第十一話 茜岩谷へ

 ドルンゾ山は茜岩谷サラサスーン側に回ると、途端に乾燥する。『風が変わる』とトプルが言っていた。ラーザの海からの湿った風はドルンゾ山にさえぎられて、サラサスーンには届かないのだ。


 山肌が露出し、徐々に木が減っていく。羽虫のたぐいが減り、殻を持った丈夫そうな虫が増えてくる。住んでいる動物も生えている植物も、ガラリと様変わりするのだ。


 一番わかりやすいのは、動物の体毛だろうか。ドルンゾ山やラーザに住む動物は、黒や、灰色の毛色をしている。サラサスーンの動物たちは赤みの強い茶色い毛色だ。保護色とか、そういった理由だろう。そういえばラーザの海のカニや魚は、薄いピンクや紫色をしているものが多かった。よく出来ているものだ。


 街道に出れば馬車足は速くなる。途中の村で少しずつ荷物を降ろすので、馬の負担が軽くなるのだろう。もちろん敷石の街道が走りやすいのもある。


 この世界の馬は頑丈で図太い。地球の馬の繊細せんさいさや気難しいイメージとは程遠く、悪路あくろを苦にしないし環境の変化や突発的な出来事にも動じない。たくましく、頼りになる生き物だ。


 俺の頰の傷は、じくじくとにじんでいた血が止まり、動くたびに感じていた響くような鈍痛どんつうも引いてきた。傷口が引きれるような違和感は、縫い目によるものだろう。きっと抜糸ばっしすれば治る。


 ロレンやハザンに、あとが残ると気遣きずかわしげに言われたが、俺的には少し嬉しかったりする。ほおに傷を持つ男だぞ? めっちゃカッコイイじゃないか! 『ちょっとヘマをしちまってな』とか言って、フッと笑ったりしたい。いや、是非やろう。


 食事の支度や馬の世話をしながら、絵を描いたりラッカを弾いたり、ハルと勉強したり。以前と変わらない生活へと戻っている。もちろん朝晩のトレーニングも再開した。たった三日寝込んでいただけなのに、体力や筋力が驚くほど落ちていた。元通りに戻るまでは、もう少しかかりそうだ。


 途中、谷狼の群れに追いかけられた。だか、ドルンゾ山で、灰色狼のとの戦闘を経験した俺とハルの敵ではなかった。谷狼は灰色狼に比べると、小さいしもろい。スリング・ショットの玉を受けると、気が抜けるほどあっさりと倒れた。


「やるじゃねぇか、おめぇら!」


 ハザンにニヤリと笑って言われた時は、不覚にも頰が緩んだ。コイツに褒められるのは、思いの外嬉しい。ハザンの揺るがない強さにはあこがれるほどだ。しゃくだから言わないけどな。


 だがハルは違う。


「強いハザンにほめる、されると、嬉しい!」と、精一杯知っている単語を並べて言う。


 ハルの嬉しさや好意を素直に表す様子を見るたびに、ナナミに似て良かったと思う。ひねくれた俺とは違う。


「お? なんだよ、照れるじゃねぇか!」


 ハザンが嬉しそうに、鼻にしわを寄せて笑った。


 馬車が進むにつれて、景色はどんどん乾燥地帯のそれに変わっていく。敷石が赤っぽい岩に変わり、サボテンがちらほら見えてくる。歩きサボテンを見かけた時は、ああ帰って来たなと、感慨かんがい深い気持ちになった。



 街道沿いの野営地で赤い岩の上に立ち、ポンチョを風になびかせながら、ハルが夕陽を眺めている。クーが寄り添い、首に付けた小さな鐘がカランカランと鳴った。


 フードは被っていない。俺とハルに耳がない事は、もうキャラバンの全員が知っている。俺が灰色狼の爪にやられた時、フードは脱げていたし、傷口をった後、色々説明した。


 反応は様々で、トプルとアンガーは大した事じゃない、と言っていた。ガンザはさすがに驚いていたが、長生きすると色々面白い事に巡り合うもんだなぁ、としみじみと言っていた。ロレンはある程度わかっていたようで、


「ヒロトが初めてうちの店に来た時は、フードを被っていなかったじゃないですか」と言った。そういえばそうだった。


「耳なしは、昔話や伝承でんしょうに出てくるんですよ」と言っていたので、あとで聞いてみようと思う。ヤーモはわかっていないかも知れない。まあいいか。


 キャラバンのみんなの態度は、俺たちの素性を話した後も、驚くほど変わらない。一生懸命隠していたことが、恥ずかしくなる程だ。


 ただ、ロレンに『耳なし』は地方や人によって信仰の対象になったり、凶事や災害の象徴となったり、差別や迫害に合うかも知れないと言われた。やはり隠した方が良いらしい。


 夕陽が地平線に沈んでゆく。考え事をしていたら、すっかり遅くなってしまった。焚火の周りで腹ペコ野郎どもが『ヒロト!メシまだかよ!』と叫んでいる。俺はスープを味見してから、フライパンのオムレツをひっくり返す。今日は百合根とウサギ肉のオムレツだ。


「できたぞ! 皿持って並べ!」


 もうすぐ、この旅も終わり。食材をケチる心配もしなくて良い。景気良く、全部使い切ろう。


 シュメリルールの街が見えるまで、あと三日。ようやくハナに会える。


 ▽△▽


 今日のメニュー


 朝 昨夜のシチューで、クリームリゾット


 昼 焼きリンゴ、バナナ入りホットケーキ、赤かぼちゃのチーズ焼き ミルクティー


 夜 ウサギ肉と百合根のオムレツ、ほうれん草の胡麻和え、根菜の具沢山スープ


 ハナの事を考えていたら、ハナの好物ばかりを作ってしまった。

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