第十六話 海に至る道

 ドルンゾ山に入ってから十日目、馬車は渓谷に沿って緩やかにうねる道をひたすら進んでゆく。谷の向こう側の崖に、見事な大角おおつのを生やした鹿がいる。切り立った崖を、よくもまあ、と思うほど身軽に登って行く。身体に比べてアンバランスさを感じるほどの大きな角は、邪魔にならないのだろうか。


 渓谷の底に遠く細く見えていた川は、今ではゴウゴウと音が聞こえるほど近く、山道が下っている事を思い出させてくれる。


『ホウホウホウ、ホロロロロ』という歌うような、よく響く鳥の鳴き声が聞こえる。渓谷を渡ってから、どんどん緑が深くなり、道を圧迫するように木が生えている。ついこの間まで、赤くひび割れた地面ばかりを見ていた事を考えると、外国へ来たような気持ちになる。


 まあそれを言ったら、ほんの二ヶ月前まで、高層ビルの立ち並ぶアスファルトの道を、人波にうんざりしながら歩いていたのだが。


 渓谷を越えた日からだったか、俺が朝の筋トレをしていると、トプルとハザンが眠そうに目をこすりながらやってきて、隣で剣の素振りや立ち合い稽古をするようになった。聞けば、二人は若い頃からラーザの剣術道場に通っていて、今でもラーザへ行くと必ず顔を出すのだと言う。


「ここんとこ、稽古サボってたし、師匠にどやされちまう」


「しりょうに、どくされる?」


「違う意味でこえーよ! 師匠は、先生、剣を教えてくれる人。どやされるは、怒られるって事だ」


 ハルがまだ起きて来ないので、単語帳がない。若干話が噛み合わないが、ハザンは気にしていない。二人の剣の振り方は、どこか洗練されていると思っていたが、ちゃんと師匠について修行していたんだな。納得の強さだ。


「ヒロトのメシが美味すぎて、身体が重くなった」


 トプルが嬉しい事を言ってくれた。俺の料理なんて男飯オトコメシなんだけどな。レシピはほとんどクックパッドで仕入れたものだ。ちなみにプレミアム会員だった。


 俺が絵を描きながらあちこち、とり散らかしたような思考に沈んでいると、先頭の馬車で御者をしているアンガーが叫んだ。


「海が見えたぞー!」


 俺はハルと顔を見合わせて、荷物の箱を乗り越え御者席から顔を出す。


 馬車がちょうど崖を回り込むところだった。


 右手の視界が開けて来ると、眼下に森と、真っ直ぐに伸びる街道、その向こうに遠く海が見える。


 そして、二つに別れた川の片方に沿うように広がる、街並みらしき影。


 ラーザの街が、見えてきた。

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