俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、ウサギを描きたいらしい。
遠足の行先である動物園に向かう貸し切りバスの車内で、眠たそうに瞼を擦り、大きな欠伸を出す。そんな行動をした俺のことが気になったのか、隣の席にいるいいんちょは心配そうな表情を見せる。
「なんか、眠たそうね」
「昨日、あんまり寝てないんだ。小野寺さんと一緒に遠足を楽しむんだって考えたら、眠れなくなった。多分、俺はすごく楽しみにしてるんだと思う」
「そういえば、心美ちゃんに聞いたんだけど、遠足デート、倉雲くんが誘ったんだってね」
「まだ付き合ってないんだから、デートとか言うな。大体、こうなるよう俺を誘導したのは、いいんちょだろ?」
「私はアドバイスしただけだよ?」
そう言いながら、いいんちょは両指をツンツンする仕草をする。
「俺の背中を押してくれて、感謝してるけど、まさか、いいんちょ、俺たちの写真撮るつもりか?」
「うん。私は思い出を残すために、お父さんからカメラ借りて、いっぱい写真撮るつもり。それと、写真部に気をつけなさいよ。手分けして卒業アルバムに掲載する写真撮るみたいだから。生徒全員分ね」
「それって、卒業アルバムに俺と小野寺さんが一緒にいるところが載るってことかよ」
「一応全員分撮影して、使えそうな写真を選別するみたい。それやるの先生たちと写真部みたいだけど、実は私は写真部のみんなと仲が良いんだよ」
「まさか……」
思考を読み、青くなった俺の顔を見て、いいんちょは首を縦に動かした。
「そう。倉雲くんと心美ちゃんのツーショット写真、いっぱい卒業アルバムに掲載するよう指示することもできるってこと」
「いいんちょ。将来、悪徳政治家になりそうで怖い」とボソっと言ってから、いいんちょはニヤニヤ笑い始めた。
「やっぱり、心美ちゃんが良かったの?」
「いや、このままでいい。小野寺さんが同じクラスだったら、変に意識して授業中に集中できないかもしれないからな。この前、遠足の買い物をするために、お母さんの車に乗って出かけたときヤバかったし」
「つまり、倉雲くんは心美ちゃんのことが好き。そして、2人は家族公認の仲になったのだった。みんな、聞いた? 自白したよ♪」
バスの車内にいて、いいんちょの話に聞き耳を立てていたクラスメイトたちが一斉に「おー」という声を出す。
「なんか、最近、小野寺さんのこと見てるとドキっとすることあるけど……」
「それは恋です」
ビシっと人差し指をいいんちょが立てる。
「確かに俺は小野寺さんのことが好きなのかもしれないけど、やっぱり小野寺さんと庶民の俺が釣り合うわけないんだ」
「身分の差を愛の力で乗り越える。あああ、期待以上に面白くなってきたわ」
「他人事だと思って面白がるな」
そうこうするうちに、バスは動物園の駐車場に停まり、俺たちは順番に降りた。そうして、クラスごとに集まり入口まで移動しながら、小野寺さんの姿を探す。その間、少し離れた集団から外れた影が見えた。その人物は、俺がいる方へゆっくりと進んでいく。
「倉雲。心美ちゃんを守ってやれよ」
そう言いながら、俺に近づいてきたのは、渡辺さんだった。
「どういうことだ? お菓子なら俺と一緒に普通のヤツを買いに出かけたから、高級菓子は持ってきてないはずだ」
訳も分からず首を傾げる俺の前で、渡辺さんは指を振る。
「倉雲は知らないだろうけど、心美ちゃんの手料理、かなり美味しいからな。家庭科の調理実習で食べたハンバーグは旨かった」
「それがどうしたんだ?」
「倉雲、能天気過ぎ。クラスのみんなは、心美ちゃんの弁当を狙ってるの。手作り弁当かシェフが高級食材を使った弁当かは分かんないけど、みんなは心美ちゃんの弁当を一口でも食べてみたいって考えているんだ」
ようやく事の重大さに気付き、頭を下げる。
「渡辺さん、教えてくれてありがとう」
「兎に角、手料理かもしれないから、一口でも食べさせてもらえよ」
そうアドバイスしてから、渡辺さんは駆け足で戻っていく。
そんな後ろ姿を見て、俺は「ふぅ」と息を吐いた。これから1日中、制服姿で小野寺さんと一緒にいられる。そう思うと、胸がドキドキしてしまう。
数分後に点呼が始まり、教師たちが動物園の入場券や案内図、白い画用紙と画板が配った。そして、A組から順番に入場が始まる。今から、この画用紙に鉛筆で動物の絵を描く。入場後、散り散りになっていくクラスメイトたちを横眼に、次に入ってくるはずの小野寺さんを入り口前で待つ。
「倉雲君」と呼びかけながら、俺の前に小野寺さんが姿を現したのは、2分後のことだった。
「小野寺さん。何が見たいんだ?」
問いかけながら案内図を広げる。その瞬間、小野寺さんが俺に体を密着させ、案内図を覗き込んできた。
「そうね。比較的描きやすそうなウサギとかいいと思う。そして、すぐに課題を終わらせて、倉雲君と一緒にいろんな動物見たいなぁ」
「課題を先に終わらせて、残り時間は遊ぶって夏休みの宿題かよ。それと小野寺さん、近いから。みんな見てる」
周囲にいる同級生たちの視線を感じ取り、照れながら小野寺さんの顔を見る。
「別に構わないよ」と短く答えた小野寺さんは、ギュっと俺の右腕を掴んだ。そうして、小野寺さんに引っ張られるような感じで移動した。
小動物コーナーは、既に多くの同級生たちが密集していた。全員考えることは一緒のようで、殆どがかわいく飛び跳ねているウサギの姿を観察している。
そんな同級生たちに混ざり、俺も視線を白ウサギに向け、黒鉛筆を取り出す。
「やっぱり、ウサギってモフモフしててかわいい」
そんな小野寺さんの声が間近で聞こえた。声がする方を向くと、眼前に姿が飛び込んでくる。
「小野寺さん、近くないか?」
「倉雲君がどんな絵を描くのか近くで見たかったから」
「そんなに面白くないと思うが……」
「じゃあ、私がどんな絵を描くのか気にならないの? 普段は見られないんだから、見るに決まってるじゃない」
「理屈は分かるけどなぁ」とつぶやきながら、目の前のウサギと画用紙を見比べながら、黒鉛筆で下書きを行う。今は鉛筆で下書きして、色は次の美術の授業で塗る。そんな流れを頭で思い浮かべながら、隣に座る小野寺さんの横顔を見る。特にからかうわけでもなく、真剣に下書きする小野寺さんの顔に見とれた瞬間、俺はハッとした。もしかしたら、どこかでいいんちょが俺たちの写真を撮影しているかもしれないのだ。
慌てて周囲を見渡し、そのまま視線を逸らす。そんな仕草を見て、小野寺さんは小さく首を捻った。
数十分で下書きが終わり、ほっとひと息といったところで、小野寺さんは俺が手にしていた画用紙を覗き込んだ。
「なんか、普通っていう印象。倉雲君って絵心ないって思ってた」
「悪かったな。下手な絵じゃなくて」
少しだけ怒りを声に込めると、小野寺さんは苦笑いする。
「私も似たようなものだよ。金持ちだから美術教室に通ってるはず。だから、絵は上手いんだって勝手なイメージで見られてる。実際はピアノと英会話のお稽古くらいしかやってないのに」
「小野寺さん、ピアノと英会話の習い事やってたのか。知らなかった。それで、どんな絵を描いたんだ?」
「やっぱり、気になってたんだ。これね」
そう言いながら、小野寺さんは俺に画用紙を渡す。この絵を見て最初に浮かんだ印象は、異常な描き込み量だった。あの短時間で、地面に転がる細かい小石や雑草といった風景を完璧にトレースしている。数匹の白ウサギも丁寧に描かれている。
「俺の絵と同じレベルだと一瞬期待した俺がバカだった」
「褒めてくれてありがとう。頑張った甲斐あったよ」
笑顔を俺に向けられ、俺は息を飲み込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます