第三話 聖剣バトミントン・ラケット
近所の交差点から一転して、放り込まれたとても日本とは思えない景色。人っ子ひとり見当たらない、途切れ途切れの細い道。
それでも俺は、人の住んでいるところまで歩けばどうにかなると思っていた。例え外国だとしても、保護を求めナナミと連絡を取り、家に帰れば良いと思っていた。幸い弁当用に作ったサンドイッチがあったし、ペットポトルの飲み物も持っている。
ところが歩いても歩いても、いっこうに景色が変わらない。やけに大きく見える夕日が地平線に沈んでいく。『遭難』や『行き倒れ』といった、穏やかじゃない単語が頭を掠める。
人家の灯りも見えず、とっぷりと日が暮れて急に冷たい風が吹きはじめる頃。俺はようやく自分たちが、危険な状況にある事に気づいた。
トロリと流れるように、暗闇が濃くなっていく。現在地すらわからない状況で、子供を二人連れての野宿だ。俺は
なんとかこの夜を越えなければ。
ハナは俺の膝の上で、タマゴサンドをはむはむと頬張っている。ハルは俺のシャツをギューっと握りっぱなしだ。
ハルの不安を取り去ってやりたくて、スマホで明るい音楽を流す。夜空を見上げながらうろ覚えの月や星の昔話を、ほとんどでっち上げながら話して聞かせる。
ハナが膝の上でプープーと鼻を鳴らして寝てしまい、ハルの目がトロンと重そうに緩んだ頃。
遠くでかすかに聞こえていた犬の遠吠えが、徐々に近づいてくるのを感じた。
嫌な想像が現実味を帯びてくる。焚火の
汗ばむ手で手荷物を
こんな風に直接的に、子供たちを守らなければならない日が来るなんてな。まぁ愚痴っていても仕方ない。第一聞いてくれるナナミはここにはいない。
空のペットボトルとバトミントンのラケットを取り出す。野生動物ならば大きな音を立てれば逃げていくかも知れない。
ジリジリと焦れるような時間が過ぎ、緊張の糸が切れそうになったその時。思っていたよりもずっと大きな影が、小石を踏みしめる音を立てて近づいて来た。
『ハッハッハッ』という、イヌ科の動物の呼吸音が聞こえる。俺はハルを起こして膝の上のハナを任せ、空のペットボトルを両手に持ってガンガンと打ち鳴らした。
突然の大きな音に、影は小さく飛び上がって踵を返した。遠ざかって行く足音を聞いて、息を詰めていたハルがやっと口を開いた。
「お、おとーさんなに? 犬?」
「たぶんな。もう行っちゃったから大丈夫だ」
おそらくまた来るだろう。イヌ科の動物は、じわじわと追い詰めるように獲物を弱らせる。執拗に追いかけ、つけ回し、体力を削いでいく。
「次に来たらコレがあるぞ」
リュックから花火セットを取り出す。暗くなったらマンションの屋上でやろうと、朝コンビニで買ったものだ。
「えっ、そんなの、かわいそうじゃない?」
ハルも俺も犬はペットしか知らない。ペットは普通、人間を捕食対象として襲い掛かったりはしない。
「ハル、たぶんここで俺たちは弱者だ。ここがどこで、なんでこんな所に居るのかさっぱりわからないけど、手加減なんてしてる場合じゃない。お父さんはハルとハナを守る為に、なんだってする」
リュックからもう一本のラケットを取り出しながら言うと、ハルはまた黙り込んだ。
使えそうなのは、ネズミ花火とロケット花火か? ネズミ花火は動きがあるし、ロケット花火は直接攻撃として使える。強烈な光や破裂音を、野生動物は恐れるはずだ。
「おとーさん。ぼくもハナちゃんを守るよ」
「おう! お兄ちゃん、カッコイイな! えらいぞ!」
ハルの真剣な物言いに、つい茶化してしまう。実際はハルがいてくれて、本当に心強い。俺ひとりだったら、ハナと二人だけだったら。
男の子って良いな! 産んどいて良かったよ。ああ、俺が産んだんじゃないんだっけ。ナナミ、ハルを産んでくれてありがとう!
ハルにライターの点け方を教える。
「犬が近づいて来たら、まずネズミ花火を投げる。それで逃げて行かなかったら、次は手持ち花火で、その後ロケット花火。あんまり上過ぎても
ハルは無言で、意外なほど力強く頷いた。
遠吠えがいくつか鳴き交わされ、焚火を囲むように、ジャリジャリっという軽い足音が近づいてくる。
汗ばむ手で、バトミントンのラケットを握りしめる。
さあ、ハル! ふたりで
今なら、負ける気がしない。
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