俺のクラスの学級委員長の妹は特別ゲストと一緒に無料配信トークショーがしたいらしい。
10月30日の午後6時50分。自宅のリビングの机の前にノートパソコンを置いてから、夕食で使った皿を洗面台で洗う母さんに頭を下げた。
「母さん、ここでネットの生放送番組見ていいか?」
「別に今日は見たい番組もないからいいけど、何見るの?」
黄色いスポンジに洗剤を付けながら顔を上げた母さんが首を傾げる。
「2週間前、いいんちょが宣伝しまくってた番組が、午後7時から始まるんだ。あの東野吹雪が某所からみんなからの質問に答えるんだって」
「そうなんだ。母さん、暇だから奈央と一緒に見ちゃおうかな?」
「まあ、いいけど……」と返してから、パソコンをセットする。5分ほどで作業が終わり、生放送番組が配信される動画サイトにアクセスすると、画面にサムネイルが表示される。
『東野吹雪が某所で特別ゲストと生トーク&質問コーナー⁉ 放送開始までしばらくお待ちください』
黒い文字だけのシンプルすぎるサムネイルの真下には、待機中の人数が表示されていた。
「やっぱりスゴイな。東野さん。5分前なのに10万人待機してるぞ」
その人数に関心を示した間に洗い物を済ませた母さんが俺の右隣に座り込み、画面を覗き込む。
それから5分が経過した頃、画面が切り替わった。
カメラはラブコメ小説が並ぶ本棚を映しながら右へ進んでいく。
今度は、机や椅子が並べられたカフェのような空間が見え、中央の机の前には黒いセーラー服を着た髪の長い少女の姿。机の上には、他に黒色のノートパソコンも置かれている。
前髪を右に分け、オレンジのジャックオーランタンをモチーフにしたヘアピンで止めたその子は、読んでいた文庫本をそっと閉じ、カメラに顔を晒す。
「おっと、時間でしたね。こんばんわ。オール・パッセンジャーズ! 東野吹雪が某所で特別ゲストと生トーク&質問コーナー⁉ 楽しい生放送番組の始まりです。今回、初の生放送番組&初MCに緊張している東野吹雪です」
画面の中で笑顔を届ける人気アイドルは、周囲を見渡すような仕草を見せる。
「さて、私が今いるのは、ブックカフェ蓮香です。私のファンの方なら馴染み深いお店かな? ブックカフェ蓮香は美味しいミルクティーと本を楽しむことができるカフェで、本棚には恋愛小説が多く並んでいます。それでは、初めて来たので、記念に机にサインしちゃいます!」
「初めてじゃないだろ!」と画面に向かって俺は叫んだ。そんな声を聴き隣に座る母さんが首を傾げる。
「初めてじゃないって?」
疑問の声を聴き、俺はハッとする。いいんちょは、東野吹雪の正体が自分の双子の妹であることを秘密にしているのだ。このことをペラペラと何も知らない人に話すわけではない。そう思った俺は視線を逸らした。
「いや、この前、この店に心美と行った時に、東野さんがお忍びで来てたんだ」
「そうなんだ。そういえば、母さん、気になってるんだけど、奈央はどうして東野吹雪のことを東野さんって呼ぶの? やっぱり、奈央のクラスの学級委員長さんが、東野吹雪なんじゃないの?」
矢継ぎ早な問いかけを聞いた俺は、視線を隣に向けた。
「俺はあの小野寺グループのご令嬢の彼氏だからな。心美の紹介で、東野さんに会ったこともある。つまり、顔馴染みなんだ。それと、東野さんといいんちょは別人だからな」
息子の出まかせに納得した母さんが腕を組む。
「なるほどね。人気アイドルとも友達なんて、心美ちゃんスゴイわ!」
親子の会話の間に、東野さんは机の上にサインを記し、カメラに視線を送った。
「はい、サインしました。こちらの机は、来月11月末までブックカフェ蓮香にて展示予定です。さて、こちらのお店最大の特徴と言えば、私、東野吹雪のドッペルゲンガーじゃなくて、そっくりさんが看板娘として接客をしていることです。見た目や声までほぼ同じなので、人気アイドルへ会いに行けるブックカフェとして、ファンのみんなに親しまれています。ということで、本日の特別ゲストは、ブックカフェ蓮香の看板娘、椎葉流紀さんです」
紹介の後、東野さんの隣に見慣れたクラスメイトが座った。黒い三角帽子を被った魔女のコスプレ姿を披露したウチのクラスの学級委員長の両頬には、小さなドクロのシールが貼ってある。
「ご紹介いただきました。ブックカフェ蓮香の看板娘、椎葉流紀です。本日はよろしくお願いします」
「みんな、聞いた? そっくりでしょ? 実は私たち本日初共演なのです」
画面に『そっくりだ!」や「吹雪ちゃんがふたりいる!」というようなコメントが埋め尽くされていく。そんな画面が表示されたパソコンに視線を送る東野さんは頬を緩ませた。
「みんな、驚いてるみたいね。吹雪と流紀は共存できないって誰かが言ってたけど、こうやって共演しています!」
「そんなことより、冒頭のオール・パッセンジャーズって挨拶が気になってるんだけど……」
「ああ、今日の新聞に書いてあったんだよ。レディース&ジェントルメンって口上は時代遅れだ。これからはジェンダーに配慮したオール・パッセンジャーズにしろって。空港では既にレディース&ジェントルメンって文言は廃止されて、オール・パッセンジャーズやエブリワンって文言を使うようになったみたいだよ。数か月前に私と間違われて刺された看板娘さん」
クスクスと笑う東野さんの隣で、いいんちょが頬を膨らませる。
「その話、思い出させないで。まだ残ってるお腹の傷口が痛むから!」
自分のお腹を押さえたウチのクラスの学級委員長を前にして、人気アイドルが
頭を下げる。
「ごめんなさい。そういえば、私たちが初めて会ったのって、あの事件で被害者になった流紀さんに直接謝るためにお見舞いに行った時だったなって思い出してね」
「初耳だぞ!」という趣旨のコメントが多く流れていったあとで、東野さんは「あっ」と声を漏らした。
「そういえば、さっきの話、まだ公にしていなかったね」
「そうだけど、そろそろ、みんなからの質問に答えちゃおうよ。尺が45分しか余ってないんだから」
いいんちょの声に耳を傾けた東野さんが両手を叩く。
「そうね。じゃあ、今から私と流紀ちゃんに聞きたいことがある人は、コメント書き込んでね。時間が許す限り、みんなからの質問に答えちゃいます!」
アナウンスの後、パソコンの画面にいくつもの質問が次々と右から左に流れていく。その様子を見ていた画面の中の東野さんがクスっと笑う。
「最初に書き込んでくれた子、好きな男の子のタイプを教えてだって。いきなり直球過ぎるね。ウチの事務所は恋愛禁止だから、そういう質問はパスしたいけど、強いて言うなら、私のことを真剣に考えてくれる人かな? そして、勇気が出るようにそっと背中を押してくれたり、私を支えようと頑張ってくれたりする子。そんな子に傍にいてほしいな」
「それKくんやないか!」
隣で赤面する双子妹の話を聞いていた姉がニヤニヤと笑う。だが、東野さんは首を横に振った。
「でも、Kくんやないんよ。リーダーとして、みんなを引っ張ってくれる子がええんやから」
「じゃあ、Kくんやないな。あの子はリーダーシップないんやから」
「ていうか、なんでエセ関西弁でやり取りしてるの?」
「そういう気分だから!」
「おいおい、ウソだろ!」
画面越しに双子姉妹の生放送番組を見ていた俺の顔に焦りが宿る。
東野さんの発言は、自分のことに言及しているような気がする。
いや、あの発言は間違いなく、俺を意識した発言だろう。
そんなことを考えている間に、疑問の声が画面が埋め尽くされていく。
「Kくんって誰だよ!」
「まさか、彼氏いるんか?」
さらに、視聴者数も最初の10万人から50倍に跳ね上がり、500万人を記録した。
「もう流紀ちゃん。誤解を生むようなこと言わせないでよ。あっ、Kくんっていうのは、流紀ちゃんの友達の男の子のことね。一応、私とも面識あるから共通の友人って関係かな? ウチの事務所は恋愛禁止だし、あの子にはかわいい彼女がいるからね。彼氏じゃないよ。まあ、隣の私のそっくりさんは修学旅行中に告られたって、打ち合わせの時に聞いたけど……」
東野さんは両手を振ってから、ニヤニヤ笑った顔を真横に向けた。
「ちょっと、それ話さないとダメ?」
顔を赤くして動揺するウチのクラスの学級委員長の顔が画面に映り込むと、次々にコメントが表示されていく。
「この世界には、人気アイドル似の彼女がいる男がいるのかよ!」
「その話、聞きたい。聞きたい」
「お付き合いするのかどうかは、まだ保留状態だけど、修学旅行中に告られたことは事実です。あとはノーコメントにします」
それからも質問が次々に投稿されていき、双子姉妹の生放送番組は無事に終了した。
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