俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生の親友は、秘密を打ち明けたいらしい。

 全速力で歩道を駆け抜けた俺は、何度も来たことがある榎丸病院の出入口の前で荒くなった息を整えた。

 あの距離を無謀に走ったことに対して、苦笑いしながら、病院の中へと足を踏み入れる。


 その足はいつもの場所に向かっていた。

 いつもと同じように、エレベーターのボタンを押し、それに乗り込む。

 上昇していく中で、一瞬、プリンを手土産にしないと拗ねるのではないかと思ったが、今はそれどころではない。


 屋上へと到達したことを知らせるベルの音が鳴り、ドアが開いていく。

 そうして、病院の屋上の床を踏み、周囲を見渡すと、探していた女の子がベンチに座っているのが見えた。


「榎丸さん」と声をかけながら、距離を詰める。すると、俺が来ていることに気付いた榎丸さんが明るく顔を挙げた。


「珍しいね。呼び出してないのに、ここに来るなんて」

 不思議そうな表情で俺の顔を見つめてくる榎丸さんに対して、俺は真剣な顔つきになった。

「榎丸さんがここにいて良かった。ここにいなかったら、電話して直接呼び出そうと思ってたからな」

「つまり、私とふたりきりで話がしたかったんだ。珍しいね。汗だくになって、ここに来るなんてさ。ここまで走って来たでしょ?」

 頬を伝う汗をジロジロと見つめた榎丸さんがイタズラに笑う。

「ああ、そうだ。家から走って来た。榎丸さんに聞きたいことがあったから。どうして、初めてこの病院で会った時、初対面を装ったんだ? 10年くらい前に、ウチに来て一緒に遊んだのに、どうして隠してたんだ?」



 そんな疑問の声を聴いた榎丸さんは、ベンチから立ち上がり、肩を落とした。

 明るかった笑顔を消し去り、俺と対峙するように顔を合わせる。

「そっか。思い出しちゃったか。最初からヒント出してたんだけどね。分かりにくかったよね? どうして分かったの?」

「お母さんが写真を見つけたんだ。幼い頃の榎丸さんが俺とキスする瞬間が映ってた。アレを見て、やっと思い出せた。10年くらい前に、一緒に遊んだり、風呂に入ったって」

「そんな証拠があったんだったら、誤魔化せないね。そうだよ。私は昔、倉雲さんに会ったことがある。一緒に遊んだこともあるし、お風呂にも入った。同じベッドで寝たこともあるけど、幼馴染になれなかった。そんな哀れな女の子のことをどう思ってるの?」


 自白に追い込まれた犯人のごとく、榎丸さんが想いを爆発させる。

「幼馴染になれなかったって、何があったんだ?」と尋ねると、榎丸さんは夕焼けに染まった空を見上げた。


「あのホームパーティーだけだった。私とキミの思い出は。初めて会ったキミから何か運命的なモノを感じてたのに、私はこの10年間、キミに会わせてもらえなかった。アレ以降、キミの家で遊んだこともないから、キミとの思い出はあのホームパーティーしかない。でも、運命は続いていたんだと思うよ。だって、キミの彼女の親友として、キミの前に現れることができたんだからさ」


「そうだったんだな」

「あれから家族ぐるみの付き合いが始まって、幼馴染になれると思ってたのに、私はなれなかった。同情するならプリンをくれ!」

 右手を前に伸ばし、潤んだ瞳を俺に向ける。

「結局、プリンが食べたいのかよ!」

「ふふふ。金はいくらでも持ってるからね。じゃあ、幼馴染になれなかった女の子のこと、どう思ってるの?」

「またその質問かよ。どんな事情があるかは分からないけど、俺は哀れだって思わないな。これから一緒に思い出を作っていけばいいんだからな」


 真っすぐな答えを耳にした榎丸さんの頬が赤くなっていく。

「その答え、私と同じだね。ああやって呼び出してたのは、時間を共有したかったからだったんだ。あっ、このことは心美ちゃんには内緒ね。申し訳ないでしょ? 彼氏からファーストキスを奪ったからさ」


「そういえば、黒雪佐奈って知ってるか?」

 思い出したように尋ねると、突然榎丸さんは表情を曇らせた。

「えっと、倉雲さん、なんでその人のことを……」

「その人の娘さんも幼馴染になれなかったんだなって思ったんだ。あんな事件がなかったら、俺の家で一緒に遊んでいたかもしれないって……」

「そんなことを聞くってことは、まだ真実に辿り着いてないってことかぁ。残念」


 深く溜息を吐く榎丸さんと顔を合わせ、思わず首を傾げた。

「真実って何だよ!」

「さあ、何でしょうか? もしかしたら、その娘が近くにいるかもよ。さて、これで心置きなく質問できるようになったので、私からも質問いいかな? 10年前のあの日、キミのお父さんと私のお父さんがヒソヒソ話をしていた記憶があるんだけど、覚えてない?」

「ああ、そういえば、してたけど、内容までは分からないな」


 正直に答えると、榎丸さんは右手の人差し指を立てた。

「そうだったんだ。記憶違いじゃなかったんだね。それと、倉雲さんの誕生日はいつかな?」

「10月25日だけど、今年は榎丸さんは祝えないと思う。あの日は修学旅行2日目だからな」

「……そうなんだ。因みに、私の誕生日は4月17日だから、覚えておいてね♪」


 そう言い残し去っていく榎丸さんの後姿を見つめた俺の頭に、今年の夏にお父さんから聞いた話が過った。

 


「その翌日、海外に戻った彼女は、空港で通り魔に襲われて息を引き取ったそうだ。年明けに娘と一緒に帰国して、会いに来るって約束したのにな」



 あの言葉が正しいとすれば、約束は果たされなかったことになる。

 つまり、同じ10年前にウチを訪れた榎丸さんは、お父さんの初恋の相手の娘ではない。


 だとしたら、あの思わせぶりな発言の意味は何なのだろうか?


 いくつもの疑問が浮かぶ中で、夕暮れの染まった街並みを見つめつつ、スマホを取り出し、インターネットアプリを立ち上げる。


『10年前 空港 通り魔事件 黒雪佐奈』と検索すると、いくつものニュースサイトがヒットしたが、どこも彼女の写真は掲載されていない。


 この前も調べて何も見つからなかったのに、何をしているのだろうかと呆れて、スマホをポケットの中に仕舞った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る