第十話 ひまわり

 ハルくんのお父さんが目を覚ました時、雨はすっかり上がっていた。特効薬の猫目ヘビは良く効いたようで、赤い発疹も消えている。熱も下がり食欲も出てきたようだ。


 すぐにベッドから出ようとするので、見張りがてら、ずっとみんな一緒に患者用のベッドの脇で過ごした。赤ん坊熱は男しかかからない病気なので、私とハナちゃんにはうつらない。


 ハルくんが折ってくれた紙細工で遊んだり、ハナちゃんに絵本を読んであげたりした。


 ハルくんのお父さんは、少しベッドを起こして、ニコニコしながら絵を描いていた。


 私が『耳なしは怖くないんだね』と言うと『怖い人も、悪い人もいる。君たちと同じだよ』と言った。


 大トカゲとモコモコは、夜のうちに教会の裏にある物置に避難してもらった。トカゲは砂漠、モコモコは高い山に住む生き物なんだって。


 午後になり、起き上がれるようになったハルくんのお父さんが、おやつを作ってくれた。ほっとけーきという、柔らかくて甘いパンだ。熱々のうちに乗せたバターが、トロリと溶けて生地に染み込む。


 蜂蜜をかけてパクリと口に入れると、じゅわっと染み出したバターと蜂蜜が、混ざりあって優しい味になる。


「うわーっ! ラースカおいしい!」


 私が思わず声を上げると、ハナちゃんが「ほっとけーき、ラースカ! チャタラパー好き」と言って、両方の手を頰に当てる。


 美味しいと頰が落ちちゃうから、押さえないとダメなんだって! 私がえっ、耳なしってそんななの? って聞いたら、ハルくんのお父さんが「それくらい、おいしいって事。落ちないよ」と言って笑った。


 ハルくんのお父さんは、顔に大きな傷がある。耳なしだから、人に襲われてついた傷だったらどうしよう。私が包丁を振り上げたように、この人を傷つけた人がいるのだろうか。


「違うよ! おじさん、弱いから。狼にやられたんだ」


 弱いの!? 耳なしなのに!? 火を吹いたり、鉄の玉を撒き散らしたり、しないの?


「おじさんもハルも、そんな事、できない。でも、できる耳なし、いるかも知れない。油断は、ダメ」


 耳なしは、他にもたくさんいるの? どこに住んでるの?


「おじさんと、昔の怖い耳なしは、同じ種類かも知れない。違う、かも知れない。おじさんの仲間の耳なしは、遠い、とても遠い。簡単には来られない」


 おじさんも、良くわからないんだ。あと、言葉、下手でごめん。


 そう言ったあとおじさんは、少し真面目な顔になって言った。


「きみに、拾って貰った、おじさんとハルの命、大切にする。きみが困った時、助けたい。いつか、きっと」


 おじさんは、ものすごく下手くそで、読みにくい字のメモをくれた。茜岩谷サラサスーンの街の名前と、商会の名前が書いてある。


「おじさん、もう行っちゃうの?」


「また会える。きっと」


 おじさんはそう言って、さっき描いていた絵と治療費を、ハルくんが、紙細工を差し出した。


 紙細工は、鮮やかな黄色の紙で折られた、ひまわりだった。


「おねえさん、ひまわりに似てる。髪の毛とてもきれい」


 私の量が多くて、バフンと広がった黄色い髪。そんな風に言ってもらったのは初めてだ。


 私は急いで礼拝室に戻り、教会の押し印を紙に押した。この押し印は、うちの教会が、人柄に責任を持つあかしになる。目指す教会へ行った時に役に立つかも知れない。



 私が責任を持とう。私は半人前の治療師カラ・マヌーサ。実績も人脈も持っていない。でも、私は、私の存在を賭けて、この人たちの人柄を保証しよう。


『この人たちは、悪い耳なしではない』


「お母さんと会えたら、帰りにまたこの教会に寄ってね。父さんに、悪い耳なしばかりじゃない事を、話しておくから!」


「おねえさん、ありがとう! きっとまた会いに来る!」


 ハルくんとおじさんは、ニセ耳の着いたポンチョのフード被り、モコモコとトカゲを連れて、手を振りながら街道へ向けて歩いて行った。ハナちゃんは、トカゲの頭の上だ。



 ▽△▽



 こうして、夏の終わりの嵐と一緒にはじまった、大波乱の一日が終わった。結局けっきょく耳なしの事は、大してわからなかったけど、私にはひとつ目標ができた。


 耳なしの事を調べよう。本を読み、民話や伝承を探し、ザドバランガ以外にも旅して、耳なしにまつわる遺跡にも行ってみよう。


 そうして、人に聞いた話じゃなく、自分で確かめてみよう。耳なしが、何をしたのか。耳なしが、本当に悪魔なのか。


 一人前になったら。


 まずは父さんが帰って来たら、話さなければいけない。扉を開けたら、大きなトカゲがいた事からはじまった、私の長い、長い一日の話を。


 父さんは立派な治療師カラ・マヌーサだ。命の重さと、はかなさを知っている。きっと一緒に考えてくれるはずだ。


 私はテーブルの上に、一切れ残ったほっとけーきを頬張りながら、おじさんのくれた絵を広げてみた。


 それは、陽だまりの中、ハナちゃんを膝の上に乗せて、絵本を読んでいる私の絵だった。ハルくんが、お行儀悪く、寝転んで紙細工を折っている。


 私の黄色い、あちこち跳ねた髪の毛が、お陽さまの光でキラキラ輝いている。ハルくんの言う通り、日なたに咲くひまわりの花のようだ。


 自分の絵を、こんな風に思うのは少し恥ずかしいけれど、とても暖かい素敵な絵だと思った。




 笑いながら人を殺す悪魔には、こんな絵は、絶対に描けない。

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