第十九話 チャタラパ、チャタラパ

「タカーサ(ありがとう)、チャタラパ、チャタラパ、チャタラパ(大、大、大好き)、チトト(きっと)、ンカーナカーナ(会いに来る)」


 クルミちゃんは教会の人たちに、そんな風に挨拶した。ひと言ひと言、噛みしめるように、ゆっくりと口にした。最後、チャタラパのところ、実際少し噛んでいたな。




「クルミ、お世話になります、した。ありがとう《タカーサ》」


 俺がそう言って渡した金貨入りの小袋を、シスターは最後まで受け取ってはくれなかった。着替えや旅に必要なものを、ひと通り揃えてくれたのに。仕方ないので俺は、昨日書いたミトトの港の風景画を一枚差し出した。


 こんなもので、お礼になると良いのだけれど。


 ナナミの似顔絵と手紙も預かってもらった。妻を探して旅をしていますと言うと、早く見つかりますように、とお祈りしてくれた。


 教会の人たちが、餞別せんべつにと、クルミちゃんに被り布フィーヤを渡していた。ビーズ刺繍と裾のフリンジが華やかな、薄いピンク色のフィーヤだ。昨夜、みんなで作ってくれたそうだ。


綺麗きれい! コッペリアの衣装みたい! タカーサ、タカーサ!」




 そうして、クルミちゃんは泣きながら、それでも笑って手を振った。





 あくびを迎えに行き、もう一頭パラシュを借りる。さすがにあくびに三人乗りは気の毒だ。ミトトとポーラポーラの貸しパラシュ屋は、経営者が同じなのか、片道で乗り捨て出来るのでとても便利だ。俺とクルミちゃんがあくびに乗って、ハルは荷物と一緒に借りたパラシュに乗った。


 ああ、そういえばあくびも借りてるパラシュだった。馴染みすぎて忘れていた。もう、すっかりうちの子だと、思ってしまっている。


 これはもう、返せないかも知れないな。


「あくびって、このトカゲの名前だったんですね! 凄い! トカゲに乗る日が来るなんて、思ってもみなかった!」


 クルミちゃんが興奮した様子で言う。怖がらないでくれて良かった。


「あくびはね、とっても強くて力持ちで、その上優しいんだよ」


 ハルが得意そうに言う。ハルもあくびは借りたパラシュだと、きっと忘れてる。クルミちゃんに砂嵐の時の出来事を、身振り手振りで話している。


 俺はこっそり手持ちの金貨を数えてみた。パラシュの値段はわからないが、馬と同じくらいだとしたら、俺のキャラバンの給料半年分くらいだ。全然足りない。さゆりさんの家に置いて来た分を考えても、まだ足りない。俺の持っている物で、何か売れる物があるだろうか。


 絵と、スリング・ショットくらいだな。いや、スリングは売りたくない。似顔絵屋をやっても良いが、時間がかかる。最悪、俺が一人で残って稼ぐか、改めて迎えに来るか。帰ったら、ロレンに相談してみよう。


 陽が暮れる前に、街道を少しだけ外れ、水場を見つけて野営準備をする。街道沿いの共同野営地は使わない事にした。少し人目を避けておいた方が、良い気がしたのだ。


 水場を見つけながら鳥を何羽か狩ったら、クルミちゃんは眼をみはって驚いていた。


「狩りとかするんですね。私、本当に何も出来ない。ミトトの街から一度も出た事がないんです」


「旅の間はほとんど自給自足だよ。街に着けばお店で食べたりもするけどな」


「クルミお姉ちゃん、ぼくもおとーさんも、最初は何にも出来なかったよ」


 クルミちゃんの目に不安な色が浮かぶ。


「必要な事なら、出来るようになるさ。心配するな」


「うげっ、ううーっ、頑張ります!」


 クルミちゃんは、鳥の血抜きの様子から目を逸らしながら、ファイティングポーズで言った。


 鳥は一羽を俺たちの晩メシに、残りをあくびに投げてやる。さすがにあくびの食事シーンは、クルミちゃんには刺激が強いので、ハルと水汲みに行ってもらった。


 鳥肉をぶつ切りにして、皮を下にして弱火でゆっくり焼く。皮の油が出てくるので、油はいらない。たっぷり出た油はフライパンから出して、焦げる寸前までそのまま我慢。こんがりキツネ色でひっくり返す。これが鳥肉を美味しく焼くコツだそうだ(クックパッド先生談)。


 両面に火が通ったところで塩胡椒してから、ミルクと小麦粉を加えてクリーム煮にする。水で戻した乾燥野菜を入れて出来上がり。


 あとはサーボス煎餅せんべいと、ベーコンのスープ。


 クルミちゃんは細いくせに、もの凄くたくさん食べる。バレリーナの細くしなやかな筋肉は、タンパク質を求めるのだろうか。そりゃあもう、めっちゃ食う。


 あくびとセットで、エンゲル係数が一気に跳ね上がったな。まあでも、本当に美味しそうに食べてくれるので、作り甲斐も上がったから良しとしよう。


「ヒロトおじさま! 美味しい! すごい!」


 おじさま、は少しむず痒いな。バレエといい、クルミちゃんはお嬢さまなのか? そんな子に狩りとか動物の解体とか、教えて良いのだろうか。



 焚火を中心に鳴子なるこを張り巡らせる。鳴子はチョマ族のものを参考にして、爺さんと一緒に作った。本日が初の実装なので、様子を見ながら俺が夜番をする。


 クルミちゃんは、日本語と情報に飢えていたのだろう。ひっきりなしに喋り、質問しまくって、忙しく泣いたり笑ったりして、そしてパタリと寝てしまった。今はハルと一緒に、寝袋に収まって寝息をたてている。


 俺は小さな音でラッカを弾きながら、樹々を渡る風の音を聞いていた。最初の旅でクーを拾った。クルミちゃんに出会い、あくびも連れて行こうとしている。


 この腕が届く範囲で、家族だけ守れば良かった日本での生活を思うと、俺は手を広げ過ぎているのだろう。大切なものが増えてゆくのは、嬉しい反面心配事も増える。


 俺の髪の毛、大丈夫か?


 世の中の父親の髪の毛は、こうして抜けてゆくのかも知れない。案外、禿げ散らかしたおっさんの腕は、大切なものをたくさん抱えているのかも知れないな。


 さーて! お父さんは、頑張りますか!


 そんな決意を固めていたら、ついラッカのトレモロが大きく響いてしまった。その音に、あくびが身じろぎする。


「寝てんのよ、静かにしてちょうだい」といった感じに、鼻をフンップーと鳴らされた。


 俺はすまんと軽く謝って、二人と一匹の眠りを妨げないよう、小さな音でトレモロを紡ぐ。焚火のはぜる音と、帰り支度をうながすようなラッカの音色が、他に動くもののない暗闇に、吸い込まれるように消えて行った。

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