第十二話 襟を正して ★挿話あり

 シュメリルールの街へ行って、この世界を現実のものとして受け入れることにした俺は、さゆりさんと爺さんに膝をそろえてお願いしなければならないことがあった。


「さゆりさん、カドゥーンさん、折り入ってお願いがあります」


 朝食の後くつろいでいる二人の前で膝を着く。


「危ないところを救って頂いた上、今日までお礼もそこそこにお世話になってしまいました。失礼も多々ありました。それを承知の上で、厚かましいお願いをさせて下さい。ナナミを探しに行く準備が整うまで、俺たち家族をこの家に置いて頂きたい」


 膝に手を置き、頭を下げる。


「あらあらヒロトさん、時代劇みたいよ! もう! 頭を上げて下さいな」


 さゆりさんが困ったように声を上げる。


「生活費は稼げるようになり次第、お渡しします。できるだけ迷惑を掛けずに済むよう二人にも言い聞かせます」


「もう~! そんな大袈裟な話じゃないじゃない! ここでの生活はお金なんてかからないでしょ?」


 そう言いながらトコトコと俺の元に歩み寄り、手を取って立たせてくれる。


「この前も言ったじゃない。うちの子になってくれたらいいなーって、私もカドゥーンもそう思っているのよ?」


「ハルもハナもとても可愛い。ヒロトもとても好ましい」


「そうそう! 私は引きこもりでお友だちがいないから、ヒロトさんが話相手になってくれて本当に嬉しいの。ヒロトさんと台所で料理しながら日本の話をするのが、楽しくてしょうがないのよ?」


 わからないの? というように首をかしげる。


「まだお願いがあるんです」


「あら、何かしら?」


「この世界の言葉と文字、それから一般常識を教えて頂きたいんです」


「ああ、そうね。必要よね。でも一般常識は私じゃなくてリュートに聞いた方がいいかも。私は引きこもりだから」


「その方がいい」


 大きく頷いた爺さんの肩を、さゆりさんが「いやねぇ!」と言いながらペチンと叩く。


「あ、私が言葉と文字を教える替わりに、教えて欲しいものがあるの」


「俺の知っていることでしたら何でも」


「あのね、私『千と千尋の神隠し』までしか見てないのよ、ジブリの映画。その後の作品が知りたいわ! ヒロトさんなら絵が描けるし、お話もけっこう上手だし! お願いできるかしら?」


「も、もちろんです!」


 意外なお願いをされた。紙芝居風か? ハルとハナも喜びそうだ。けっきょく全作品を作ることになる予感がする。


 断られることはないだろうとは思っていたが、仁義を通すというか、様式美というか。大切なことだと思ったので、最大限に襟を正してお願いした。結果は意外なほど軽く、明るいところに着地した気分だ。いや、のかもしれない。なんとなく、さゆりさんの手のひらの上のような気がする。


 この人には、ずっと敵わないかも知れない。でも、それが心地よい。


「ありがとうございます。よろしくお願いします!」


 俺はもう一度深く頭を下げた。腰を据えて、ナナミを探す準備をはじめることを、心に決めながら。




▽△▽


挿話 置いてきたもの


「ねぇおとーさん、いつ頃おうちへ帰れるかな? ヘチマにお水あげないと枯れちゃうよ」


 ハルの言葉にドキリと固まる。東京の風景や、自宅の様子がありありと目に浮かぶ。


「でもハル、先にお母さん探しに行かないと。一緒じゃないと帰れないだろ?」


「そっかあ。でも夏休み終わるまでに帰れるといいなあ」


 困っちゃったね、というハルの頭にポスンと手を乗せ、ガシガシと髪の毛をかき回す。


 考えてみれば、本当に困ったことになったものだ。ナナミを探しに行くにしても、路銀や移動手段をどうにかしなければならないし、そもそも言葉を覚えないことには、正に話にもならない。一ヵ月や二ヵ月ではどうにもならない気がする。その間に、東京に置いてきたものは、詰んでしまうだろう。


 一家四人が突然行方不明なってしまったのだ。それなりに騒動になっているだろう。ニュースになったり、ネットで話題になったりしているかも知れない。


 うちはペットを飼っていなかったので、本当に良かったと思う。冷蔵庫の中身や観葉植物の事が少し気にかかる。ハルが夏休みの宿題で育てていた、ヘチマも枯れてしまうだろう。


 迷惑をかけてしまったのは、ナナミの職場である病院と、俺の仕事関係だろうか。いくつかの小説の挿絵(さしえ)と表紙絵、絵本の仕事、あとはスマホゲームのキャラデザインの企画が進んでいたはずだ。いつも仕事を見つけてきてくれる編集部の友人、俺の絵を気に入って依頼してくれた作家の先生、何度も打ち合わせを重ねたゲームのプロデューサー。


 時間と金銭、両面で損害を与えてしまうかも知れない。信用を失うことに、焦燥感も感じるが、謎電波さんは働いてくれない。


 ハナの保育園やハルの学校、ナナミの両親や兄弟たち。俺の姉貴と親父、マンションの大家さん。みんなに心配と迷惑をかけている事を思うと、なんとも心苦しい。



 俺たちは全員無事です。良い人に助けられ、なんとか暮らしています。今は、ナナミとは離れてしまっていますが、早いうちに合流したいと思っています。訳あって、すぐには戻れそうもありませんが、きっと四人そろって帰ります。俺たちは大丈夫なので、あまり心配しないで下さい。


 俺は届くはずのないそんな言葉を、心の中でそっと呟つぶいてみた。

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