第10話 8月30日
俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生が帰ってきたらしい。
8月30日の午前9時、開店前のブックカフェのテーブル席に俺は座っていた。
一方で、俺と向き合うように座っているいいんちょは、原稿用紙に目を通している。
「うん、この読書感想文、倉雲くんにしてはよく書けてると思うよ」
優しく微笑みながら、いいんちょは原稿用紙を机の上に置いた。
「一言余計だが、相談に乗ってくれてありがとうな」
「別にいいよ。困ってるクラスメイトを助けるのも学級委員長の役目だと思うし」
「そういえば、いいんちょ、この前の夏フェスはどうだったんだ?」
丁寧に壁に飾られた倉永詩織のサインを見ながら、首を傾げてみせると、いいんちょは表情を明るくした。
「そうね。吹雪がアイドルしてるの初めてみたけど、ホントにかわいかった。人気急上昇中って話はウソじゃないって思ったよ。流石、私の妹」
「いいんちょ、シスコンかよ!」
「失礼ね」と軽い怒りをぶつけられた直後、俺のズボンのポケットの中で、スマホが震えた。
慌てて端末を取り出し、画面を見ると小野寺心美という文字が表示される。彼女から着信があったのだろうと思いながら、通話ボタンを押す。
そして、スマホを右耳に押し当てると、数週間ぶりに聞いた懐かしい声が響いた。
「私、心美。今……空港にいるの」
「ああ、確か今日帰って……」と言いかけた瞬間、電話は当然切れてしまう。
何か違和感を覚え不思議な顔になった俺の目の前で、いいんちょも首を傾げた。
「電話、心美ちゃんから?」
「ああ、なんか空港にいるらしいけど、一言だけで切れちまった」
「そういえば、今日って心美ちゃんが帰ってくる日だったね。空港に向かえにいかなくて良かったのかな?」
思い出したように両手と叩き、ニヤニヤと笑ういいんちょを前にして、「うーん」と唸り言葉を続けた。
「見送りやお迎えは必要ないって言われたからな。素直に従ったんだが、いけなかったか?」
「そうだね。あっちの都合もあるんだから、それでいいと思うよ」
「それで、さっきの電話は何だったんだ?」
「もしかしたら、電波が悪いのかもよ。もう一度かけなおしたら?」
「そうだな」といいんちょの意見に同意しながら、彼女の電話番号に折り返す。
だが、コール音が鳴るだけで、まったく繋がらない。
何度やっても結果は同じで、そうこうしている間に最初の着信から5分が経過した。
その時、俺の右手の中でスマホが震えた。
「私、心美。今、首都高をリムジンで移動中」
この一言だけで、電話は再び切れてしまう。
「また一言で切れちゃった?」
いいんちょが頬杖を突き、俺の顔を覗き込んでくる。
「今、首都高をリムジンで移動中なんだってさ」
「マジメに自分の行動を報告しているみたいだね。もしかして、心美ちゃんに何か言わなかった? 自分の行動を逐一報告するようにとか?」
「そんな束縛みたいなこと、するわけないだろ!」
慌てて席を立ちあがった俺を見て、いいんちょがクスっと笑う。
「ごめんね。そういう束縛したがる夫は離婚しやすいって、この前のワイドショーでやってたから心配になっちゃった。その言葉、ウソじゃないみたいだから、そこらへんは大丈夫そう」
「そうなんだな。知らなかった。やっぱり、俺のワガママで心美を縛ったらダメなんだな」
「えっと、何の話だっけ?」
そう俺の前で首を傾げたいいんちょに対し、溜息を吐きながら、手にしていたスマホを握り締めた。
「心美のことだ。アイツは中学卒業したら海外留学するって話は聞いてるな?」
「そうだったね。確か最低でも7年は帰ってこられないって……」
「俺は心美と同じ高校に通いたいって思っているんだ。最低7年の超遠距離恋愛なんてイヤなんだ」
「それって、倉雲くんも海外留学したいってことかな?」
「違う。海外留学はお金がかかりすぎる。だから、俺は心美と一緒に庶民的な高校に通いたい。でも、それは束縛なんじゃないかって、さっきの話を聞いて思ったんだ」
「それだけ想われてる心美ちゃんって幸せだね。その言葉、心美ちゃんにも聞かせてあげたい」
いいんちょが優しく微笑んだ瞬間、握られたスマホが震える。先程よりも間隔が短くなっていると思いながら、スマホを耳に当てると、心美の声が聞こえてきた。
「私、心美。今、流紀ちゃんのブックカフェに……あっ……」
その声と共にドアが開く音が響く。そして、出入口の方を見ると、清楚な真っ白なワンピース姿の心美が目を丸くしていた。
「どうして、奈央が流紀ちゃんと一緒にいるの?」
久しぶりに会った彼女に尋ねられた俺は席から立ちあがった。
「ちょっと、夏休みの宿題を見てもらっていたんだ。別に浮気とかそういうのじゃないからな」
慌てて両手を振りながら、心美と距離を詰める。すると、心美は頬を膨らませた。
「今日は家でゆっくりしてるって思ったのに、流紀ちゃんと一緒にいるんだもん。奈央をビックリさせる私の計画が破綻したわ」
「なんか悪いことしたみたいだな。ごめん。それで、どうやって俺を驚かる予定だったんだ?」
「メリーさんの電話をアレンジしたサプライズ計画だよ」
「メリーさんの電話? クリスマスは4か月くらい早いが……」
何のことかサッパリ分からず首を傾げると、心美がクスっと笑った。
「メリークリスマスじゃなくて、メリーさんの電話ね。捨てられたメリーさん人形から電話がかかってくる怖い話。人形から電話がかかってくる度に、徐々に自分に近づいていることが分かって、恐怖が増殖する。あの話を模倣したら、奈央を驚かせられるって思ったんだけど、奈央が流紀ちゃんと一緒にいて、こっちが驚いたよ。予定だと、次に電話するのは、奈央の家の前。玄関のドアを開ける前にどこかに隠れて、家に侵入できたら、最後に奈央の後ろで電話するつもりだったんだよ。私、心美。今あなたの後ろにいるのって。一応、知り合いに頼んで、練習させてもらったんだけど、サプライズ計画失敗しちゃった」
「なんかごめんな」と両手を合わせて謝ると、心美は優しく微笑んだ。
「別にいいよ。あっ、奈央に会ったら、最初に言おうと思ってたんだけど……」
「なんだ?」
「ただいま」
その一言で、俺は実感できた。
数週間ぶりに帰ってきた心美と顔を合わせることができ、思わず嬉しくなる。
そんな喜びを心に籠め、彼女の言葉に笑顔で答えた。
「おかえり」
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