俺の家の隣の洋館に住んでいる同級生は、仮想空間内でも相合い傘がしたいらしい。

 机が片付けられた3年D組の教室の中で俺は目をパチクリとさせた。

 その先で、黒いゴーグルをかけた人々が等間隔に立ち、足踏みを続ける光景が広がる。

「文化祭でVRゲームの体験会とか珍しいな」

 そう呟くと右隣にいる心美が首を縦に動かす。

「そうだね。そういえば、奈央ってVRゲームやったことあるの?」

「いや、初めてだな」と首を横に振ってから正直に答えると、心美は胸を張った。

「そうなんだ。私はあるよ。細い鉄柱の橋を渡るのとか」

「ありがちなヤツだな」

「VRゲーム、何回かやったことあるけど、奈央と一緒にやるのは初めてだから、すごく楽しみです」

 心美が優しく微笑む。その笑顔を見つめた瞬間、俺の頬が熱くなった。


 数分後、VRゲームを体験していた人々がゴーグルを取り外し、それを生徒たちに渡してから、教室を出て行く。

 それから、すぐに俺たちの順番が回ってきた。

 俺や心美と含む10人が2列になり、等間隔に並ぶ。

 心美がワクワクとした表情で俺の右隣に立つと、赤いフレームのメガネをかけた三つ編みの先輩女子が教卓の上に立ち、1回両手を叩いた。


「では、ゲームを始める前に、簡単な説明をしようと思います。皆さんは、VRゲームと聞いて、どんなゲームを想像しますか? 細い鉄柱を渡るモノや襲い掛かってくるゾンビを銃で撃ち殺すモノなどを想像したことでしょう。しかし、過激すぎるゲームは、子どもに悪影響を及ぼします。そこで、今回は親子そろって楽しめるような平和なVRゲームをレンタルしました。本日、皆様は、VRトコトコパークを体験していただきます。こちらのゲームは、運動不足改善のために開発されたもので、操作方法もその場で足踏みするだけなので、誰でも簡単にプレイできます。それでは、約5分間、仮想空間内でのお散歩をお楽しみください」



 その説明のあと、模擬店のスタッフが俺の目を覆うようにして、黒いゴーグルが装着した。

 それから、数秒後、目の前に「VRトコトコパーク」という緑色の文字が浮かび上がる。

「あっ、忘れていました。仮想空間内の公園を散歩中、突然雨が降ってくることが

あります。その時は、右手を前に出してみてください。そうしたら、持ち物が表示されて、その中にある傘を選択したら、雨の公園を散歩することができます」


 どこかから説明役の先輩の声が聞こえ、VRゲームが始まる。



「指を前に伸ばして、性別選択ボタンを押してください」

 暗い視界に浮かんだ白い文字。その真下には男性と女性という選択肢がある。

 その指示に従い、右手の中指を伸ばし、右側にある男性というボタンを押した。

 すると、目の前に見えた選択肢画面が青白く光った。



 それから、すぐに画面が切り替わる。

 目の前に広がったのは、緑が彩るどこかの公園。画面の右上には、制限時間が表示され、5分から1秒ごとに減っていく。

 視線を真下に向けると、舗装された茶色い地面が見える。

 顔を上げて、周囲を見渡すと、9つの男女のアバターが歩みを進めていて、俺の右隣には、黒髪ロングの女の子のアバターがいた。


「そろそろ行こうよ」

 右から心美の声が聞こえてくる。いつもと同じ声に促され、足踏みを始めた。

「それにしても、不思議な気分だね。仮想空間内を奈央と一緒に歩くなんて」

「そうだな」と短く答えた瞬間、右手が掴まれた。そのまま手を繋がれ、安心感が生まれる。


歩幅を合わせて、心美らしきアバターの女の子と共に、仮想空間内を歩く。

薄暗い雲が空を覆い、散歩道を紫陽花が彩る。

「キレイな紫陽花だね」

「このゲーム、梅雨の設定らしいな」

「あっ、奈央と相合傘できるかも!」

「仮想空間内で相合傘って。大体、まだ雨も降ってないのに……」

いつも通りな会話を続けた瞬間、空から何かが落ちてくる。


「雨、降ってきたね」

 右から聞こえてくる少女の声に反応して、右手を前に伸ばした。

 そうして、持ち物を表示させ、傘を取り出す。現実と同じ仕草で傘を差すと、体に何かが密着する。

 視線を右に向けると、手と繋いでいた女の子のアバターが、同じ傘に入るために身を寄せていることが分かった。


「じゃあ、行こっか。同じ傘に入って」

「そうだな」と答え、相合い傘をしながら雨の公園を歩く。


 いつもと同じ距離感と体温。本当はここが現実ではないのかと錯覚してしまう。

 そんな不思議な気分を胸に抱えたまま、いつもと同じように、心美の隣を歩く。


「今年の文化祭は去年より楽しいよ。今年は奈央と一緒だから」

 右隣から心美の嬉しい声が聞こえてくる。

「そうなんだよなぁ。まさか、かわいい女の子と一緒に……」

「あっ、かわいいって言った。すごく嬉しい」

 言葉を遮り、心美が喜びを口にする。

「最後まで言わせろよ。まさか、かわいい女の子と一緒に、文化祭を回ることができるなんで、去年は思わなかった。去年は友達と一緒だったからな」

「そうそう。去年はお互いに別々で、今年は一緒だよ。来年も一緒がいいな」

「同じこと考えてた。来年のクラス替えで同じクラスだと、もっと嬉しいなぁ」


「分かったわ。校長に賄賂を渡して、奈央と同じクラスに……」

「そこまでするな!」といつも通りなツッコミを入れると、右隣からクスクスとした

笑い声が届く。

「ふふふ。大金持ちジョークだよ。あっ、もうすぐ終わっちゃうね。あと30秒だって」

 その声に反応して、右端を見ると、残り時間が25秒であることが分かった。


「そうか。もうすぐ仮想空間内でのお散歩も終わるんだな」

 そう呟いた瞬間、誰かが前から俺の体を抱きしめてきた。その動きと連動して、右隣にいた黒髪ロング少女のアバターも俺を抱きしめる。


「今度は現実の公園も散歩したいな。もちろん、雨の日にね」

 甘い心美の声が至近距離から聞こえてくる。その間に、制限時間が過ぎていった。



 それから、数秒後、黒いゴーグルが外され、現実に引き戻される。その瞬間、頬を赤くして、ボーっと俺の顔を見上げた心美の顔が眼前に飛び込んできた。

 前方から抱きしめられたまま動けず、思考回路が停止する。


 その直後、拍手と共に、いいんちょの声が聞こえてきた。


「いいものを見せてもらいました。手を繋いだり、身を寄せたり、前から抱き着いたり。それをVRゲームをやりながら、実行してたんだよ。それに、2人のラブラブな会話も筒抜けだったから、シチュエーションがすぐに想像できました。やっぱり、このカップル、最強だわ」


 急に恥ずかしくなり、俺の顔が真っ赤に染まった。そのあとで、心美は俺から手を離す。

「あっ、心美ちゃんって、レーシングゲームプレイしたら、体も動くタイプなのかな? 例えば、右カーブの道なら、体を右に傾けるとかない?」

 唐突なウチのクラスの学級委員長からの問いかけに対して、心美は唸り声を出した。

「うーん。レーシングゲームなんてやったことないから分からないけど、多分そうだと思う。実際に、さっきのVRゲームでも体が勝手に動いたから。もっと近くにいたいって」

 頬を赤くした心美の答えを聞き、いいんちょはニヤニヤと笑った。


 こうして、俺たちの文化祭は幕を閉じたのだった。


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