俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、モーニングルーティーン動画に興味があるらしい。
ある日の朝、教室の俺の隣の席を囲むように、多くのクラスメイトたちが集まっていた。
「いいんちょ、見たよ。昨日投稿されたモーニングルーティーン動画。やっぱり、超人気アイドルは美容に気を使ってるんだね。すごくかわいかった」
鞄を机の上に置いてから、隣の席に視線を向けると、いいんちょの前で短髪の女子が腕を組んでいた。
「ホンモノの東野吹雪のモーニングルーティーン動画の感想を伝えられても、反応に困るよ」
輪の中で困惑の表情を浮かべたウチのクラスの学級委員長の横顔を見た瞬間、俺の頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
丁度その時、教室のドアが開き、別のクラスにいる心美が顔を出した。
一瞬だけ俺の隣の席に集まっている同級生に興味を示すような視線を送った心美は、俺の元へ歩み寄ってくる。
「おはよう。奈央。ところで、どうして流紀ちゃんの周りに人が集まってるの? 退院してから1週間以上経過してるから、流紀ちゃんを励ます会ってわけじゃなさそうだし……」
席に座っている俺の前に立った心美が首を傾げた。そんな彼女と顔を合わせた俺は唸り声を出す。
「それが、俺にも分からないんだ。東野吹雪のモーニングルーティーン動画がかわいいって声を聞いたんだが、何のことだか分からない」
ハッキリと心美の前で疑問を口にすると、心美は何かを思い出したかのように、両手を1回叩いた。
「あっ、思い出したわ。最近、モーニングルーティーン動画っていうのが流行しているってクラスのみんなから聞いたよ。庶民が面白いことしてるなぁって思った」
「えっと、心美。俺にも分かりやすく説明してくれ。モーニングルーティーン動画って何だ?」
楽しそうに語る心美の前で俺は疑問を投げかけた。
「その名の通り、朝の様子を撮影した動画だよ。それを渡辺さんにモデルさんが撮影した動画を見せてもらったことがあってね。ベッドから起きってから玄関のドアを開けて出かける普段通りの流れを撮影するの。朝食の様子や毎朝必ずやっていることも動画で紹介するんだってさ」
一通り説明した心美が溜息を吐く。その変化が気になった俺はジッと心美の顔を見つめた。
「心美、何か悩んでるのか? もしかして俺との婚約のことで……」
ジッと見つめられた心美の顔が赤くなっていく。そんな中で、心美は首を横に振った。
「違うよ。クラスのみんなから、私のモーニングルーティーン動画が観たいって言われたの。身近にいる超大金持ちの同級生の朝の様子に興味津々だから、困ってって。自宅公開はちょっと……」
「そうか。俺も心美のモーニングルーティーン動画が観たいな。心美のことがもっと知りたい」
俺の口からポロリと本音が飛び出した瞬間、心美の頬が赤くなった。
「そんなこと言われたら、撮影するしかないじゃない」
照れ顔に決意を宿した心美が首を縦に動かす。
「奈央。全米が泣いたハリウッド超大作顔負けのモーニングルーティーン動画撮影するから、待っててね」
「心美、趣旨を間違えてないか? そういうのいいから、普段通りの朝の様子が知りたいんだ!」
そんな出来事から2日後の放課後、俺の家を心美が訪れた。
いつものリビングで顔を合わせた心美の手には黒色のタブレット端末と正方形のケースが握られている。
「それでは、小野寺心美モーニングルーティーン動画上映会を開催します。この日のために、8Kカメラで撮影した動画を8K対応ブルーレイディスクにダビングしました。これで超高画質な映像で、私の朝の様子を鑑賞しましょう!」
ソファーに座った心美が正方形のケースを俺に見せつけた。それに対して、俺は目を点にする。
「心美、ウチにはブルーレイプレイヤーないから、それだと観られないんじゃないか?」
事実を突きつけられた心美がケースとタブレットを膝の上に置き、両手で頭を抱える。
「奈央の家の電化製品事情を把握していなかった私のミスだわ。こうなったら、このタブレットで一緒に見るしか……」
そう言いながら、心美は近くにいる俺に視線を向け、左手でソファーの空きスペースを指した。
「私のモーニングルーティーン動画は、奈央に最初に見てほしいから。隣に座って、一緒に見ようよ」
「隣って……」
「あっ、そういえば初めてだったね。奈央の家のソファーに一緒に座るの」
「ああ、そういえばそうだったな」
そう呟いた俺は、心美の隣に座った。いつも座っているソファーのはずなのに、いつもとは違うような気もする。
今まで何度か心美の隣に座ったことがあるのに、なぜか胸はいつも以上にドキドキしている。
そんな奇妙な感覚を味わっている間に、心美は手にしていたタブレット端末を俺に差し出した。
「はい。これを両手で持って」
言われるまま、端末を横に傾けた状態で両手で持つ。
そのあとで、心美は俺との距離を詰め、端末を覗き込んだ。
「心美、近くないか?」
突然のことに動揺した俺と顔を合わせた心美の頬が火照った。
「……5分間の辛抱だから、我慢して」
いつもよりも近い距離で見えた心美の横顔にドキっとする。
彼女の呼吸や心臓の音までも全身で感じてしまう。
そんな奇妙な感覚の中で、心美は腕を伸ばし、タブレット端末の画面をタッチした。
画面が少し揺れ、薄い紫色のネグリジェを着た心美が画面の中で頭を下げた。
「えっと、これでちゃんと撮れてるのかな? 皆さん、おはようございます。小野寺心美です」
その背景に映るのは、少しシワになったシーツが目立つシングルベッド。
その上に腰かけた心美が、カメラに視線を送る。
「ここが私の寝室。寝るためだけに用意した部屋です。広さはおよそ10畳ほどでしょうか? それでは、今から隣の衣装部屋で制服に着替えてこようと思います」
そうして画面が切り替わり、中学校の制服を着た心美がカメラを片手に持って廊下を歩くシーンが始まった。
「次に食堂で用意された朝食を食べようと思います」
豪華な内装の廊下が流れてきて、赤色の扉が開く。
すると、白色の布が敷かれた大きな机と数10個の椅子が飛び込んできた。
その光景は、どこかのドラマで見た大豪邸の食卓と同じ。
そのまま、画面の中の心美が上座の右端の席に座った。他の席には誰も座っていなくて、机の上には料理が盛り付けられたお皿が乗っていた。
「両親は海外にいるので、普段はこうやって広い食堂を独占しています」
そんな解説の後で、心美はカメラを食堂の机の上に置き、カメラの前で両手を合わせた。
「それでは、いただきます」
それから、野菜サラダやトーストを食べる場面や、洗面所で顔を洗う場面といったありふれた朝の様子が流れていき、モーニングルーティーン動画は終盤に差し掛かった。
「そろそろ登校時間ですね」
いつものカバンを手にした心美が真っ赤な絨毯が敷き詰められた廊下を歩いていく。
玄関のような扉をカメラが映し出すと、遠くから「いってらっしゃいませ」という声が聞こえてきた。
「今回、顔出しNGの仕様人さんに見送られてから、学校に歩いて向かいます。一応、この場を借りて告白すると、実は私、奈央と一緒に登校したことがありません。では、いってきます」
こうして、長いようで短いモーニングルーティーン動画が終わった。
そのまま、隣で画面を覗き込んでいた心美の顔は真っ赤になっていた。
「やっぱり、恥ずかしいね。こうやってプライベートの様子見せるの」
赤面した心美が俺から視線を逸らそうとする。そんな彼女を見て、俺は
咄嗟に心美の右手を握った。
「ありがとうな。忙しい朝に、こんな動画を撮影してくれて。おかげで、心美のことを……」
「奈央、母さんのいないところで心美ちゃんとイチャイチャしちゃって」
遮るようなお母さんの声が聞こえてきて、俺は目を見開いた。
声がしたリビングのドアの前を見ると、いつの間にかお母さんがいる。
「お母さん、いつの間に帰ってたんだ?」
驚きながら、ソファーから立ち上がると、心美が優しく微笑んだ。
「お義母さん。おじゃましてます」
「さっき帰ってきたんだよ。それで2人並んでソファーに座って、何をしてたのかな?」
興味津々な表情になったお母さんと顔を合わせた心美は、俺の手の中にあったタブレット端末を回収した。
「今日は奈央と一緒に動画鑑賞をしていました。お義母さんもどうですか? 今、若い子の間で流行しているモーニングルーティーン動画を撮影してみたんですよ」
軽く説明をした心美が俺のお母さんにタブレット端末を差し出す。
それに対して、お母さんは目を輝かせた。
「ああ、ワイドショーでやってたヤツね。奈央も一緒に見るわよ」
「またかよ」と呟いた後で、第2回小野寺心美モーニングルーティーン動画上映会が始まった。
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