俺のクラスの学級委員長の妹は、感想が聞きたいらしい。

 期末試験期間最後の土曜日の朝、窓から朝日が差し込み、ベッドの上で寝転がる。そんな俺の耳にスマホのバイブ音が聞こえてきた。部屋の中で響く音に反応し、体を咄嗟に起こし、瞼を擦りながら、学習机の上に置かれていたスマホを手に取る。


 その瞬間、目に飛び込んできた画面の文字を見て、俺の意識は覚醒した。そこに表示されていたのは、東野吹雪の文字。

 通話ボタンを押し、右耳にスマホを押し当てると、人気アイドルの声が聞こえてきた。


「おはようございます」

「おはようって、なんで電話かけてきたんだ?」

 驚き声を出すと電話の向こうで東野さんはクスっと笑う。

「突然、ごめんね。心美ちゃんからのモーニングコールかと期待させちゃって。それとも、睡眠妨害しちゃったのかな?」

「いや、今起きようとしてたところだから、安心していいぞ」

「そうなんだ。良かった」

 スマホ越しに明るいアイドルの声が届いた後、俺は首を捻った。

「それで、今日は何の用だ?」

「今日は倉雲くんに言っておきたいことがあって……」

「俺に言いたいことだと!」


 突然何を言い出すのだろうか? 

 なぜか胸がドキドキとしてきて、顔が赤く染まっていく。

 数秒の沈黙の後、東野さんは言葉を告げた。

「今夜6時30分、東都TVチェックしてね♪」

「おいおい。なんだよ! それ!」

 予想外な言葉に面を食らうと東野さんの声が甘くなる。

「忘れてるかもだけど、この前の修学旅行で行った京都で、ニッポン日帰りブラ散歩の撮影あったでしょ? あの番組の放送日、今日なんだよ。カットされてなかったら、ちょっとだけ出るから、倉雲くんに見てほしくてね」

「そういえば、そんなこともあったな」

「期末試験勉強の邪魔したら悪いから、無理してリアルタイムで見なくてもいいよ。録画でもいいから、あとで感想聞きたい。特に服のこととか」

「ああ、少しだけでも番組に出たいって言ってたな。でも、リアルタイムで見られるかは、母さん次第なんだ。母さんに試験勉強に集中しなさいって言われたら、従うしかないし。最悪の場合、録画したのを来週見ることになるかもしれない」

「……そうなんだ。じゃあ、気長に待ってようかな。それと1つだけ。私、今日の午後6時からお仕事だから、リアルタイムで番組見られないのね。プライベート用のスマホに電話するなら、番組終了後の午後8時以降にしてほしいな」


「おいおい。俺から電話するのかよ!」

「だって、リアルタイムで見られるか分からないって話でしょ? もしかしたら、その時間は試験勉強の真っ最中なのかもしれない。その邪魔したら悪いから、倉雲くんのタイミングで電話していいよ」

 優しい気づかいを知り、俺は首を縦に動かした。

「ああ、分かった。とりあえず、母さんと交渉してみるよ」

「お願いします。それでは、失礼……」

「ちょっと待ってくれ。1つ聞きたいことがあるんだが……」

 言葉を遮り、電話を切ろうとする人気アイドルと呼び止める。

「何? 私に聞きたいことって?」

「実は、いいんちょの誕生日にプレゼントを渡したいっていうヤツがいるんだ。今のところ、本と関連したモノを贈ろうって考えてるんだ。学校に持ち込んでも怒られないモノという条件を満たすモノがいいんだが、他にアドバイスないか?」


「ああ、松浦くんのことね。本に関連したモノっていう着眼点はいいと思う。そういうことなら、シンプルなデザインがいいかな? 私が知ってる流紀姉ちゃんは、シンプルなデザインが好きだから」

「分かった。参考にさせてもらうよ。じゃあ、失礼する」

 そう告げてから俺は電話を切った。朝から人気アイドルの生電話。多くのファンたちが憧れるであろう体験をしてしまい、思わず頬が緩んでしまう。

 そのままスマホを握り締めた俺は自室から出て行き、リビングへと向かった。


 リビングのドアを開けると、キッチンで朝食を作っていたお母さんが顔を上げる。

「おはよう。奈央」

「おはよう。母さん、ちょっと相談したいことがあるんだが……」

 そう切り出すと母さんは目を輝かせた。

「もしかして、心美ちゃんのことかな? そういうことなら、母さん、一緒に考えてあげる」

「いや、違うんだ。今夜6時30分からニッポン日帰りブラ散歩が放送されるんだけど、リアルタイムで見ていいか? この前、修学旅行中にあの番組のロケに遭遇したって話しただろ? 俺はカメラに撮られてないと思うけど、興味があって……」

「いきなりなんだと思ったら、相談したいことってテレビのこと? 母さん、呆気に取られたわ。まあ、見たかったら見ればいいんじゃない?」

 考える素振りすら見せず、即答され、俺は思わず目を点にする。

「母さん、忘れてないか? 一応、来週の水曜から期末試験が始まるから、土日は大事なんだ」

「止めてほしいの? そんなに見たいなら、番組始まるまで集中して試験勉強すればいいじゃない! それに、あの番組は90分くらいしかないでしょ? 午後8時から風呂入って勉強しても問題ないじゃない!」

 軽い助言を耳にして、俺は首を縦に動かした。

「ああ、分かった。じゃあ、今夜の旅番組はリアタイするよ」



 朝食や昼食を挟み、集中して期末試験の勉強を続け、遂にその時間がやってきた。

 夕食を摂りながら、テレビを流す。その間にテレビの中で俳優たちが京都の街並みを歩く。

 そして、旅番組は中盤に差し掛かり、ナレーションが流れた。


「CMのあとは、清水寺近くであのアイドルと遭遇!?」


「そろそろね。確か、清水寺の近くで撮影に遭遇したって話だったわね?」

 一緒にテレビを見ていた母さんが呟く。その隣で俺は頷いた。

「偶然、近くで撮影が行われてるって聞いたんだ。ロケは見学してないし、カメラには撮られてないと思うけどな」

「ところで、奈央。もしかして、流紀ちゃんの正体って、ホントは東野吹雪ちゃんだったりする? あの学級委員長さんと一緒の班で、同じ時間帯に清水寺にいたとしたら、CMのあとに吹雪ちゃんが出てくるんじゃないの?」

「……さあ、どうだかな?」と誤魔化した間に、CMが開ける。



「清水寺近くで偶然出会ったのは、人気アイドルの東野吹雪さん」

 そんなナレーションとテロップが流れ、テレビ画面には紺色のセーラー服の上に薄い黒のカーディガンを着用した東野さんの姿が映し出された。

「亀井さん。初めまして。番組をいつも拝見しています。東野吹雪と申します」

 そのあとで画面が切り替わり、白髪交じりで中肉中背の大物俳優は驚いたような表情を見せる。


「えっ、何? サプライズゲスト? 撮影日平日なんだけど、学校は?」

「はい。創立記念日とオフの日が重なったので、日帰りで京都観光旅行中です。そうしたら、偶然、この番組の撮影が行われてると聞いて、駆けつけました。あっ、視聴者の皆さん。ヤラセじゃありませんからね!」

 状況説明のあと、東野さんは笑顔でカメラに向かって右手の人差し指を立てた。その隣で旅番組に出演している大物俳優は首を縦に動かす。

「吹雪ちゃんの言う通りだが、気になることがある。吹雪ちゃんが着てるのは、私服かい? どっかの中学の制服みたいなんだが……」

「はい。私服です。この格好なら露骨な変装しなくても出歩けるので、便利なんですよ。それに、京都は修学旅行の行先としても有名です。この格好なら修学旅行生にも見えるので、周囲の目を気にすることなく観光できます!」

「なるほど。修学旅行生に変装ねぇ」

「はい。えっと、そろそろ失礼します。これ以上出演しちゃうと、ギャラが絡んできて、事務所に怒られてしまいますので。機会がありましたら、今度は一緒に旅したいです」

 一言伝え、会釈した東野さんはカメラから遠ざかっていった。


「プライベートで一人旅をしていた東野吹雪さんと別れて、清水寺へ向かいます」


 こんなナレーションを耳にしたお母さんが眉を顰める。

「うーん。怪しいわ。こんな偶然、出来過ぎてない? やっぱり、吹雪ちゃんと流紀ちゃんは同一人物なのよ!」

「いや、別人だから。この前、一緒に生放送番組見ただろ? あの時、確かに東野さんはいいんちょと共演していた」

「それはそうだけど……」

 腑に落ちない表情をお母さんが浮かべたあとも、番組は続いていく。

 それから30分ほどで旅番組は終わり、椅子から立ち上がった。そのままズボンの中に仕舞ったスマホを取り出すと、リビングから出て行く。



 自室に戻り、人気アイドルに電話すると、コール音は1回で終わり、すぐに電話は繋がった。

「もしもし。番組、観てくれた?」

「ああ。リアルタイムで観たよ。あの服、かわいいと思った」

 率直な意見を伝えると、東野さんは「うふふ」という嬉しそうな声が届いた。

「なんか、嬉しそうだな」

「その声が聴きたかったの。少しだけエゴサしたら、私服かわいいっていうファンの子たちのコメント見られたけど、やっぱり倉雲くんのコメントは特別だからね。じゃあ、試験勉強頑張って♪」

「意味が分からないのだが……」

「あっ、ごめんなさい。さっきの言葉、忘れて。じゃあ、試験勉強頑張ってね♪」

 動揺した声を響かせた東野さんが一方的に電話を切った。


 なんのことだかサッパリ分からず、困惑の表情を浮かべた直後、俺の中で疑念が生まれる。


 人気アイドルの東野吹雪は俺のことを……


「まさかな」と呟く俺の頭からは、いいんちょの双子妹の顔が離れなかった。

 

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