第二話 刺しゅうと郷土料理

 毛織り物の工房や刺しゅう職人の店を覗いたが、パラヤさんらしき人はいなかった。ガラス細工の工房の場所を教えてもらい、向かう。


 看板の出ていないその工房の前で、洗濯物を干しているキツネ耳の女の人がいた。女の人が振り向いた瞬間、俺とハルは同時に、


「おおー!」


 と、感心したような、納得したような声を上げてしまった。


 女の人は、さゆりさんそっくりだった。


「パラヤ、荷物、手紙、お届け物」


 つい確かめもせずに、名前を呼んでしまったら少し怪訝けげんな顔をされてしまった。この世界には『◯◯さん』と呼ぶ習慣も言葉もない。


 パラヤさんは、ハルのポンチョの刺しゅうを見て、嬉しそうに声を上げた。


「あ! それ母さんの刺しゅうよね? もしかして母さんの知り合いの人かしら?」



 サラサスーン地方での刺しゅうの図柄は、母から娘、または嫁へと受け継がれていく特別なものだそうだ。三世代、四世代前の図柄も普通に伝わっていて、女たちは家族のポンチョや帽子をそれらの図柄で埋めていく。


 さゆりさんは受け継いだ図柄を持たない分、様々な茜岩谷の動物や植物の刺しゅうをほどこしてくれた。ラーナも大岩の家を訪れる度に、ラーナの家の図柄や、得意だという鳥の図柄をいこんでくれた。裾部分にはクーとハナを模した、ビークニャとユキヒョウや、キツネとネコなど家族の図柄が並ぶ。リュートのキツネとさゆりさんのキツネが、ちゃんと見分けられる芸の細かさだ。


「へー! 母さんまた腕を上げたわね! コレなんの図柄なの? ラーナの鳥も良いわねぇ」


 パラヤさん、荷物も手紙も俺たちの素性もすっ飛ばして、ポンチョの刺しゅうに食いつき過ぎだ。こういうところは爺さんの血だな!


「手紙、まずは読んで下さい」俺が手紙を渡して言うと、ようやく我に返ってくれた。


「ごめんなさいね。座って下さいな」と、軒先のきさきにある、ひさしの下のテーブルに案内してくれた。冷たいお茶をれてくれて、手紙を読み始める。


「へぇ! ラーナに赤ちゃんが出来たの! リュートが父親ねぇ。ふふふ」


「あら! この図柄はユキヒョウなのね? へぇ! あなたがハルくんかしら?」


 楽しそうに手紙を読み進めていたパラヤさんが、ふと俺とハルを見つめ、


「あなたたち、ニホンの人でしょう?」と、日本語で言った。


「手紙、書いてあるか?」


「いいえ。でもあなたたち、母さんと同じ匂いがするわ」と言って、ふふふと笑う。





「あなたたちが、この世界のほかのどこかじゃなく、母さんの元に来てくれて良かった」


 俺たちの大まかな事情を話すと、パラヤさんが言った。


「母さんはいつも笑っていたけど、時々寂しそうだった。私にはわからないけど、異邦人いほうじんって、そう言う意味でしょ?」


 パラヤさんは遠くを見るようにして、異邦人、という言葉だけ日本語で言う。


 さゆりさんが自分の事を、異邦人と呼んだのだろうか。俺はハナを大岩の家に残して来た事は、俺たちの事情だけではなく、必要だったのかも知れないと思った。



 それから俺たちは、昼メシをご馳走ちそうになり、リュートの子供の頃の話で大いに盛り上がった。リュートが聞いたら爆死ばくししそうなネタばかりだ。俺の姉貴もそうだけど、姉って生き物はほんと弟に容赦ようしゃがないよな。



「ねぇ、そのポンチョ、一日預からせて貰えないかしら?」


 そろそろ、と帰り仕度をしていると、パラヤさんが言った。


「私にも刺しゅうを入れさせて欲しいの。母さんに見てもらいたいし、あなたたちと同じで、私も大岩の一員なの。旅の無事と、奥様に会えるように、とっておきの刺しゅうをしちゃうわよ!」


 サラサスーンの刺しゅうはそういうものだ。家族の健康や幸せを願い、女たちは針を刺す。それこそポンチョに隙間がなくなるくらいに。


 俺はありがたくお願いすることにした。俺とハルを大岩の一員だと言ってくれた事は、少し面映おもはゆいながらも嬉しかった。


 パラヤさんは帽子を二つ持ってくると、手早く耳を付けてくれた。替わりのポンチョも貸りて、明日の夕方また訪れることを約束した。


 久しぶりの耳付き帽子をかぶって、ハルと二人はじめての街をブラブラと歩く。暮れ始めた街に、ふとなんとなく座りが悪いような、ホームシックに似た気持ちを抱いている自分に気づく。パラヤさんの言っていた、異邦人という言葉のせいだろうか。


 帰りたいのは大岩の家なのか、それとも東京の家なのか。


 人間という動物は、案外帰巣本能きそうほんのうが強いのかも知れないな。巣へと戻れる能力を持たないくせに、いびつな生き物だ。

 




 道に迷いながらも、薄闇うすやみが残るうちには宿屋へと辿たどり着く。


 宿は入り口近くに食堂があり、チーズとトマトの匂いがする。どちらもサラサスーンの料理には欠かせない。ハザンとトプルが奥の席から手を振って俺たちを呼んだ。


 荷物を置いてから、と身振りで伝え一旦部屋に戻る。荷物を部屋に置き、井戸で手洗いうがいをする。一応、感染症予防のつもりで続けている日本からの習慣だ。この世界に俺たちの知らないウイルスや病原菌があったとしても、なんの不思議もない。


 手洗いうがいのおかげなのか、俺もハルもハナも、この世界に来てから風邪ひとつひいていない。もっともうちの家族は、もともと全員が頑丈で病気とは縁遠いのだが。



 食堂に戻ると、アンガーとヤーモも席についていた。食べ物もテーブルいっぱいに並んでいる。


「ずいぶん頼んだな」と声をかけながら席に着く。ハルは好物の「パロ」を見つけ、小さく歓声を上げている。パロはコロッケの中身に、スパイスの効いたチーズをたっぷりかけた料理だ。ジャガイモと小麦粉を混ぜて作るニョッキと共に、この地方の代表的な家庭料理だ。パンや米が流通するようになる前は、サラサスーンではジャガイモが主食だったらしい。


 トマトもジャガイモも、乾燥に強い植物だからな。


 他にも羊モツの煮込みや、緑豆をすり潰して平たく伸ばし、バターでカリカリに焼いた「カリポ」やチーズ入りの芋餅いももちなど、この地方の定番メニューばかりだ。


 これは俺の野営中のメニューに対する、無言の抗議だろうか。野営中はどうしても作り慣れたものを作ってしまい、地球風の料理が多くなってしまうのだ。なんのかんの言っても、食の嗜好しこうは習慣だ。食べ慣れたものが食べたくなる。日本人が醤油しょうゆと米に執着するのと同じ事だ。


 俺が落ち込んだり反省したりしていると、トプルが気づいて、


「ヒロトの料理はいつも美味いよ。ただ、みんな里心さとごころがついてるだけだ」


 と、言ってなぐさめてくれた。


 次からメニューを少し考えよう。さて、反省はこの辺にして、美味しくいただくとするか。いつものメンバーの顔を見ていたら、いつのまにか寂寥感せきりょうかんに似た気持ちも消えていた。


 サラサスーン地方の名物料理は、どれもとても美味しく、どこかなつかしい味がした。

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