第十二話 雨雲の目を盗んで

 手を振っているサビ模様の耳の人に、軽く手を挙げて応える。


『おーい、行商人か?』


いやラー、旅人だ!』


 行商人は街から離れた集落では、どこでも大歓迎される。


 少しがっかりした様子が見て取れたサビ耳の人だが、シャーハをこちらに向けて近づいて来た。


「何か売れる物を持っているか? 欲しい物はあるか?」


 カポカポとヒズメの音をさせながら、話しかけてくる。


「燃料、欲しい。あと、アマラン(米に似た雑穀)」


「おまえさん、茜谷岩サラサスーンから来なすったか。アマランは、この辺りじゃあ作らんよ。燃料ならあるぞ。来るか?」


 サビ耳の人は、頰と目のふちに刺青のある、年配の男性だった。


 燃料は是非欲しい。正直、煮炊きにも困るほどだ。あまり人と関わらないで進もうと、決めた矢先だが、背に腹は変えられない。俺は頷いて、サビ耳の人に着いて行くことにした。


 毛玉ウサギの群れと、一緒に移動する。ピューイ、ピューロローと、トロンボーンのように鳴く。ポンポンと弾むように跳ねる


 俺の肩でユキヒョウ姿のハナが、お尻をフリフリしている。今にも跳びかかりそうだ。


『ハナ、ガマン!』と、首根っこを掴む。


「ハハハ! お嬢ちゃん、ジュランが気に入ったか? うちのアイナも小さい時は、ジュランに乗って跳ねるのが大好きだったな!」


 ユキヒョウ姿のハナが、ケモノの人である事も、女の子である事もお見通しらしい。俺には地球の雪豹よりも、小さいという事だけしかわからない。


「あれ。ジュラン? ウサギ?」


 ハルが、毛玉を指差して聞いた。


「ああ、ウサギだ。茜岩谷サラサスーンにはいないのか? 毛が織物に使えるし、肉も食えるぞ」


 頷きながら、そっと近くにいた一匹に触れてみる。クーの毛より細く柔らかくて、ハナの腹の毛のような手触りだ。


 ビークニャの弾力のある毛は、どっしりとした厚手の毛織物になる。フエルトにしても、がっしりとしたものができる。


 このジュランの毛織物は、もっと薄く柔らかいイメージだな。サビ耳の人が着ている、そですその広がった服。きっとジュランの毛織物なのだろう。


 ふわふわの触り心地に、ハルも俺もうっとりとしてしまう。ハルは乳幼児の頃、ふわふわのネコ模様のブランケットが手放せなかった時期があった。あの時と同じ顔をしている。


 あ、抱きしめて頬ずりをはじめた。若干ジュランが嫌がって、ジタバタと逃げ出そうとしている。


「なんだ、坊主も気に入ったのか! 二、三匹持っていくか? 村に帰れば子供もいるぞ! 」


 ハルがゆっくりと俺の方に顔を向ける。ウルウルとした目で「お父さん、キャルカ、キャルカだよ……」と、震え声で言った。


 ちょっと待った! 燃料、燃料が先だから!!




「そっちのトカゲは、なんてーんだ? すげぇ口だな! 大丈夫なのか?」


「あくびは、強い、とても優しい」


「へぇ! あくびっていうのか。どこの生き物だ?」


「あくび、名前。砂漠の、パラシュ」


 ハルとサビ耳の人が、話しながら進む。ハナはユキヒョウ姿のまま、ジュランにしがみ付いて群れの中でポンポン跳ねている。爪でジュランを傷つけてしまわないか、ハラハラする。


 そうこうしているうちに、集落が見えてきた。テント村だ。遊牧する人たちだろうか。


 チョマ族のテントより華奢で風通しが良さそうだが、屋根がとても大きく、床が高くなっている。雨が多いこの地ならではの作りなのだろう。


 草原でよく見かける、胸の膨らんだ大きな鳥が数羽、やはり悠々と集落の中を歩いている。子供たちが小屋に入れようと追っているが、少しも動じた様子が見えない。あの貫禄は何なのだろう。


 サビ耳の人に聞いたら、あの鳥は『マルタ』というらしい。『大将』とか『ボス』といったニュアンスの言葉だ。似合い過ぎて笑ってしまった。



 人の姿に戻ったハナに服を着せながら、こちらを伺っている集落の人たちに、軽く頭を下げて会釈する。みんな軽く手を挙げて応えた後、それぞれの仕事に戻っていく。良かった。どうやら不振には思われていないようだ。


 さっそく燃料小屋へと案内してもらった。燃料は、大人の手のひら大の草の塊だ。聞くとジュランのフンを固めて、乾燥させたものだという。


 草食動物のフンを燃料にする民族は多い。ウサギのフンは元々臭いは少なかったはずだ。事実燃料小屋は臭くない。むしろ爽やかな匂いがする。


「これひとつ、どのくらい、使える?」


「煮炊きなら、ひとつで充分だ。夜営なら一晩で二個だな」


 うーん、二十個ほど買っておくか。


 銀貨と銅貨で支払いをする。燃料小屋から出ると、ハルとハナがジュランの子供と戯れていた。ソフトボール大の毛の塊だな。


「アマランはないが、シズラーはどうだ?」


 サビ耳の人が薦めてくる。穀物の名前だろうか。


「シズラー、どんなの?」


「なんだ知らないのか? しょうがねぇな! 食わしてやるよ!」


 サビ耳の人がいそいそと、家から持ってきてくれたのは、もち米に豆を入れて炊いたものだった。適度に塩気があり、腹にたまる。


「こっちは、何も入れないで炊いたものだ」


 小ぶりの木の器に入った、白いもち米だ。スリコギのような木の棒を持っている。


 餅にするのか!


 トントンと棒でつき、餅状になったものに、パラパラと調味料をかける。


 口に入れると、甘さとシナモンのような香り。それを追って辛味が舌を刺激する。


 これはなかなか面白いな! 辛いのが苦手なハルが、ひゃーと声をあ上げて水筒のお茶を飲んでいる。


「硬くなっても焼けば食える。汁物に入れても美味い。腹にたまるし、力がつくぞ」


 俺は大きく頷いた。


「大きい袋でくれ」



 緑豆ルギリットを粉にいたら、きな粉っぽくなるだろうか。赤豆カッポの甘い汁は汁粉しるこぽくなるだろうか。おろし大根で辛味餅からみもち、砂糖醤油じょうゆも捨て難い。ああ、海苔が欲しい!


 うちの家族は全員、餅が大好きだ。



 世話になったので、サビ耳の人の似顔絵を描く事にした。スケッチブックを見せると、是非頼むと言い、家族全員を呼びに行った。


 ぞろぞろと、周りのテントからも人が出てくる。総勢十六人。大家族だな! 全員がサビ模様だ。


 最後に嫁さんらしき、恰幅のいい女性が甘いお茶を淹れてくれて、サビ耳の人の隣に腰を下ろす。ちょっとした集合写真のようだ。


 結局けっきょく、小一時間かかってしまった。その間、女性が集まり、俺たちのポンチョの刺しゅうをしげしげと眺めたり、ハルが小さい子供たちに折り紙折ってあげたり、あくびを遠くからおっかなびっくり眺めたり。集落の人たちは、突然の訪問者を楽しんでいたようだ。


 ハルに頼んで、こっそりと集落の写真を何枚か撮ってもらった。あとで絵に描くつもりだ。


 双方機嫌よく、別れの挨拶を交わす。深入りし過ぎずに、良い取り引きが出来たと思う。似顔絵のお礼にと、チーズとベーコンをいくつか渡された。


「おまえを雨雲が見逃しますように!」


「この集落に良い風が吹きますように!」


 この集落の名前も、サビ耳の人の名前も尋ねずにおいた。もちろん俺たちも名乗っていない。


 俺たちは耳なしだ。この地では忌み嫌われる存在だ。何かの拍子に露見して、迷惑がかかっては申し訳ない。


 擦り合った袖の、多少の縁の温もりだけで良い。


 またいつか! 雨雲の目を盗んで、たもとが触れ合う事があったら。


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