第二章 キャラバンのお仕事

第一話 幌馬車にゆられて

 馬車は、シュメリルールの馬車道をゆっくりと走り抜ける。風車小屋が並ぶ通りを抜け、街の中央を流れる川を渡り、丁寧ていねいに敷かれた赤茶色の石畳をたどり、街道へと出る。


 街道に出るとスピードが上がり、あとはひたすら西へと向かう。ほろの下げ布をめくり、徐々に小さくなっていく、シュメリルールの白い街並みをハルと二人、眺める。


 赤い砂の上に、白い貝殻をまき散らしたような光景だ。この街並みを早くナナミに見せてあげたい。きっと気にいるはずだ。


 この世界に飛ばされて来てから、約二ヵ月。旅立つまでにずいぶんと時間がかかってしまった。


「お母さん『遅いよー!』って、怒ってるかもな」


「たんじょうびプレゼントわたせば、大丈夫じゃない?」


 ハルがクスクスと笑いながら言う。ナナミの誕生日には間に合わなかったが、プレゼントはハルと二人で、小さな瑪瑙めのうのペンダントを作った。石はハナが大岩の庭で見つけたもので、乳白色でほのかにピンク色をしている。革ひもを使った素朴なデザインは、ナナミに似合うと思う。


 そういえば、この旅から帰る頃には、ハナが誕生日をむかえる。三歳の誕生日、なんとか家族そろって祝えると良いのだが。



 御者を務めているハザンが、ハルを呼んだ。またもやひょいと持ち上げ、馬車の幌の上に座らせたようだ。ハルの歓声が聞こえる。


 最近わかったことだが、この世界には名前を『〇〇さん』とか『〇〇ちゃん』と呼ぶ習慣も、それにあてる言葉もない。出会って名乗り合った瞬間から、呼びつけになる。これが、根っから日本人の俺には、なんとなく気が引ける。ハルも『大人をよびつけにするの?』と困っていた。まあ、これは慣れるしかなさそうだ。


 幌の上のハルの様子が、少し心配になり御者席に行く。


 ハザンが前を向いたまま、「ヒロトも〇☆▽〇△、いいぞ」と言った。見上げると、ハルが幌の骨組み部分に腰かけて、単語帳をめくってくれている。


「おとーさんも登っていいって言ってるよ!」


 なるほど『ハリリトン』は登る、という意味か。『ハリントン』だったか?


 二人も乗って、壊れたりしないかとも思ったが、俺もちょっと登って景色を眺めてみたかった。ハザンに軽く頭を下げて、よっこらしょと、日本語で掛け声をかけてよじ登る。


 幌の上は思ったより風が強かった。ハルが単語帳を片手に俺に手を貸そうとしている。


 ハル、お父さん大丈夫だから、ちゃんとつかまってろって!


 並んで幌に腰かける。ハルは頬を紅潮させて、鼻息が荒い。テンションが上がり過ぎてへんなスイッチが入っている感じだ。無理ないな、現代では幌馬車なんて、映画やゲームの中でしか見かけない。見慣れた茜岩谷サラサスーンの景色も、高い場所から移動しながら見ると、少し違って見えるものだ。


 ちょうど頭の上を、ハルの好きな谷大鷲が飛んで行く。翼と尾羽に白と黒の縁取りがあるこの大きな鷲は、ミミズクのような角羽を持っている。これがなんとも賢そうに見えてカッコイイ。つい先日には「耳と尻尾もいいけど、ぼく谷大鷲みたいな尾羽が生えてくるといいなあ」と、うっとりと言っていた。あくまで生やす方向でいくらしい。今後の色々を考えると、悩ましい限りだ。


 俺とハルは偽耳のついた帽子を被っている。地球人だとか、耳も尻尾も羽根もないとかは、基本隠すことにした。なぜかと聞かれると答えにつまるのだが、これもおそらく俺が日本人だからだろう。日本人は周囲に埋没してこそ安心する。個性的などというレベルではない特異性には、不安しか覚えない。


 たぶんナナミはへっちゃらなんだろうな。きっと平気で頭をさらして歩いている。余計なトラブルに、巻き込まれていないと良いのだけれど。


 俺は『家出した嫁を探して、遠い異国から旅をしてきた、子連れの画家』という設定だ。異国人であるがゆえに言葉がわからず、故郷の習慣で耳や尻尾を隠している。今回、嫁がラーザの街にいるという情報を聞き、子供を連れてキャラバンに同行することになった。


 なんとも良く出来ている上に、事実とそうかけ離れていない。このへんの事情を説明するための、異世界語も練習してきた。うん、ぬかりはない。


 他にも、できる限りの準備はしてきたつもりだ。さゆりさんに茜岩谷サラサスーンの郷土料理も、一通り教えてもらった。ジャガイモやトマト、チーズを使ったスパイシーな料理が多い。ロレンに故郷の料理を作ってもいいかと聞いたら「それは楽しみですねえ」と言っていた。地球の料理を作っても、大丈夫そうだ。


 家畜の世話も大岩の家で毎日やっていた。キャラバンでの俺の役割については、特に心配もしていない。


 山越えがあり、危険も多い旅だと聞いているが、護衛のハザンとトプルは、見るからに、この上もなく頼もしい。盗賊なんかは二人の姿を見ただけで、逃げ出してしまいそうだ。

 準備をしている時は、心配事や不安ばかりが先に立った。いくら備えても足りない気がして、ゆうべは遅くまで眠れなかったほどだ。だが、いざ馬車に乗って出発してしまえば、自分でも驚くほど気分は晴れやかだった。


 御者席ではハザンが大きな声で、シュメリルールの流行り唄を歌いはじめた。見かけ通りのダミ声だが、なかなか味があり、温かみもある良い声だ。調子はずいぶんと外れているけどな。


 荷物からスケッチブックを取り出し、目の前に広がる相変わらずの荒野と、はるか遠く地平線まで続く街道を描きはじめる。


 茜岩谷サラサスーンに吹く風が、ハルのポンチョを揺らし、ハザンの調子の外れた歌を乗せて、景色と一緒に流れていった。

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