第十四話 谷越え 前編

 夕食にご馳走ちそうしてくれた髭の生えた大きな魚は、臭みもなく淡泊で上品な味わいだった。香油を塗り、塩漬けにした大きな葉で包んで蒸し焼きにしてあり、ほぐした身を熱々のごはんに乗せスープをかけて食べる。他にも小指ほどの小さな魚の揚げ物や、水草の漬物も美味かった。


 キャラバンメンバーの釣果ちょうかもご馳走になった。マスのような魚の串焼きは少し生臭かったが、パリパリの皮をひたした辛口の酒は美味かった。ハルは一匹も釣れなかったらしい。


 その晩は湖の上の、ラッチェン族の空き家を提供してもらい、キャラバンメンバー全員で一緒に泊まった。水の上に浮かんで寝るなど、初めての経験だ。ゆらゆらと揺れ、ときおりチャポンと水音が聞こえる。干したあしをたっぷりと袋に詰めた布団で、沈み込むように眠る。穏やかでいい夜だったと思う。


 アンガーの歯ぎしりと、ハザンのイビキさえなければ――。



 翌朝は日の出と共に、村の人たちに挨拶をしてからの出発となった。


 ▽△▽


 細い山道の順路に戻り、再び山道をゆく。


 走り出して早々に、ロレンの敗北宣言があった。いきなり謝られて、なんの話かと思ったらウロコの細工物の話だった。


「『明日の狩りの獲物を大きな布に並べる』でしたね。未熟者です」


 この世界のことわざらしい。『大口を叩く』的な意味合いだろうか? ロレンは俺たちが欲しがっていた細工物を、安く仕入れようとして、ラッチェン族のつぶらな瞳の前に、完全敗北したらしい。期待させたびにと、色とりどりのウロコの入った袋を渡された。


 俺はもともと、よくわかっていないでロレンに任せたのだから、気にしなくて良いのにな。第一、穀類や燃料なんていう援助物資みたいな交易品を持って、足元を見るような商売をしたら鬼だろう。ロレンは見るからにやり手商人のような風情だが、けっこうなお人好しだ。


「ロレン、タカーサありがとう! きれいで、たくさん、嬉しい」


 ハルは大小さまざまなウロコをとても喜んで、いつまでも陽の光に透かして遊んでいた。


 ▽△▽



 ラッチェン族の村を後にした翌日。昼飯を終えて、俺がラッチェン・トット湖や漁の絵を描いていると、他のメンバーが相談事をはじめた。今日は谷越えがあるらしい。


「谷、越える、橋、どんなの?」という俺の質問に、なぜか誰も答えてくれない。この世界の技術で、谷を渡るほどの橋が架けられるのだろうか。


「うん、アレなー。俺もいやなんだよ」ガンザが顔をしかめながら言う。


 谷越えと言えば吊り橋だろうか。壊れかけた吊り橋なんて、想像しただけで股間がひゅうっと寒くなる。


「ハルはまあ、いざとなったら、ふんじばってかついじまえばいいか――?」


 ハザンがなにやら、ブツブツと呟いている。縛るとか、担ぐとか、荷物の話か?




 その日の夕方、馬車は渓谷のたもとへと到着した。


 そこに吊り橋はなかった。


 あるのは渓谷を渡る太い何本ものロープ。そしてロープに取り付けられた滑車と、滑車から釣り下がったブランコのような椅子。アスレチック施設によくある『ターザンブランコ』そのままだ。


 コレ? このブランコみたいのに乗って、シャーって滑空かっくうして渡るとか、そーゆーの? 流れる川がミミズのように見えるこの谷を、これで越えろと?


 俺、帰っていいかな、今すぐ。俺日本に帰る!


 俺がギギギっと音がしそうな感じで振り向くと、ハルがハザンに目隠しされて、ジタバタと暴れていた。


 ハルの頭に、あっという間に、ぐるぐると手ぬぐいが巻かれていく。


「ヒロト、ハルには見せない方がいい! ハルと一緒に、さっさと乗れ!」


 ちょっと待てとか、心の準備がとか、安全性について説明してとか。そんなことを言う暇もなく、俺とハルはブランコに乗せられ、固定のためのベルトとロープで、身動きが取れなくなった。


 ハルは訳がわからず、俺にしがみついている。


「ハル、大丈夫だ! お父さんも一緒だ! 今から谷を渡る。ジェットコースターだと思っとけ!」


 半分ヤケになって叫び、ハルをギュッと抱きしめる。ハルは人形っぽくカクカクと頷いた。


「よし! 行け!」


 ハザンの掛け声と共に、俺たちの乗ったブランコは勢いよく滑り出した。

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