俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、旅行が楽しみらしい。

 ついにこの日を迎えてしまったと思いながら、待合室の窓から飛び立つ飛行機を見下ろす。

 ピカピカに光る床。広々とした空間に高級感のあるソファーや机がいくつも並んでいる。左奥に視線を送ると、美味しそうなサンドイッチがキレイに並べられていた。



「このソファー、ふわふわしてる!」

 そうはしゃいでいるのは渡辺さんだった。オレンジ色のパーカーにジーパンという動きやすさを重視したコーディネートの友達は、窓の近くにソファーに座り、飛び跳ねている。

 そんな彼女の左隣で静かにいいんちょは文庫本を読んでいた。


「渡辺さん。元気だな」と率直な声を語り掛けると、渡辺さんは笑顔になる。

「飛行機乗るの初めてだからなぁ。待合室がこんなにスゴイとは思わなかった」

「それは違うと思うぞ」といつもの調子でツッコミを入れた後、俺は違和感を覚えた。こんな広い待合室にいるのは俺たちだけ。


 なにかがおかしいと疑念を抱くと、いいんちょは、「初めてね」と呟き、文庫本を閉じる。その目は潤んでいた。

「いいんちょ?」と問いかけた後、ウチのクラスの学級委員長は流れかけた涙を指先で拭った。

「ごめんなさい。6年前のこと思い出しちゃった。あの家族旅行で初めて飛行機に乗ったんだ。その時のことを思い出したら、なんだか泣けてきて……」

「まさか、その家族旅行の行先が島根だったなんて言い出すんじゃないだろうな?」

「違うよ。島根に行きたいって言った理由は、まだ秘密」

 クスっと笑ういいんちょを見て、俺は訳も分からず目を丸くした。


 それから、しばらく後、右奥の自動ドアが開き、白色のワンピース姿の小野寺さんと紺のスーツを着た初老の男が入室する。

 小野寺さんのワンピースの胸元には紫色の花のコサージュが付けられていて、前髪にはラベンダーをモチーフにしたヘアピンが止まっていた。

「ごめんなさい。CAさんたちに挨拶してたら、遅れました」

 俺たちに頭を下げる小野寺さんの後ろで、初老男性が紺色のスーツ姿で会釈する。

「みなさま。お初にお目にかかります。小野寺家の運転手を務めております。牧村洋二と申します」

「ヨウジイ、挨拶固いよ。そんな挨拶したら、みんな緊張するでしょ? それにいつもの服装じゃなくて、もっとカジュアルな感じでも良かったのに……」

 小野寺さんは、運転手の右腕をポンと優しく叩く。だが、ヨウジイは表情一つ変えなかった。


「相変わらずだね」と呟く自称資産家令嬢が、俺の前へ一歩を踏み出す。そのタイミングで俺も距離を詰めた。

「小野寺さん、今日はありがとうな。ところで、ここは小野寺グループ専用待合室とか言い出すんじゃないんだろうな?」

「違うよ。ここは普通のファーストクラス専用ラウンジ。貸し切り状態だけどね」

「普通の定義が分からんって、貸し切りって言わなかったか?」

「そうだよ。偉い人がいっぱい乗ってたら、みんな緊張すると思って、貸し切りにしたんだ」


「ファーストクラス貸し切りとか、やっぱりスゴイな。小野寺グループ!」

 渡辺さんが興奮しながら声を出し、目を輝かせた。

「帰りも同じく貸し切り状態、移動はリムジンじゃなくて高級車だから。あっちの知り合いが貸してくれるんだって」

「この1泊2日の旅行、予算がスゴそうだな」と苦笑いすると、渡辺さんはジッと小野寺さんの顔を見つめた。


「心美ちゃん。これから行く別荘ってプライベートビーチとかあるのか?」

「残念だけど、プライベートビーチがないところなんだよね。プライベートプールもないけど、最高のおもてなしはできるよ。最高級島根和牛も用意してあるし」

 少し落胆した渡辺さんから視線を小野寺さんに向ける。

「やっぱりスゴイな。小野寺グループ。庶民の友達との旅行に、ここまでのお金を賭けるなんて」

「私は倉雲君と一緒なら、低予算でも問題ないんだけど、それはグループの恥だって意見があったから、奮発したわ」


「それって、倉雲くんと一緒ならどこに行っても楽しいってことかな?」

 いいんちょが小野寺さんと顔を合わせ、からかうように笑う。すると、小野寺さんの顔は火照ってしまう。

「流紀ちゃん。そういう意味じゃないよ。倉雲君は私が普段行かないような楽しいところをいっぱい知ってると思ったからで……」

「全く否定できてないんだけど、まあいいや。続きは今晩ゆっくり聞かせてもらうから」

「続き?」と俺は首を傾げた。すると、いいんちょは悪戯な笑みを浮かべる。

「そう。お泊り会の夜は女子トークか怪談話って決まってるからね。そこでゆっくり恋バナを聞かせてもらうの。心美ちゃんが倉雲君を好きになった理由とかね」

 その直後、小野寺さんの顔はユデダコのように真っ赤になった。そして、すぐに両手で顔を隠し俯く。


「いいんちょ、からかうなよ。小野寺さん、恥ずかしがってるだろ?」

 ウチのクラスの学級委員長は、あきれるように溜息を吐いた。

「さすが倉雲くん、鈍感ヘタレ野郎だね。あのリアクション、バレバレでしょ? 心美ちゃんが倉雲くんのこと大好きなんだってこと。告ったらカップル成立するのにまだ友達以上恋人未満なんて、イミワカンナイ」

「ああ、そのセリフ、この前、市民プールに行った時に偶然会った東野さんにも言われた。やっぱり似てるな。東野さんといいんちょって」


「えっ、東野さんって、まさかあの東野吹雪さん?」

 勢いで座席から立ち上がった渡辺さんが驚き声を漏らす。

「だから……」と説明しようとすると、いいんちょは怖い顔になった。そして、席を立ちあがり、俺の前に移動。そして、左手で俺の口を塞ぎ、耳打ちする。

「吹雪が双子の妹だって話、秘密にしてよ。サインとか強請られたら困るでしょ?」

 ヒソヒソ話で状況を察した俺は、静かに頷いた。

「そっくりさんなんだ。だいたい、あんな有名人が普通の中学校に通ってるわけないし、今人気急上昇中で忙しい人が、呑気に友達と旅行なんてするわけないだろう」

「ふーん。でも、ある有名人が偽名で普通の高校に通っていたことを本人が明かしたってニュースなら読んだぞ。つまり、あり得ない話じゃないってことだ」

 胸を張り同一人物説を唱える渡辺さんの前で、俺は首を横に振る。

「残念だが、それは違うな。俺と小野寺さんは、いいんちょと東野さんが一緒にいるところを、この目で見ているんだ」

「そうか。だったら別人なのかもな」


 渡辺さんが疑いの視線をいいんちょに向けたのと同じく、搭乗のアナウンスが流れた。そのまま搭乗ゲートを潜り、俺たちは飛行機に乗り込む。

 ファーストクラスの席は400以上あるのに、ここには旅の参加者5人しかいない。驚くべき人口密度の低さを感じ取りながら、チケットが示す座席に腰を落とす。

 そして、無意識に手を置いた瞬間、柔らかい何かが俺の手と重なる。

 その隣の席には、小野寺さんがいた。顔を火照らせた自称資産家令嬢は、ジッと俺の顔を覗き込む。

「倉雲君、眠そうだよ」

「ああ、いろいろと考えてたら、眠れなくてな」

 眉を無意識に擦ると、小野寺さんがクスっと笑う。

「そんなに楽しみにしてたんだ。私も同じだよ。寝不足はお肌の敵だってヨウジイに怒られたんだ」

「マジか!」

「そういえば、一緒に遠くに行くの初めてだったね」

 その明るすぎて直視できない笑顔を前にして、胸が強く振動した。


 それから数分後、鉄の鳥が飛び立った。

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