第十話 嵐の昼に

 結局その夜は、夜番を二人残して他の人は寝る事になった。興奮して寝られねぇよ、と思っていたら、寝袋に入って五分もすると瞼が重くなった。俺も図太くなったものだ。


 ハルにとって今夜の出来事が、トラウマにならなければ良いのだが。




 朝起きると、山猫の死体は片付けられていて、綺麗に剥ぎ取られた毛皮が、幌の上に裏返して干してあった。肉は固くて食べられないらしいから、穴を掘って埋めたのだろう。


 俺はさすがに寝不足で、ボーッとしたまま幌の骨組み部分に腰かけて、煙草に火を点ける。この世界の過酷さを見せつけられるたびに、ケモノの人たちの身体能力の高さを目の当たりにするたびに、自分のおとろえはじめた身体がうらめしくなる。戦うことに対する心構えを見せつけられ、日本でのうのうと暮らしてきた自分が情けなくなる。


 実はひとりの時、ステータスオープンと、こっそり呟いてみた事もある。別に俺は神様に呼ばれて、この世界に来たわけではないらしい。


 さて! 朝から落ち込んでばかりもいられない。自分の仕事をこなすとするか!


 夜番の二人に『チャルジオおはよう』と声をかけ、朝メシの支度に取り掛かる。たるから水をみ、飯を炊き、厚焼き玉子を焼く。昨日仕込んでおいたピクルスの味見をする。まだ少し浅いが、コレはコレで美味うまい。


 今朝はおにぎりを作るつもりなので、ごはんが炊けるまでの時間で、ストレッチと筋トレのメニューをこなす。昨夜の誓いの通り、反復横跳びもする。学生時代バスケ部だった頃の、身体のキレが嘘のようだ。


 さゆりさん曰く、耳と尻尾が生えてくると、身体能力は格段に上がるらしい。でも、俺にさゆりさんと同じ事が起きるとは限らないし、何よりケモノの人となってこの世界で生きてゆく覚悟などありはしない。今は出来ることをやるしかないだろう。


 飯が炊けたので、ざるに半分の量をあけ、木杓子で空気を入れる。粗熱が取れたら大きめの塩にぎりを作る。一人三個計算くらいか? 炊きたてのごはんで、少し固めに握った塩にぎり。美味うまいんだよなー。


 残りのごはんは、昼にチャーハンか雑炊にしよう。


 刻んだ葉野菜とゴマのスープを作ってみんなを起こす。ロレン以外誰も起きて来やしねぇ!


 昨日に続き、今日も日が昇ってからの出発となった。あの後夜番を務めたハザンは、馬車が走りはじめると、俺とハルの寝袋にもぐり込んで寝てしまった。護衛の人たちは寝袋を使わない。昨夜のような緊急時に、素早く起きられないからだ。さゆりさんが魔改造してくれた寝袋は、取り外しの可能な足長鳥の羽毛の中敷なかじき付き。すっかり気に入ったハザンが、なかなか出てこなかった。


 今日は少し雲が多い。山の天気は変わりやすいというから、大きく崩れないと良いのだが。



 そんなことを考えていた事がフラグとなってしまったのか、午後休憩を終えてしばらく走ると、空が怪しくなってきた。急に強い風が吹きはじめ、あっという間に大粒の雨が降ってきた。横なぐりの雨の中、ポンチョを頭から被ったハザンがヒョイっと馬車から飛び降りると、先頭の馬車のロレンの元へと走って行った。


 馬車より速く走ってるし! もう、あんたが馬車引けば良いのにな!


 ゴロゴロと雷が鳴り、まるでゲリラ豪雨のようだ。


 しばらくして、濡れたポンチョを脱ぎながら、ハザンが『びしょ濡れ犬に栗のイガ、だぜ!』と言いながら馬車に乗り込んできた。


『弱り目に祟り目』的な表現だろうか? 正にびしょ濡れ犬だな! ハルがハザンを指差して『びしょ濡れ犬!』と言って笑った。


 ハザンも『ひでぇ目にあったって事だよ!』と言って笑った。良かったハルが笑っている。ハルは昨夜の山猫の一件から、やけに無口になってしまっていて、少し心配だったのだ。


「この先に洞窟があったはずだ。洞窟わかるか? ライ岩山ゴルンの穴、だ。そこまでなんとか行って雨宿りだ」


「あめやもり」ハルが復唱する。


「やもりじゃねぇよ、ソンポル止まるイラランまで待つ。うーん、待つン・オーンわかるか?」


「あまもどり」


「戻らねえって、あまやどりガララン・ニャーリャンだ」


「ガララン・ニャーリャン」


「そうだ!」


 背中をパン! と叩かれて、ハルがびっくりした顔をする。


「上手く言えたな! 偉いぞハル!」


 ド直球の褒め言葉に、ハルが照れ臭そうに笑う。照れ臭そうだが、ふっと肩に入っていた力が、抜けていく。


 ハザンもハルの様子を心配してくれていたのかも知れないな。


 それから三十分ほど走り、ようやく洞窟に着く。かなり広い洞窟で、馬車ごと入り早速さっそく湯をかす。石づくりのかまどがあるので、野営地のひとつなのだろう。


 少し熱めの湯を木桶にあけ、布を持って馬のところへ行く。びしょ濡れの体を拭いてから、温かい布でぬぐってやる。


『寒かったろう? 大変だったな』と、トプルの真似をして馬に声をかけると、そのトプルに後ろから声をかけられた。


『馬の心がわかるのか?』と、俺の真似をして聞いてくる。


 俺が『いや、全然』と答えると、声を出して笑い、その後馬の世話を手伝ってくれた。


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