俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、回転寿司が食べたいらしい。
「ごめんなさい。奈央と一緒に歩いて帰ります」
ブックカフェの前に停車していたリムジンの運転席側のカーウインドーの前で心美は両手を合わせた。
その直後、庶民的な商店街とは不釣り合いな高級車が走り去る。
一部始終をブックカフェの入り口の前でいいんちょと一緒に見ていた俺は首を捻った。
「なんで俺と歩いて帰るんだ? 方向同じなんだから、あのリムジンに乗っても……」
「ごめんなさい。リムジンに乗りたかったなんて思わなかったわ」
そういいながら頭を下げる心美に対し、俺は首を横に振る。
「いや、別に乗りたいってわけじゃないんだけど、なんで歩いて帰ろうって思ったのかが気になっただけだな」
「車だとすぐ家に着いちゃうから、ゆっくり話せないでしょ? 私は奈央に話したいことがいっぱいあるから」
「分かった」と俺が答えた後、心美がいいんちょに右手を振った。
「流紀ちゃん、また学校でね」
そうやって、いいんちょと別れた俺たちは、そのまま俺の家に向かい歩き始めた。
「そういえば、流紀ちゃん。夏フェスに行ったのかな?」
心美が俺の隣を歩きながら、首を傾げる。そんな彼女の右肩には薄いショルダーバッグがかけられていた。それを一瞬だけ見てから、首を縦に振る。
「ああ、ちゃんと行ったらしいよ。なんだかんだで妹かわいいって言ってた」
「良かった。奈央が流紀ちゃんの背中を押したんでしょ?」
「そんなことした覚えはないな。俺はいいんちょと一緒に思い出のラーメン屋さんで……」
素直に事実を打ち明けた瞬間、急に空気が冷たくなった。
「私がいない間に流紀ちゃんと……」
そう呟いた心美が俺に対し怒りの視線を向ける。その背後に黒いモヤモヤと火花が見えた気がする中で、俺は慌てて両手を振った。
「違うんだ。確かに2人きりで食事したけど、浮気じゃないんだ」
「もういいよ。お義母さんに泣きつくから」
マズイことになったと思いながら、冷や汗を流す。その直後、俺の脳裏にいいんちょの顔が横切った。
心美はあの写真のことを知らないらしい。だとしたら、アレを知ってしまえば、もっと怒るに違いない。
そう思うと震えが止まらなくなった。
そんな仕草が気になったらしい心美が俺の隣を歩きながら、ジド目になる。
「こっちは昔から奈央のことが……」
「昔から?」
「あっ、さっきのは忘れて」
明らかに反応がおかしい。そう思いながら、心美と一緒に歩くこと20分。
俺の自宅の前に辿り着いた。
「ただいま」という俺の声に続き「おじゃまします」と小野寺さんが口にする。すると、次の瞬間、リビングからドタバタとした音が響いた。それから玄関まで高速移動でお母さんが飛んでくる。
この光景がデジャヴな光景に思わず苦笑いすると、心美が俺のお母さんの顔をジッと見つめた。
「お義母さん。奈央が私に黙って女の子と2人きりで食事したみたいです」
「ああ、この前、友達とでかけてくるって言ったあの時のことね。まさか、その時、奈央が心美ちゃん以外の女の子とあんなことやこんなことを……」
「だから、いいんちょと2人きりで食事しただけだ」
そう弁明しても、効果はなかった。2人は全く信じようとしない。
そうこうするうちに、俺のお母さんは溜息を吐きながら、財布を取り出した。
「仕方ない。奈央、今日のお昼は心美ちゃんと一緒に回転寿司でも食べてきなさい。お金は来月のお小遣いから2千円差し引いとくから」
「待て。心美の都合とかも考えた方がいいと思うぞ」
冷静な意見を物申してから、隣にいる心美へ視線を移すと、心美は瞳を輝かせていた。
「お義母さん。私、奈央とお食事したいです。今日は特に予定も入っていないので、大丈夫です!」
「決まりね。ホントはお母さんも一緒に行きたいけど、2人の邪魔をしたらダメだから我慢するとする」
成り行きで心美と一緒に近所にある回転寿司屋行きが決まり、俺は溜息を吐いた。
その回転寿司屋に心美と一緒に訪れたのは、こんな出来事から10分ほどが経過した頃だった。
自動ドアを潜り、周囲を見渡す心美は、俺の隣で「ふーん」と言葉を漏らした。
「奈央、人が多いね」
「そうだな。夏休み中のお昼時だからな」
受け答えた後で、チラっと待合室の前に置かれたタブレット端末を見る。
ここに表示されているのは、待ち時間30分の文字。俺はすぐにその端末の前に立ち、慣れた手つきで操作した。
その時、心美が物珍しそうに端末を覗き込んできた。
「それで奈央は何をやっているのかな?」
「この通り満席だからな。これを使って席を予約しているんだ。とはいっても、飛行機とかと違って、どこの席かまでは指定できないけどな。カウンター席か、テーブル席、どちらでもいいの3択の中から選ばなければならない」
「なんか面白いルールだね。ところで、流紀ちゃんと行ったラーメン屋さんも同じだったのかな?」
「あの時は、偶然開いていたテーブル席で、いいんちょと顔を合わせながらラーメンを食べたな」
「だったら、私もテーブル席で奈央とお食事する! カウンター席の方が座り慣れてるけど、やっぱり奈央と同じ視線の方がいいから」
「カウンター席の方が座り慣れてるって、流石お嬢様だなぁ。まあ、俺はどっちでもいいけど……」
ボソっと呟きながら、テーブル席を指定して、席の予約は完了。
そして、30分後、俺たちはテーブル席に案内された。楽しそうに俺と向き合うように座った心美は、ショルダーバッグを机の真下に置いてから、笑顔を向ける。
「これで流紀ちゃんに対抗できるよ。私も奈央と顔を合わせながらお食事したって」
「なんだよ。その対抗心。いいんちょは俺たちの友達だから、そんなのは必要ないと思うけどなぁ」
「正直言うと、奈央と流紀ちゃんが仲良さそうにしてるの見ると、イラっとするんだよね。もちろん、流紀ちゃんが悪い子じゃないってのは分かってるつもりなんだけど……」
「えっと、どうしたらいいんだ?」
目を丸くして尋ね返すと、心美がクスっと笑った。
「別に奈央はいつも通りでいいと思うよ。もしもの時は私がなんとかするから。そんなことより、ちゃんと教えてほしいな。私は回らない高級なお寿司屋さんにしか行ったことないから……」
「相変わらずのストレートな大金持ちアピールだな。まあ、そういうことならちゃんと説明する。えっと、この店のお寿司は基本税抜き100円。食べたいお寿司があったら、流れてくるのを取ったり、そこにある端末で注文したりすればいい」
「なるほど。板前さんに直接注文するシステムじゃないってことは分かったわ」
「他にも茶碗蒸しとかケーキっていうサイドメニューもあるけど、300円以上するからな。食べ終わったお皿は机の上に積み重ねろよ。それを数えて会計してもらうからな。因みに、俺の財布の中には、お母さんから受け取った2千円しかない。だから、予算は1人税抜き1千円以内にしてほしい」
「ざっくりとした説明ありがとうね」
そう言いながら、心美が楽しそうにメニューが表示された端末をタッチする。
その直後、彼女は「あっ」と声を漏らした。
「どうした?」
「驚いたよ。ここのお店、ウナギとアナゴを取り扱ってるんだなって」
「意味が分からないのだが……」
困惑する表情の俺の顔を覗き込んできた心美は、なぜかクスっと笑った。
「庶民はアナゴのことをウナギって呼ぶんでしょ? 同じ商品なのに、メニュー分ける必要あるのかな?」
「おいおい、全国のアナゴ好きの人よウナギ好きな人に謝れ! ウナギとアナゴは全くの別物だからな」
そんなこんなで、2人きりでの初めての外食が始まった。
目の前で美味しそうにお寿司を食べていく心美の顔を見る度に、愛おしくなる。
もしも、心美と結婚することになったら、こんな日常が続くのだろう。
そんなことを思いながら、流れてくるマグロを手に取った。
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