつけたんだってことはなんとなく分かるけど、有名人の東野さんが、騒ぎを起こさずにどうやってここに辿り着いたのかが気になったんだ」


「流紀姉ちゃんが私と間違われて襲われたって聞いたから、お父さんに連絡して一緒に来たんだ。昨日は丁度オフだったから、お仕事をキャンセルしなくても、すぐに駆けつけられて良かった。それで、正面玄関からお父さんと一緒に病院に来たってわけ。一応、お父さんに私のことを流香って呼ぶように言ったんだけど、気まずいみたいでね。まだ一度も名前は呼ばれてないし、まともな会話もできない。倉雲くんたちが来るまで、息が詰まりそうで死ぬところだったよ」


 自分の背中にかけられていた男物の上着を畳みながら明るく笑ういいんちょの妹と対面した後で、俺は首を捻った。

「じゃあ、お母さんも来てるのか?」

「いないよ。一応連絡したんだけど、どんな顔をして会ったらいいのか分からないって言って、仕事に逃げたんだ」

「なんだよ。それ。娘が大変な目に遭ってるのに、なんで逃げるんだ!」

 我を忘れた俺の怒鳴り声を聞いていた心美が咳払いする。

「奈央、静かにして。病院だよ」

「ああ、悪かったな」と頭を下げた後で、東野さんは溜息を吐いた。


「私、アイドル、卒業しようかな」

 そんな声が不意に聞こえた後で俺は東野さんの悲しそうな顔を見た。

「それでいいのか? 言ってただろ。家族みんなで自分が出演している映画を映画館で観たいって。その夢も叶ってないし、こんなところで全てを投げだしたら、いいんちょは喜ばないと思うが……」

「……仕方ないでしょ。私が有名になった所為で、大好きなお姉ちゃんはこんな目に遭った。もちろん犯人も許せないけど、それ以上に自分自身を許せないんだ。またいつか、似たような事件が起きて、流紀姉ちゃんを傷つけてしまったらって考えると、夢を叶える必要あるのかなって思えてきてね。午後からこの騒動に関する会見をする予定になっているから、その時に卒業発表を……」


「諦めないで!」


 どこかから声が聞こえてきて、驚きながらベッドへ視線を移すと、意識不明だったはずのいいんちょが、いつの間にか目覚めていた。

 なんとか意識を取り戻したウチのクラスの学級委員長は、酸素マスクを取り外しながら、ジッと自分と同じ顔の妹と対面した。


「吹雪。私はあなたのことを恨んでないよ。不謹慎だけど、襲われたのが私で良かったって思ってた。だから、自分を責めないで。私は吹雪の夢を応援したいから!」

「流紀姉ちゃん!」

 そう呼びながら、東野さんは瞳に涙を浮かべて、いいんちょに抱き着いた。その一部始終を俺たちは近くで優しく見守っていた。


 それから、数秒後、双子妹を優しく包み込んでいたいいんちょが、「あっ」と声を漏らした。

 そして、いいんちょが視線を俺たちに向け、首を傾げる。


「倉雲くん。今、何時?」

「午前7時45分だな。そこの心電図モニターに時間が表示されてる。そろそろ学校に行く時間だな」

「学校……」と呟いたウチのクラスの学級委員長の顔は、突然青く染まる。

「私の皆勤賞が!! 吹雪、今すぐ退院するから……」


 焦る叫び声が病室に響いた瞬間、ガラガラと病室のドアが開く。

 そこから、ゾロゾロと患者が意識を取り戻したことを知った医者は看護師たちが入ってきた。


「椎葉さん。まだ精密検査も受けてないのに、退院させるわけがないだろう」

 看護師を挟んだ白髭の医者の宣告を耳にしたいいんちょは、「そんなぁ!」と落胆した。

 

 



 

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